ドラマCD「怪盗紅蜥蜴」反逆小説
「夢の対決!銀仮面対紅蜥蜴」中編



前編
 
 豪勢で広い割にはどこか荒んだ雰囲気を与える邸宅であった。

「夢野子爵邸……か」

 デューク、ドクロXらから解放した少女たちの生気が案内してくれるままに門間でたどり着いた銀仮面は、翼をたたみ、紫のマントを羽織り直した。
 夢野家は維新の折に欧州から最新式の兵器を薩長に供給し、その功によって子爵にまでなったという維新の影の立役者だった。
 元々は上方の商人だったと言うから、もの凄い出世である。
 だが先の当主は夫人に早々に先立たれてしまい、自身も数年前に逝去したという噂だった。
 今はその娘が当主を務めていると聞く。
 娘といっても、もう二十は超えているはずだ。
 この館に少女たちの肉体があるというのは、単に悪党どもに館を占拠されたから……ではないだろう。
 大体想像が付いた。
 おそらく岩崎早苗嬢もここに連れてこられているはずだ。

 鋼鉄製の格子門くらい、飛び越えることも焼き融かすことも簡単だったが、ここは正道にのっとって呼び鈴を鳴らす。
 ほどなく、つむじ風をたてつつ門の向こうに人影が現れた。
 夜の月光の下でさえ鮮やかな真紅の衣装。
 紅蜥蜴本人かと思ったが、それにしてはいささか身軽な外見だ。
 おそらく、ドクロX四天王の一人と言われる地中海の赤い風に間違いあるまい。

「このような夜更けにご訪問とは、いかなるご用件でしょうか」

 派手な服装とは裏腹に、家人らしい丁寧な声が発せられた。

「私は銀仮面という怪盗にございます。
 夢野婦人に内密のお話がありこうして参った次第であります」

 ここは銀仮面としても上流階級の礼に則った態度で返答する。
 もちろん、こんな夜更けでなければ適切と言えるのだろうが、そもそもこんな夜中の会話そのものが不自然である。
 既にお互い、相手の正体など分かっている。
 仮面と格子越しに、一瞬視線が交錯する。
 緊張は、赤い風の方から解いた。

「どうぞ、お入り下さい」

 あっさりとした返事を返ってくると、微かな軋みとともに格子が開かれた。
 錆び付いているというわけではないらしい。
 左手に少女たちの生気を大切に掲げつつ、堂々と入場する。
 その背後で門が少し大きい音とともに閉められた。
 赤い風が微笑んでいるところを見ると、わざと音を立てたらしい。
 閉じ込めたぞ、という意味だろう。
 もとより、こちらには翼があるので閉じ込められたという意識はない。

「ではこちらへ」

 衣の裾を翻しつつ、赤い風が先導する。
 いつ攻撃を受けても対処できるように構えつつ、ひとまずついていくことにする。
 館までの庭は、よく手入れされた薔薇の園だった。
 色も種類も様々な薔薇が整然と咲いている。
 銀仮面でも初めて見る種がいくつもあった。

「いかがですか銀仮面。この薔薇園は」
「種類と数の豊富さが目につきますが、手入れが行き届いていますね。
 これは一朝一夕に造れる庭園ではありますまい。
 造園者の細やかな気遣いが偲ばれます」
「ええ、この薔薇園は……」

 ざわ、と香気が揺らいだ。

「紅蜥蜴様の母君が愛されたのですよ」

 夢野ではなく、紅蜥蜴と言った。
 それはすなわち、生かしては帰さない、ここで倒すという意思表示に他ならない。

「先ほどから薔薇とは別の匂いがすると思っていたのですが、なるほど、玄関先よりもここで始末した方がもみ消すには便利ですからね」
「この地中海の赤い風、誰一人として紅蜥蜴様の下へは通しません」
「その信念も間もなく終わります」

 銀仮面はこの園にすらない紫の薔薇を取り出し、炎の剣として一振りさせた。

「いつでも、どうぞ」
「とくと味わいなさい。この園の素晴らしさと恐ろしさを!」

 赤い風はつま先を中心に身体を一回転させて竜巻を放ってきた。
 ただの風ではない。
 周囲の薔薇の花粉、そして香気をたっぷりと含んだ、絡みつくような烈風だった。

「方陣七仙、剣華!一仙、火走!!」

 竜巻を真っ二つに切りあげて、中の花粉を焼き尽くす。
 さらにその一閃で同時に地を走る炎を巻き起こして赤い風をも焼き尽くそうとする。

「なめないで下さい!!」

 銀仮面のものよりは短い赤いマントを軽やかに翻しつつ、振るわれた手刀が風圧でその炎を大きくはじき飛ばして、うまく噴水の中に流し落とした。
 しかし炎を直に弾いたことで、赤い風の手袋は焦げて煙を上げている。

「この薔薇園は、あなたにとってそんなにも大切なものなのですか」

 避けることはそう難しくなかったはずの一撃をわざわざ受け止めて鎮火させたのは、力を誇示しようとしているのではないように思う。
 それならばもっと平然とした顔をしているはずだ。
 今の赤い風は、自分が火傷を負ったことよりも火を消し止めたことに安堵しているように見える。

 炎を吹き上げていた薔薇を一度鎮め、攻撃の意志をしばし解いて尋ねてみたが、

「言ったでしょう。この園は紅蜥蜴様の母君が愛された園だと。
 この園こそは私の忠誠のあかし。
 もはや誰一人として館には近づけさせはしません。
 あなたも、ここで葬り去るのみ……!」

 赤い風は最も近くにあった赤い薔薇に顔を寄せ、その香気をそっと吸い込んだ。

「この美しい薔薇は紅蜥蜴様の象徴。
 ならば、私は茨や刺となって付き従うのみなのです!」

 吸い込んだ香気を噛んだかと思うと、それを緩やかに唇から紡ぎだした。
 赤い霧のように、朧ながらも姿がはっきりと見える香気となっていた。

「息絶えなさい!銀仮面!!」

 赤い風がその香気に右手の甲を当てて一閃させると、銀仮面の全身を包んでなお余りある広さに拡散するように襲いかかってきた。

 花弁などのように物があるわけではないので、その動きはさほど速くはない。
 しかし、前方を全て覆い尽くして迫ってくるので、退路は後ろにしかない。
 さらに赤い風の言葉から察するに、これは必殺の……おそらくは猛毒の香気らしい。
 ならば。

「円陣三仙、焼去!!」

 最も収斂させ、苛烈にした炎を前面に展開してその霧へ突っ込んだ。

「かかりましたね!その霧は煙を吸い込んだだけでも……、え……!?」

 炎に触れた部分が、煙もあげずに灰になっていく。
 銀仮面の展開する炎が高温すぎて、毒性を残すことも出来ずに焼き尽くされているのだ。
 赤い風が気づいたときには、銀仮面は霧を突破して既に背後に回っていた。

「王手です。地中海の赤い風」

 喉元に紫の薔薇が突きつけられていた。
 デュークやドクロXが簡単に敗れるわけだ。速い。
 しかしこうなったからといってむざむざと命乞いをするとでも思ったのか。

「ふふっ、角か飛車に向かって王手とは正気ですか?銀仮面」
「ええ、私は正気ですよ。
 何故なら、あなたは紅蜥蜴の秘密を知っている」

 今度こそ、地中海の赤い風は動揺を隠しきれなかった。

「あの力は一体何なのか、そして、なぜ子爵令嬢である方が殺人者になったのか。
 それを是非とも教えていただきたいのですが」

 喉元に突きつけられた薔薇が少し近づいて、花弁の先端がわずかにくすぐる。

「教えろと言われて、はいわかりましたと答えるとでも?」
「言わなければドクロXやデュークと同様に、少女たちから奪ったその生命を断ち切るまでです」

 突きつけた薔薇に力を込めて、浄化の炎をいつでも点火できる体勢になる。
 脅しではなく本気であることを示すために、薔薇が熱を帯びる程度にはしていた。

 しばし。

 赤い風はひるむことなく、銀仮面の腕を掴んで、

「やってみなさい!出来るものならば!!」

 叫びとともに銀仮面を振り払って攻撃に転じようとしてくる。

「私は紅蜥蜴様の僕!紅蜥蜴様にこの命を捧げたもの!」
「愚かな……。そこまでして紅蜥蜴に忠義を尽くしますか……!」

 哀れむように言うと、銀仮面は浄化の炎を放った。
 少女たちの命を取り返すにはこうするしかないとわかってはいても、女性から生気を奪い老いさせるのは心に咎める物があったのだ。
 しかし、やむを得まい。
 赤い風は、避けることすらしなかった。
 浄化の炎の中で、なおも赤い息吹を繰り出そうとする。
 その外見は浄化の炎を受けても変わっていない。

「……なるほど、あなたは二人と違って死んでいるわけではないのですね」

 出来るものなら、というのはそういうことなのだろう。
 しかし、ならばなおさら疑問に思う。
 紅蜥蜴に永遠の命を与えられているわけでないのなら、なぜここまで忠義を尽くすのか。
 赤い風の表情は、その疑問への答えを雄弁に拒絶していた。

「ならば、実力で突破するまでです」

 赤い風の視界から銀仮面が突如として消えた、と思った次の瞬間、

「方陣八仙、遊夢!!」

 という声を聞いたのを最後に、地中海の赤い風の意識は閉ざされた。
 倒れ込みそうになった地中海の赤い風が地面に顔を激突させる前に、銀仮面はその身体を支え止めた。
 いかに悪に加担したものとはいえ、淑女の顔に傷をつけるというのは美意識が許さなかったのだ。

 庭園内に休憩用の長椅子があったので、ひとまずそこに寝かせておくことにする。
 念のため脈を調べてみるとちゃんと生きている。
 そうなると風邪を引いてしまうかも知れないが、さすがにそこまで面倒を見ていることは出来なかった。
 一応、長時間持たせる型の炎を近くで燃やして冷やさないようにはしておく。

 しかし、永遠の命も若さも報酬として与えられた訳ではないのに、地中海の赤い風ともあろう者をここまで心酔させるとは、それも紅蜥蜴の能力なのだろうか。
 それとも別の要因があるのだろうか。
 考えてみたものの、答えは出ない。
 やはり、紅蜥蜴に直接問いただすしかあるまい。
 答えを聞けなかったとしても、それは自分が残念なだけだ。

 しばし戦いの場から遠ざけておいた少女たちの生気を伴って館へと急いだ。
 美術品にするというのならデュークらの帰還を待つだろうと思っていたが、他にも能力があるとなると岩崎早苗嬢が何をされているかわかったものではない。

 正面の扉には鍵がかかっていたが、怪盗にとってこんな物は障害の内に入らない。
 細い薔薇の茎を鍵穴に差し入れ、微かに蔦を生長させると二三度の振動があって鍵は開いた。
 だが、取り出した茎を見て銀仮面はしばし考え込んでしまった。
 茎の先端が凍結している。
 扉に触れてみると、手袋越しにでも氷のような冷たさを感じる。
 そう言えばドクロXが凍り付かせるとか言っていたが、

「まさか、この向こうは既に……」

 焦燥に駆られて扉に手を掛けるが、押しても引いても微動だにしない。
 これだけ冷たければ、向こう側が凍結していても何ら不思議はない。
 少々手荒ではあるが、扉の合わせ目に沿って炎を叩きつける。
 しかし、一撃目では炎が消えてしまった。
 諦めずにもう一撃。
 表面が焦げるとともに、扉の向こうから何かが割れ落ちる音が聞こえた。
 改めて扉を引いてみると、パラパラとはがれ落ちるような音を立てて扉は開いた。
 それとともに、身を切るような凍気が流れ出してくる。

 暗いながらもかろうじて窓から差し込める月明かりに照らされた玄関の全景は、柱から調度品、絨毯に至るまで全て凍結していた。
 それでも細かい霜やつららなどは存在せず、一つ一つに造型が施されていることには舌を巻くしかなかった。
 恐るべき氷の居城だ。
 並の人間ならば防寒着があったとしてもそう長く持つものではない。
 ここに戻ることがすなわち「作品」を作ることを意味する。
 岩崎早苗嬢が無事でいられる可能性は低くなった。
 自分の手際の悪さに、思わず仮面の下で唇を噛む。

 アトリエに飾ると言っていた。
 中に入って捜索するしかない。
 空中に明かり代わりの火の玉を四つ浮かべて館の中に入り込んだ。
 連れてきている少女たちの生気は確かに反応を示しているので、彼女たちの身体がこの館のどこかにあることは間違いない。
 しかし厳密な探索となるとやはり手作業になってしまう。
 広い館だが公共施設ではないので案内図のような物はない。
 アトリエといえば日の当たるところにあるのではないかと考えて南向きの部屋を一つずつ調べていく。

 二十いくつ目かで画架や画材、そして額の置かれた部屋を見つけたが、そこにはそれらしい物はなかった。
 そうするとアトリエといっても別の場所になるだろう。
 考えを変えよう。
 数十人からの少女たちの身体を展示しておける場所となると限られてくる。
 会議場か、食堂か、それとも……

「なるほど、ここか」

 ダンスホール。
 今までで最も強い凍気を感じさせ最も強固に凍結させられた扉を打ち破ると、死そのもののような凍気があふれ出してくる。

「ようこそ銀仮面。我が永遠のアトリエへ」

 その声に向けて、考えるより早く炎を投げつける。
 紫の炎に照らされて、ダンスホールの様子が朧ながら見て取れた。
 この場にふさわしいというか、踊っているかのような姿で立ち並ぶ少女たちの身体。
 ざっと見ただけでも三十人はいる。
 それらを全て見下ろすように、ホールの最奥、吹き抜けになっている一番高いところに紅蜥蜴が悠然と座っていた。
 冴え冴えと凍り付いたホールの中で、紅蜥蜴とその周辺だけが燃えるように紅い。
 それすらも炎ではなく、氷漬けになった赤薔薇だった。


「夢の対決!銀仮面対紅蜥蜴」後編
 





2000年9月24日書き下ろし



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