ドラマCD「怪盗紅蜥蜴」反逆小説 「紅の裏側にて」 |
「うーん」
千葉助さんは悩んでいました。
深川の千葉助と言えば、今や押しも押されれぬ売れっ子作家さんです。
元々紙芝居屋さんの中でもかなりの人気者だったのですが、それでも子供たちに水飴を売っての生計では、紙芝居を作る大変な苦労に比べるとそんなに楽な生活ではありませんでした。
千葉助さんも奥さんも内職をして家計を支えていました。
でも今年になって作った作品、少年レッドはこれまでで一番のヒットになりました。
少年レッドは連続ラジヲドラマになり、本も出て、録音盤も出て、ついにはあの大帝国劇場で帝劇のスタア達による公演にまでなってしまいました。
文学に比べてちょっと扱われ方のよくない紙芝居文化の向上にもなって、これは千葉助さんも嬉しいみたいです。
ともかく、千葉助さんの所には著作権という物のおかげでたくさんのお金が入ってきました。
おや?
お金持ちになったというのに千葉助さんのお家にはあんまり変化がありません。
何か変わったところは……、ああ、ありました。
紙芝居のための絵の具が増えています。
それから御夕飯のおかずが一品増えました。
あとのお金はどうしたのでしょう。
実は奥さんがちゃんと貯金してくれています。
その他には仲間の紙芝居屋さんの苦しい生活を助けるのに使ったり、お母さんお父さんのいない子供たちのために寄付したりしているんです。
やさしいんですね、千葉助さん。
でも、どうして千葉助さんは悩んでいるんでしょう。
「あんた、また紅蜥蜴のことで悩んでいるのかい」
お金持ちになっても内職を辞めない奥さんが優しく尋ねてきます。
ということは、千葉助さんはこのところずっと悩んでいるみたいですね。
「公演に招待されてからずっとじゃないか。そんなに納得行かなかったのかい」
公演というのはもちろん、今大帝国劇場でやっている公演紅蜥蜴のことですね。
もちろん少年レッドも、それにドクロXたちも出てきます。
でもこのお話は千葉助さんが作ったお話ではありません。
千葉助さんは舞台演劇は専門外なので、金田先生という有名な脚本家の先生が書かれたのです。
そう、これが千葉助さんが悩んでいた理由なんです。
別に千葉助さんは、少年レッドを作れるのは自分だけだなんて思ってる訳じゃありません。
子供たちに夢を与えられるなら、誰が書いても少年レッドは少年レッドなんです。
それに、少年レッドがいつも主役で無くったって構いません。
でも、公演紅蜥蜴が少年レッドの物語の一つであるとは、どうしても千葉助さんには認めることが出来ませんでした。
話の主題は怪盗紅蜥蜴と探偵明智小次郎の大人の恋愛です。
あんな難しいもの、子供たちには分かりっこありません。
いつの間に紅蜥蜴が明智を好きになったのかさっぱり分からないじゃないですか。
どうして夢野婦人があんなに歪んでしまったのかも不明ですし、
美を愛する紅蜥蜴がどうして明智さんを好きになったのでしょう。
明智さんが紅蜥蜴を好きだったのかもよく分かりません。
それに、お話の中で罪もない女の子がたくさん殺されてしまっているのも許せませんでした。
人が死ぬというのは大変なことなんです。
まだ純粋な子供たちはそれに耐えられない子供もいます。
死んでしまった人は、二度と生き返らないのですから。
だから千葉助さんは、どんなに悪い奴を書いてもお話の中で普通の人を虐殺させたりはしませんでした。
思い出して下さい。
怪紳士エックスはいっぱい悪いことをしたり、少年レッドを殺そうとしたりもしましたけど、少なくともお話の中では誰も殺さなかったでしょう。
そんなわけで、千葉助さんとしては反論したいところなのです。
でも千葉助さんが面と向かって批判したら、公演を楽しみにしている人たちも、一生懸命舞台を作っている帝劇スタアの女の子たちも、どんなにがっかりするでしょう。
千葉助さんも帝劇花組のみんなが大好きでした。
その子たちが精一杯演じてくれて、舞台関係者にも評価の高いこの公演を公式に批判することはできっこありません。
だから千葉助さんはずーっと悩んでいるんです。
「ああもう、じれったいねえ。あんたの得意技は一々悩むことかい」
千葉助さんをどやしつけるような声で、でも奥さんは優しくお茶を出してくれました。
「違うだろ。あんたの一番得意なのはあれだろ。だったらそれでやりゃいいじゃないか」
そう言って奥さんが示したのは、もちろん千葉助さんの紙芝居道具です。
さすがは奥さん、伊達に千葉助さんと何十年も暮らしていません。
よく解っていますね。
言われてしまった千葉助さん、額をバシンと叩いて仕事道具に向かいました。
そう、何か思うことがあれば紙芝居にすればいいのです。
奥さんに聞こえないように小声でお礼をつぶやいて、
おや、でもしっかり聞こえちゃっていますね。
奥さん笑ってます。
さて、千葉助さんは考え込みました。
さっきまでと同じことをやっているように見えますが、目の輝きが違います。
どうにもならない、どうにもならないと悩むより、あれはどうだこれはどうだと考える方がよっぽど健康的ですね。
千葉助さんがまず考えたのは、誰を紅蜥蜴の相手役にしようかということでした。
少年レッドや明智探偵は、公演でもぶつかっているのでよくありません。
それでは、紅蜥蜴はこうするべきだ、と大声で叫ぶようなものですし。
黒金博士じゃあ、紅蜥蜴のことをとやかく言える立場じゃありませんし。
怪紳士エックスはどうでしょう。
悠然と渋いところがあって、何人もの部下を抱えた貫禄のある彼なら……。
ああ、でも似た名前の怪人ドクロXが紅蜥蜴の部下になっちゃってますから紛らわしいですね。
そうするとドクロXの配下である貴公子デュークや千年杉のオババでは相手になりません。
紅蜥蜴はなかなか手強い相手です。
千葉助さんはまるで、紅蜥蜴と対決している明智探偵のように考え込みました。
これでよく紅蜥蜴を好きになれたもんだと感心してしまうくらい、紅蜥蜴は強い悪役です。
極悪さでは、今までの少年レッドの敵役たちとは桁違いでしょう。
そもそもやっていることが誘拐に殺人ですから、怪盗と呼ぶのも本来おこがましいですね。
怪盗……。
そのとき、千葉助さんの頭に良い考えが閃きました。
紙芝居なら電灯がともっているところでしょう。
怪盗を名乗る紅蜥蜴と戦うのに、これ以上の人物はいません。
そもそも、昨年の今頃はまだ少年レッドが誕生する前で、彼の紙芝居を作っていたこともありました。
情報交換で仲良くなった軍の大河原さんから詳しい話の顛末も聞いていたので、なんとかなりそうです。
帝都の有名怪盗二人による夢の対決にもなるでしょう。
千葉助さんはうきうきとしながら、お金持ちになったおかげでたくさん使えるようになった銀の絵の具を引っぱり出して、一枚目に題名を書きにかかりました。