帝都怪盗浪漫銀仮面
第一話「邂逅」




「すみれぇー、はやくぅー」
「はいはい」

 まったく、アイリスは元気である。
 すみれは半ばあきれながらも、一応その呼びかけに答えた。
 ここは銀座の百貨店の一つにある催場である。
 ずらりと人が並んでいる最後尾に、アイリスはちょこんとつけていた。
 周りの人間が、すみれとアイリスに気づくが、まあさほど問題ではない。
 軽く手を振って応える。

 何故、こんな所にいるのかというと、理由は色々ある。

 直接的な理由は、ここで英国から借りられてきた巨大なダイヤモンドが展示されているからだ。
 由里が仕入れてきた情報を聞いてアイリスが行きたいと言い出したのだ。
 そこで、すみれはアイリスと一緒に来たのである。

 しかし、すみれは本来、ダイヤなどに興味はない。
 宝石などで飾り立てるより、自分自身を美しくする方が性に合っている。
 贈り物としてもらったところで、嬉しくはないだろう。
 嫌いではないが、あえて見ようとも思わなかった。
 それなのに、わざわざ自分からアイリスにつき合うと言い出したのは・・・、何故だ。
 ようやく復興した大帝国劇場に、長い地方巡業を終えて帰ってきたというのに。

 そうだ。あのときのように、サロンでお茶を飲んでいても、何気ない顔で、だがしかし、誰よりも自分のことを気遣ってくれていた青年が、通りかかって話をしてくれることは、無い。
 少々の改築はあっても、昔とほぼ同じ姿で大帝国劇場があるからこそ、感じずにいられないのだ。
 彼の存在の欠落を、その寂しさを。
 あそこにいれば、嫌でも感じてしまう。
 すみれは今、自分がここに逃げてきていることを、認めたくはないが、わかっていた。
 彼が、海軍に戻って半年、太正十三年十月のことである。

「すみれー、どんなダイヤかな。たのしみだね」
「・・・そうですわね」

 一見、元気で楽しそうに見えるアイリスも、それを見慣れているすみれにはどこか違和感を与えた。
 違和感、というのは正しくないかも知れない。
 そう、そこにまるで鏡があるような感触。
 アイリスの瞳に映っている自分の顔と、同じ感触。

 あなたも・・・私と同じですのね・・・。

 すぐそばに、同じ思いに駆られている者がいる。
 馴れ合いは好かないが、しかし、悪い心地ではなかった。
 欠けた心の、ほんのわずかでも満たしてくれるから。

「それにしても・・・」

 声に出すつもりがあったのかなかったのか、辺りを見回しながらすみれはふとつぶやく。

「ずいぶんと、警備に当たっている警官の方が多いですこと」
「うん、なんだかピリピリしてるよ」
「こんな群衆の中で盗もうという愚か者もいないでしょうに」

 アイリスの言うとおり、周囲で警備に当たっている警官たちに間には物々しい緊迫感がある。
 その緊迫感に当てられてか、これだけの人間がいるにしては静かな方である。
 一方、警官たちは常に連絡を取り合い、一度にダイヤに近づく者をかなり制限している。
 ほとんど臨戦態勢と言っても良い。

「まったく、野暮ですこと」

 門番などと違って、パーティや催場の警備に当たる者というのは、普段は目立ってはいけないものなのである。
 その場に存在を感じさせない黒子のように目立たずに振る舞い、その会場の雰囲気をかき乱すことなく、しかし確実に任務を遂行するべきものなのだ。
 このように目立つなど野暮の極み。
 少なくとも、神崎家の警備に当たっていた者たちはこんな真似はしなかった。

 これは・・・、何かありますわね。

 すみれは一応の警戒をしておくことにした。
 もちろん、懐には携帯用の長刀を隠してある。
 彼らが発しているのはある種の敵意だった。
 どこか、ここにいない何かに向けたものだ。
 何かが、来るのではないだろうか。

 ともかく、警官がここまで警備をしていては、人間がはけるのも遅い。
 日没前には帰るつもりだったのだが、もう少し待たなくてはいけないようだ。
 どうせこれだけ人間が残っていては、閉店時間を先に延ばさざるを得まい。
 帰るのが遅れても、さほど問題ではない。
 認めたくはないが、むしろ、好都合なのだから。

 自分の心の弱さに、すみれがあきれたとき、
 不意に、視界が暗転した。

「!?なんですの・・・」
「すみれっ!」

 この階の照明が消えたのだ。
 窓には分厚いカーテンが掛かっていて、ほとんど何も見えない状態である。
 霊力のある二人は、人間の生命力を感知して、大まかな人の動きはつかむことが出来たが、それ以外の人間はほとんど恐慌状態に陥っている。

「なんだなんだ!」
「くらいよー!」
「出たか!?ヤツは!」
「気をつけろ!」

 重なる怒号の中に、やけに気になる言葉があった。
 どうやら警官たちのようだが、やはり、これは何者かの来襲なのか。

ドオオンッ!

 階の隅の方で派手な音がした。
 暗がりの中でさらに人々の叫びが大きくなる。注意がそちらに向く。
 警官隊がわらわらとそちらへ動いていく。
 すみれはその中で、ダイヤのある方向に目と耳を研ぎ澄ましていた。
 目的の方向とは全く違う方向に音を出すのは、初歩的な陽動である。

 一つだけ、ダイヤの方に近づいている気配がある。
 やけにはっきり感じた。

 これは・・・、妖力・・・!!

 微弱だが、この肌を刺すような感覚は忘れようもない。
 すみれの目が、帝国歌劇団の女優から、帝国華撃団の戦士のそれに変わる。
 懐から、長刀を取り出す。

「アイリス、済みませんけど、ここにいて下さいな」
「ええ?ちょっと、すみれぇ?」

 アイリスをそこに残して、人をかき分けながら進んでいく。
 その間に妖力の主はダイヤの方向から既に離脱し始めていた。
 方向は、非常階段だ。

「この神崎すみれの目の前から、易々と逃がしはしませんわ」

 足音を消し、気配を殺して妖力の主の後を追う。
 階段の途中で、警備員らしき人間が数人、いびきをかいて眠っていた。
 薬だろうか、それとも、そのような妖力の主の力なのか。
 そも、こんな所を動けるということは、人間大の大きさと言うことになる。

 まさか・・・、上級降魔だとでもいうの・・・?

 だとしたら、霊子甲冑の無い今の状況で勝てる相手ではない。
 しかし、それにしては妖力は小さめである。
 その代わり、周囲に香りが漂っている。
 薔薇の花のような匂いだ。

 六階建ての百貨店の、階段を上りきって屋上へ出る扉に出た。
 空いている。
 外の方が、少し明るい。
 屋上の上に、佇む人影が一つ。

 なるように、なりなさいな・・・!

 ここで引くつもりにはならなかった。
 なぜなら、自分は神崎すみれだから。
 長刀を携帯型から引き延ばし、構えのまま屋上に突入した。

「おや、今回はずいぶんとお早い行動ですね」

 人影は、背を向けたまま言葉をかけてきた。
 どこかかすれたような印象を与える声だった。
 肩まである長めの髪に、首から下は深い紫色のマントで覆われている。
 日没後、しばらく経って青から黒へと変わる空の下、照らしているのは、下界から漏れる街の光と、西に傾いた三日月。
 どこか、幽玄な雰囲気を漂わせた姿から、微かに薔薇の香りが漂ってくる。

「ずいぶんと洒落た盗賊さんですこと。ですが、こんな所に逃げてどうするおつもりかしら」
「何?」

 人影は、すみれの声に少しビクッとなって、こちらを振り向いた。
 その顔は、

「仮面・・・?」

 人影の顔は、銀色に光る整った仮面で覆われていた。
 あえて言うなら、眉間で交わる紫の斜め十字が表情らしき物をその仮面に与えていた。
 しかし、その仮面の内から発せられた声の方が、彼の表情を物語っていた。

「これは・・・、神崎すみれさん・・・」

 それは、驚愕。
 しかし、その中にどこか親しげな音色を含んでいた。
 それが、すみれの癇に障った。

「この帝劇トップスタア神崎すみれの名も、盗賊にまで知られては喜べませんわね」
「なるほど。しかし、大帝国劇場のスタアに、戦いの道具は似合わない。あなたには、眩しいスポットと万雷の拍手、そして人々の賞賛の声こそふさわしい」

 男の語り方も物腰も、あくまで優雅であった。
 確実に、上流階級の作法を心得た者のそれである。
 だが、戦いの道具、と言った。
 すみれが戦えることを、この男は知っているのだろうか。
 長刀を備えていることも・・・。

「わたくしをたかが女とみくびっていらっしゃるようね、盗賊さん」
「そうそう、盗賊という呼び方は止めていただけませんか。神崎すみれさん」

 すみれの棘のある言い方に構わず、男はあくまで優雅な態度を崩さない。

「盗賊でなければ、泥棒と申し上げましょうか?」
「私の名は・・・、いえ、私は・・・、銀仮面と呼んでいただきませんか」
「は?」

 あまりにも調子に乗った、しかし、この男の態度にはある意味実にふさわしい名前に、すみれはなんとも間の抜けた声を漏らしてしまった。
 銀仮面が、名乗る前に見せた、微かなためらいに気を向けることすら忘れてしまった。

「レディがそのような声をあげるのは、感心いたしませんね」
「・・・、本気で言ってらっしゃるの?」

 すみれは、視線こそ銀仮面からはずせないが、たぶん自分が鳥肌を立てているだろうことを確信していた。
 これが夜会で会った人間なら盛大に突き飛ばしているところだろう。
 しかし、この銀仮面と名乗った男に攻撃を加えるのは躊躇われた。
 5メートルほどの距離を隔てて立っているこの状況で、銀仮面は隙だらけといってもいい立ち方をしている。
 少なくとも、何らかの戦闘訓練を受けた人間ならこんな無防備な体勢ではいないはずだ。
 だが、それでも、神崎風塵流免許皆伝のすみれが踏み込むのを躊躇うほどの何かを、銀仮面は漂わせていた。

「私は本気ですよ。もう一度申し上げますならば、貴女の手に武器は似合わない」

 懐へ入れようとしたすみれの手がはっと止まった。
 携帯長刀を取りだそうとしたのがわかったのだろうか。

「今の私は貴女と戦うつもりはありません。人を待っているだけですから」
「待っている?」
「そろそろ来る頃でしょう」

 銀仮面の言葉が終わるか終わらないかの間に、階段から足音が重なって響いてきた。

「神崎すみれさん、少し下がっていて頂けませんか」
「・・・、その、神崎、に力を込めるような呼び方、止めていただけるかしら」

 どうも銀仮面に呼ばれていると、神崎家のすみれさん、と呼ばれているように聞こえるのだ。
 それは、すみれにとってはいくつか忌まわしい記憶を呼び起こすことでもある。

「そうしているつもりは無かったのですが・・・、わかりました。これからはすみれさん、とお呼びさせていただきます」
「ずいぶんと・・・!」

 あつかましいこと、と言おうとしたすみれの声は途中で途切れた。
 屋上にどやどやと人間が四人、さらに遅れて一人、入り込んできたからだ。

「見つけたぞ!今日こそ年貢の納め時だな!銀仮面!」

 五人の内の最初の四人は警官の服装で、そのうち三人は二十代ぐらいの若い警官だった。
 高らかに叫んだのは警官の中で一番年かさの、三十代半ばほどの男だった。
 彼の言葉を聞いて、銀仮面がふう、とため息をつく。

「威勢がいいが、ここに来るまでずいぶんと時間が掛かったね。塚本刑事」
「やかましい!屋上なんぞに逃げる貴様の方が阿呆なのだ!」

 確かに、塚本という刑事の言うとおり、銀仮面が逃げるのに屋上に来る理由がない。
 気球や飛行船を用意してあるならいざ知らず、屋上という場所はある意味で袋小路と同じなのだ。
 だが、銀仮面は一切動じる様子がない。

「少し派手に立ち回りたかったのでね。それより、招待に応じていただきありがとうございます」

 五人の内、唯一警官の服装をしていない男に向かって銀仮面は優雅に一礼する。

「貴君には、これより明日の新聞の一面をお贈り致しましょう」
「怪盗銀仮面の存在の公表と、その逮捕の知らせでな。当然盗んだダイヤも返してもらう」

 無視されて憮然とした様子の塚本が横から口を挟んだ。

「自信たっぷりのご様子だが、さて、その根拠のほど、見せていただこうか」
 
 銀仮面は、どこから取り出したのか、マントと同じ色のシルクハットを取り出してゆっくりとかぶった。

「すみれさん、下がっていて下さいね」
「そこの民間人、えーい、君もだ。危ないから下がりなさい!」

 塚本は、すみれともう一人の民間人に向けて怒鳴ると、腰のホルスターから拳銃を抜いて走り出した。
 後の三人も塚本に習う。

 すみれは違和感を覚えた。
 何故拳銃を持っている警官が、わざわざ相手との間を詰めるのだろう。
 射撃武器を持っていれば、丸腰の相手に対しては距離をとるのが鉄則であるはずである。
 花組においても、銃を使用するマリアは後方支援型の戦術をとるのが常だ。
 その疑問は、銀仮面が答えた。

「少しは学習したと言うことかな」
「ほざけ!」

 塚本が発砲した。
 彼我の距離は十メートルほど、どうやら足を狙ったようだが、外しようがない距離のはずだ。
 が、

ガツッ

「!!!」

 塚本の撃った銃弾は虚しく床を叩いただけだった。
 外したのではない。
 ねらいは正確だった。
 その場から、銀仮面がいなくなったのだ。

 速い・・・!

 横から見ていたすみれには銀仮面の動きをとらえることがかろうじて出来た。
 一瞬で、塚本の背後に回っていた。
 人間離れした速度だった。

「くっ!」

 それでも塚本は即座に体勢を立て直して、近くにある銀仮面の腕を捕らえようとした。
 その動きは決して素人のものではない。
 しかし、捕まえるより早く、銀仮面はシルクハットを右手に持ち、一振りした。

ボワッ

 シルクハットから白い煙が発生して、塚本を包んでしまった。

「まだ距離が遠すぎたのかな?今回も私の勝ちだね。塚本刑事」
「て・・・め・・・え・・・」

 強力な睡眠薬なのだろうか。
 塚本は立ったまま瞼をとろんとさせられ、床に倒れ込んで眠ってしまった。
 屋上に来るまでの階段で眠っていた警備員はこういうことなのだろう。

 しかし、塚本が倒れたことで銀仮面の周囲はがら空きになっていた。
 銀仮面がシルクハットを振るい終えたその隙を狙って、残りの三人が発砲した。
 さすがにあの体勢からかわせるはずがない。
 すみれでさえ、そう思った。

 だが次の瞬間銀仮面は、これまたどこから取り出したのか。
 細身の剣を手にして、飛んできた銃弾を全てたたき落としていた。
 
「なっ・・・!」
「そんな!」

 若い三人の警官はさすがに唖然となった。
 そして銀仮面はその隙に、十数メートルの距離を詰め、細身の剣を三回振るった。
 全て、刃でなく柄で急所を打ち、昏倒させてしまった。

「方陣三仙、絶識。さて・・・、!!」

 銀仮面が四人を打ち倒し一息つきかけたところへ、完全に不意打ちの形ですみれの長刀が迫っていた。
 この銀仮面の事情はよくわからないが、少なくともこの男はダイヤを盗んだ賊であるらしい。
 過去何度と無くこの刑事とまみえているようで、前科もあるようだ。
 なにより、銀仮面に対して感じる言いしれぬ感覚が、すみれを動かしていた。

「受けてみなさい!神崎風塵流!」

 近くに警官が倒れているので、効果範囲の大きい胡蝶の舞などは使えない。
 まして民間人が見ている前で霊力を振るえば、帝国華撃団の機密漏洩にも繋がりかねない。

 長刀に霊力を込めただけの一撃である。
 しかし、予備動作を一切抜きにして放った一撃だ。
 すみれには、避けられはしないという絶対の自信があった。
 それは、確かに正しかった。
 銀仮面は、避けなかった。

「円陣二仙、密壁!」
「!」

キイイィィィンッッ!

 細身の剣で、すみれの一撃を完全に止めて見せたのである。

「さすがは、帝国、華撃団のすみれさんですね。しかし、舞台とはまた違った美しさを拝見できて光栄ですよ」

 銀仮面は「華撃団」に力を込めていった。
 舞台とは違うと言うことは、「歌劇団」ではないということではないか。
 続けた言葉以上に、すみれには衝撃が強かった。

 銀仮面は、帝撃のことを知っている・・・!?

 その衝撃の間に、銀仮面は再びシルクハットを振るった。
 睡眠薬と察して、すみれははっと呼吸を止める。
 ところが、あらわれたのは煙ではなかった。

ばさばさばさっ

 あらわれたのは、十羽ほどの鳩である。
 鳩の羽ばたきですみれの視界が遮られる間に、すみれの手に何かが滑り込まされた。
 そして、すみれが意識を向けた次の瞬間には、銀仮面の姿は屋上を取り囲む敷居の上にあった。

「本日の舞台はこれにて幕を引かせていただきましょう。記者殿は、塚本刑事らが目を覚ます前に戻って、明朝の新聞を作っていただきたい。いくつかの資料もお送りしておきますよ」

 その言葉でわかったのだが、もう一人の民間人はどうやら新聞記者らしい。
 今、携帯用の写真機を構えて、銀仮面の姿を写していた。
 そんな高価な物を、仕事でもなければ持っているはずがない。
 銀仮面は、最初から新聞記事に載るために彼を呼んでいたということだろうか。

「では、またお会いいたしましょう。麗しのすみれさん」

 またも優雅に一礼すると、銀仮面は長いマントをばさりと外して、シルクハットの中にしまい込んだ。
 こんな屋上で別れの挨拶などして、どういうつもりかと、すみれが口を開こうとしたとき、驚くべきことが起こった。

「・・・そんな・・・!」

 銀仮面の背中から、一対の黒い翼が現れたのだ。
 すみれが思い出したのは、赤い月の下、帝撃を去っていったある女性の面影。
 銀仮面はもう一度だけすみれに顔を向けると、翼を広げて夜の銀座へと飛び出していった。

「銀・・・仮面・・・・」

 我知らず、すみれはつぶやいていた。
 すみれの手の中に滑り込んでいたのは、すみれすら今まで見たことのなかった、鮮やかな紫色の薔薇だった。


正式公開、SEGAサクラ大戦BBS平成十一年一月八日
第二話「挨拶」


すみれの部屋に戻る。
楽屋に戻る。
帝劇入り口に戻る。
夢織時代への扉に戻る。