聖闘士星矢
夢の二十九巻

「第二十三話、双児宮の近道」




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 星葬が行われていた。
 星闘士スタインは死ぬと星衣クエーサーを祭ることにより、主の小宇宙コスモのみが星衣に宿り、その身体は星となって天空に昇る。
 その儀式を星葬と呼び、生き残った星闘士は同朋の死において祭祀を務める慣わしとなっていた。
 今、金牛宮ではその星葬が七つ行われていた。
 その儀式に捧げるように、

「確かに、息絶えております」

 倒れた檄の脈と呼吸、それに小宇宙を調べ終えた青輝星闘士シアンスタイン乙女座バルゴのイルリツアの言葉が、今や広々と壁が払われた金牛宮内に、静かに響き渡った。

「間違い無いか」

 白輝星闘士スノースタイン大熊座ブルーインのクライシュを星葬し終えた青輝星闘士獅子座レオのゼスティルムが、かすかな疑念とともに尋ねる。
 アテナの聖闘士のしぶとさは既に承知させられていた。
 青輝星闘士四名の一斉攻撃に加えて、至近距離から鯨座カイトスのピアードによる必殺拳の直撃を受け、もはやピクリとも動かないとはいえ、それでも、死んでいないのではないかと思わせるものがあったのだ。
 今なお、牡牛座の黄金聖衣ゴールドクロスは檄の身体を覆い続けていた。
 その檄の眉間に人差し指をわずかに当ててから、イルリツアは頷いた。

「はい、小宇宙までも確かに。
 念のため、首を撥ねられますか」
「……いや、それはこの聖闘士達に対して礼を失することになろう。
 小宇宙まで絶えていれば、いかにアテナの聖闘士セイントが不屈とはいえ、生きていることはあるまい」

 イルリツアの提案に、ゼスティルムはかぶりを振った。
 もとより残虐な行いを嫌うゼスティルムである。
 この返事はある程度予想できるものだった。

「あえて我らが弔う必要もあるまい。
 時を置かずしてこの十二宮全体が聖闘士全ての墓標になろう」

 そう言いながらもゼスティルムは、立ち往生したままであった白銀聖闘士シルバーセイント小熊座アールサのクリュスの遺体を、檄の隣に横たえさせるように命じた。
 檄の遺体の胸にはピアードの星闘士カードが置かれ、クリュスの遺体の胸には天秤座ライブラのアーケインの星闘士カードが置かれた。
 これもある種の弔いと言えるかもしれない。

 一方、青輝星闘士ながら若年のために星葬を行う役が回ってこなかった射手座サジタリアスのマリクは、しばし手持ち無沙汰に宮外へ出ていた。
 火時計を見れば、既に金牛宮の火は消え、双児宮の火も勢いが落ちている。
 この金牛宮を突破するのに要した時間と犠牲とを物語っているようにも見えた。
 黄金聖闘士がいないとはいえ、聖闘士たちの団結力と底力を侮っていたわけではない。
 それでも、初戦ともいうべきこの金牛宮で赤輝星闘士クリムゾンスタイン五名に、ディルバルツとクライシュという白輝星闘士二名もの犠牲が出ることになるとは、マリクの覚悟を超えていた。




 覚悟はしていたことだった。
 十二宮全域の人員配置を考えれば、計算以上の戦果と評することもできるだろう。
 それでも、心穏やかになどいられるはずもない。
 アステリオンは仮の玉座から立ち上がって、そこに星闘士たちがいるかのように虚空を睨んだ。
 どんな思いでいるのか、どんな顔をしているのか。
 玉座の横に控えていたスパルタンには、サトリの法など無くても手に取るようにわかった。

「あれをやるぞ。いいな、スパルタン」
「言われずとも」

 スパルタンとしては、本当はアステリオンには無茶をさせたくは無かった。
 どう考えても二人がこれからやろうとすることは、二人の小宇宙の絶対規模に比して無茶以外の何物でもない。
 スパルタン自身、身の程知らずもいいところだと思う。
 だが、もはや危険性などとやかく言っていられるような状態ではない。
 戦況も、心境も。
 そんなアステリオンだからこそ、スパルタンとしても、小宇宙も命も預けることに躊躇は無かった。

 それはまるで、失われた二つの超新星に触発されて新たな星が生まれるかのように。
 アステリオンとスパルタンの身体には、新たに燃え上がる小宇宙がたぎりつつあった。

「もはや、星闘士たちは誰一人とて、双児宮から先へは進ませはせん!」

 振り返ったアステリオンは階段を登り、仮の玉座ではなく、あれほど座るのを拒み続けていた、かつて双子座ジェミニのサガが座していた教皇の玉座に腰を沈めた。




 星葬を終えた星闘士たちは、誰からともなく急いで石段を登り始めた。
 最後まで渋っていたアーケインも、金牛宮での犠牲に多くの責任があることもあり、強い反対は出来なかった。
 聖域サンクチュアリが仕掛けた罠であることは百も承知である。
 それでもなお、十二宮どこからも見下ろすことの出来るあの火時計に後れを取っているという事実は、無視するにはあまりに印象が強烈に過ぎた。
 そしてまた、予想以上の犠牲を出したことで、アクシアスら血気に逸る者らの闘志を抑えることが難しくなってもいた。
 そうとなれば宮と宮の間はそれほど長いものではない。

「着いた!」

 第三の宮双児宮。
 金牛宮と違い、両脇に優美な双子の浮き彫りがされた入口には、美術館や博物館のような印象を与え、むしろ来る者を拒まない風情でさえある。
 だがそこはかつてジェミニの双子が守っていた、聖域十二宮最大の難所と呼ばれた宮である。
 護る者の小宇宙によって、見た目とは裏腹に恐るべき迷宮と化したこの双児宮は、異次元にさえ通じていた。

 その程度の情報は既に皆が知っているが、しかし、今はもうジェミニの双子はいない。
 それに代わって生き残りの聖闘士が守っているとしても、もはや恐れるほどのものでは無いはずであった。

「何があろうと、そのまま力づくで突破するのみだ!」

 アクシアスが躊躇無く双児宮の宮内へと突入したので、後に続く面々も次々と雪崩れ込んだ。
 星衣のブーツが石畳を蹴る音が幾重にも木霊する。
 そこには聖闘士もいなければ黄金聖衣も無く、砦とすら言えた金牛宮に比して、なんともあっけなく突破できるかと思われた。
 あえて言えば、外見よりも少し長く感じられたが、それでもすぐに出口は見えた。
 だが、出口付近に立ちはだかる影がある。

「敵か!」

 アクシアスはその人影に向かって一息に床を蹴って飛びかかった。

「食らえええっ!ダブルホーンドスパイクゥッ!!」

 突進とともに両腕から放たれる拳圧が唸りを後ろに従えて、高速で人影に迫る。
 人影が迎撃しようと動いたが、この間合いならば殺れると踏んだ。

「タクティカル……って、アクシアス!!?」
「げええっっ!?」

 反撃しようとした人影は、驚愕したように、アーケインの声で喋った。
 思わずつんのめったアクシアスの身体を、人影ことアーケインは左腕の盾で受け止めつつ勢いを殺して、背後の空中に跳ね上げて投げ飛ばす。
 それでもなお勢い余って飛ばされた先には、地面が無く、下り階段によって下がる空間があった。

「がっっ!」

 目測が狂ったアクシアスは、受け身を取り損ねて頭から階段に落ちた。

「何事だ、一体……」

 冷や汗を拭ったアーケインは、渋々階段を登ってきたために最後尾となり、これから双児宮に入るところだった。
 そのアーケインの前に、続々と星闘士たちが双児宮から出て来る。

「痛……、アーケイン様、何故一足先にいらっしゃるんですか!?」
「バカを言え。オレは最後尾だったんだぞ。お前等が逆向きに走ってきたんだ」
「……ねじ曲げてきおったか」

 ゼスティルムが苦虫を噛み潰したような顔で双児宮の入口から出てきた。
 目の前に広がる下り階段を確認して、それから双児宮を振り返る。

「まさかとは思ったが、これが双子座の迷宮か。
 黄金聖闘士が全滅した今、為しえる者もいないと思っていたのだがな」
「サガならばいざ知らず、並の聖闘士が簡単に為しえるものではありますまい。
 まぐれで成功したのでは?」

 小宇宙一つで空間をねじ曲げるのがいかに難しいか、アーケインはよく知っている。
 伝説と化した神聖闘士ゴッドセイントたちでも容易に出来るものではないはずだった。
 それには絶大な小宇宙を必要とし、そしてかつ、小宇宙が強大なら出来るというものでもない。

「今一度確かめてみるか。今度は一斉に入るぞ」
「そうですな。これ以上の同士討ちは避けたいものです」






 再び星闘士たちが双児宮に突入する様が、脳の前方に展開されて見えていた。
 その状況をテレパシーでスパルタンに中継して、双児宮の状況把握を共有する。
 同時に脳の右前方部分に小宇宙を集中して、そこにスパルタンの念動力を受けて増幅し、脳の前方に展開している双児宮の姿をねじ曲げて改変する。
 その作り上げた双児宮の姿を、教皇の間から遙かに下に望む現実の双児宮と連結させて、星闘士たちの歩む空間座標を変換させた。

 アステリオンの全身は膨大な汗に濡れている。
 覚悟はしていたが、神の化身とまで言われた双子座の二人の真似をするのは、尋常ではない小宇宙を必要とした。
 一人では到底不可能だ。
 スパルタンと二人がかりでもおそらく無理だっただろう。
 それなのに今辛うじて双子座の迷宮を作り上げることができているのは、この教皇の玉座のおかげではないかとアステリオンは思っている。
 金牛宮で、アルデバランの遺志が檄を助けてくれたように、サガとカノンの二人の遺志もまた、自分たちを見守ってくれると信じたのだ。
 その思いは、裏切られなかった。
 かつてサガが座していたこの玉座は、あの絶大な小宇宙を覚えているかのように、二人の白銀聖闘士が双児宮へ届けようとする執念を助けてくれていた。

“ここまではうまく行ったが、次はどうする”
“二つに分ける。
 青輝星闘士全員を同時に相手にすると、金牛宮で見せた合体技を使われて力づくで突破されるおそれもある。
 一方を無限回廊に回して足止めしている間に、まず一方を異次元に送ってやる!”

 これは神聖闘士たちが十二宮に挑んだ際に、サガが採った手法である。
 しばし足止めしていた星闘士たちの座標を180度反転させて元に戻し、双児宮の入口に戻す。
 そして同時に、頭の中に描いたもう一つの双児宮を重ねさせる。
 二つが重なった双児宮を分割して、それぞれを実体化させる。
 現実には存在しないもう一つの宮を現実のものとして具現化させるのは、スパルタンの念動力だ。

「ぐ……ぁっっ!!」

 脳内に展開しているイメージに、自分とスパルタンの二人分の小宇宙が集中するだけで、既に許容範囲を超えているのだ。
 脳に繋がる血管はおろか、脳そのものが焼け付くかのような激痛が走る。
 元々アステリオンの第六感はサトリの法を始めとする精神的な面に長けており、物理的な干渉を行うと身体への負担が大きすぎることになる。
 それでも、許容範囲など無視することにした。

「燃えろ……オレの小宇宙よ……!」

 黄金聖闘士たちのうち、ムウやシャカのようにずば抜けた念動力や小宇宙の闘技を持っている者たちは、いずれもセブンセンシズに目覚める過程で、その前段階である第六感が極度に発達した者たちが多いと聞く。
 単に精神を集中させるだけでは、彼らに追いつくはずもない。
 肉体の限界にそのまま挑んでも、彼らの足下にも及ばない。
 当然にして小宇宙の強さでは、比較するのもおこがましい。

 だが、クリュスや檄がそうしたように、今生きている自分たちは、小宇宙を限りなく燃やして彼らの代わりとならなければならない。
 ならば、挑もう。
 精神力も体力も、一朝一夕で磨き上げることはできないが、小宇宙だけは本質的な限界など無いはずだ。
 どんな逆境からでも、小宇宙は限りなく高めることができる。
 神聖闘士たちは、あの星矢は、そうして伝説に至ったのだから。

 それゆえに、アステリオンの心の中には、決して表には出さない矜持がある。
 あの星矢を一度は倒した自分は、無様な姿を見せるわけになどいかないと。

 その覚悟は、傍にいて脳裏を共有しているスパルタンにもひしひしと感じられた。
 これが燃えずにいられようか。
 全身全霊全力を賭けて戦うことで、ようやくにして自分の償いも出来ると信じていた。
 シャカやムウに比べれば笑止千万であったとはいえ、かつて聖域一の念動力使いと呼ばれたものだった。
 その戯言が現実となってしまった今、せめて全力で手を伸ばし、彼らに追いつこう。





「はっはっは。これは十二宮名所案内ですな。
 さてどうしましょう、いっそ二つの宮の間を通って抜けてしまいますかな」

 またも双児宮の入口に戻ってきた星闘士たちの背後には、二つの双児宮が出現していた。
 振り返ったアーケインは苦笑混じりにそこらにあった小石を二つの宮の間に投げ込んでみる。
 小石は途中で二つにぶれたように見え、直後に消失した。

「止めておけ。本来一つしかないものを二つにしているのだ。
 下手をすればお前も二つに引き裂かれるぞ」
「アーケイン様が二人……」

 ゼスティルムの制止を聞いて、ぼそりと御者座アウリガのザカンが呟いた一言に、大半の面々が頭を押さえて呻いた。

「いや、私が二人か。それはそれで面白そうだ。やってみるか」
「恐ろしくろくでも無い結果になりそうです。普通に二手に分かれましょう」

 アーケインの言葉を遮るようにザカンはゼスティルムに進言した。
 これにゼスティルムも真顔で応える。

「うむ、私も同意見だ」
「なんだかそこはかとなく馬鹿にされた気がするんだが」
「気のせいです。でなくば被害妄想です。あなたらしくもない」

 とりあえず無理矢理にアーケインの反論を封殺して、星闘士全体を二手に分けることにした。
 一隊はゼスティルムとマリクを中心に、もう一隊はアーケイン、イルリツア、アクシアスを中心に編成した。

「分かれるのはいいですが、仕掛けた奴を叩きのめして力づくで突破しても構わないのでしょうな」
「構わん。我々を分断しようとするからには、どうせ中で何か仕掛けてくるであろうからな」
「結構。では勝手にやらせてもらいますよ」

 ゼスティルムの了解を取り付けると、アーケインは一隊を率いて右側の双児宮に向かった。
 先の金牛宮で、陛下の教えに背くのはこれで最後だと言った言葉に偽りは無いだろう。
 アーケインがその気になれば、最も効率的かつ無駄のない手段を平然と採るはずであった。
 あれで不思議と人望もある。
 その点では、ゼスティルムはアーケインを信頼していた。

「さて、我々も行くとするか。
 これだけの大仕掛け、長く保つとも思わぬが、急かしたのは貴様だぞ、教皇代行のアステリオンよ」

 ゼスティルムは十二宮の遙か上方を一度睨み付けると、マリクらを率いて左側の双児宮に突入した。
 入ってすぐに、走ってきたはずの入口が見えなくなった。
 何かが待ち受けていると踏んだのだが、何も出てこない。
 先ほどよりも遙かに長く感じられる宮内は、既に回廊めいていた。

「この期に及んでなお足止めするつもりでしょうか。
 僕たちを分断して、一隊を先に行かせてしまい、一隊のみを相手にするつもりのように伺えたのですが」

 首をひねったマリクの疑問は、ゼスティルムの見解と一致する。

「どうやら、我々全員を先へ進ませないつもりのようだな。
 アーケインたちを倒した後で、我々も倒すつもりなのであろう」

 これは走るだけ無駄と判断して、ゼスティルムは足を止めて周囲を見渡す。
 マリク以下、白輝星闘士らも合わせて足を止めた。
 光が入ってくる場所も見あたらないのに、不可視の光源でもあるかのように、宮内の床や柱ははっきりと確認できるし、お互いの姿も確認できる。
 完全な無限回廊の中に閉じ込められたことになる。

「白銀聖闘士程度の小宇宙でよくここまで実現させたものだと誉めてやるべきところだが……」

 生き残りの聖闘士では双子座の迷宮を再現することは不可能であろうと高をくくっていたのは反省せねばならぬとゼスティルムも思う。
 だが、別段この程度では、絶望的になるほどのことでもなかった。

「まだ未熟よな。己の小宇宙の出所をまるで隠せておらぬ」

 小宇宙をもってこれだけの幻影を作り出すからには、当然それだけの小宇宙が燃え上がっている箇所を突き止めることができる。
 熟練した聖闘士ならばまだしも、これを仕掛けてきているアステリオンは相当に無理をしていることが伺えた。
 十二宮の遙か先、おそらくは教皇の間であると思われる箇所から送り込まれている小宇宙は十分に感じ取ることができた。

 アステリオンが発する小宇宙からおおよその距離と方向を計ったゼスティルムは、胸の間に向かい合わせた両手の間に青く輝く小宇宙を燃え上がらせる。
 まるで恒星のように結集したその光を、右手で掴み上げ、そのまま天井を抜けて天空目掛けて投げ放った。

「受けてみよ!」

 双児宮の先、巨蟹宮から獅子宮、処女宮と、上空を彗星のように駆け抜けたゼスティルムの攻撃的小宇宙は、ほとんど一直線に教皇の間の上空まで到達すると、そこで流星のように落下に転じた。

「!!」

 アステリオンとスパルタンもこれに気付いたが、迷宮を作り上げている真っ最中のアステリオンは、テレポーティションはおろか身体を動かして避けることもできなかった。
 スパルタンも、アステリオンが脳内に作り上げている双児宮へ送り込む小宇宙と念動力を止めるわけにはいかなかった。
 ならば、

「おおおおおおっっっ!!!」

 スパルタンは念動力をアステリオンに送り込み続けながら、正確無比に玉座の上空、アステリオンの頭上を襲ったゼスティルムの攻撃的小宇宙に対して、教皇の玉座の背もたれの上に駆け上がった勢いとともに振り上げた右拳を叩きつけた。
 念動力を得意とする分、スパルタンは肉体派ではない。
 ゼスティルムの放った灼熱の小宇宙が、聖衣のナックルを貫いて拳から腕に突き刺さるかのようだった。
 遙か下の双児宮から放ったというのに、さすがは青輝星闘士のナンバー2というべきか、恐るべき威力を残していた。
 このままでは二人共に叩き潰されるか焼き尽くされるか……

「そうは……行くかあっっ!!」

 拳だけでは押し負けられると判断したスパルタンは、わずかに拳から力を抜き、瞬時に体勢を入れ替えて、オーバーヘッド気味に左脚を振るった。
 押し返すのではなく、受け流してアステリオンへの直撃を避ける。
 玉座から5メートルほど後ろの床面に着弾して、灼熱の小宇宙が炸裂した。

「くっっっ!」

 空中にいたスパルタンは爆風を受けて教皇の間の半ばまで吹っ飛ばされたが、それでもアステリオンに送る小宇宙と念動力は絶やさずにいた。
 代々の教皇が座した玉座は、今その座を預かるアステリオンの身を護り続けており、アステリオンはなお双児宮の迷宮を維持していたからだ。

「へっ……。そう簡単に、この聖域は落とさせねえ」

 ゼスティルムに向かって聞こえるはずもない啖呵を切って、スパルタンは、今の聖域の支柱である教皇代行の隣に戻り、再び双児宮に向かって小宇宙と念動力を限りに振るう。
 これからが勝負のしどころなのだ。




「……やるではないか」

 スパルタンの啖呵が聞こえたわけではなかったが、防がれるとは思っていなかったゼスティルムは思わず感嘆の声を漏らした。

「こうなったら、床や壁ごと蒸発させましょうか」

 さすがにマリクには今のゼスティルムのような超遠距離攻撃が出来るほどの技量は無い。

「止めた方がよいであろうな。
 二つに分けたとはいえ、我々もアーケインたちも同じ双児宮の中にいる以上、同士討ちになりかねん」
「では、彼らが力尽きるのを待つのですか」

 既に火時計が進んでいることが、無意識のうちにマリクを焦らせていた。

「いや、今頃アーケインたちは直接教皇の間と交戦していることだろう。
 奴の悪巧みに任せておけばほどなくこの幻影も消えよう。
 それまで休憩とする」





 そのアーケインたちの前には、

「おうおう、よくここまで再現したもんだ」

 黄金聖衣の中でも随一の防御面積を有する、双子座の黄金聖衣を纏った人物が立ちはだかっていた。
 さすがに星闘士全員の足が止まる。

「双子座の黄金聖闘士……まさか三つ子だったわけではないですよね」
「イルリツア、それが冗談なら笑ってやるぞ。何の小宇宙も感じないだろう」
「では、やはり幻影なんですね。構わず通りましょうか」

 見かけによらず、イルリツアは大胆なところがある。
 無論、彼女も青輝星闘士を名乗るだけの実力があるからなのだが、さすがにここはアーケインも止めるべきと判断した。

「待て待て。中身は幻影だが、あの黄金聖衣は本物だぞ。甘く見るな」
「本当ですか?」
「宝物に関する私の感覚を疑うのか」
「……いえ、失礼しました。それなら絶対に間違いはありませんね」

 にっこりと、心底納得したような顔で頷かれるとそれはそれで不本意な気がしないでもないアーケインである。

「ふー。同僚に信頼されているってのはいいもんだ」
「とにかく、あいつを倒してしまえばこの双児宮の幻影も消えるんでしょう。
 アーケイン様、とっととやってしまいますぜ」

 相変わらずの調子のアクシアスを止めるのは難しそうだ。
 金牛宮でクライシュを倒された怒りのぶつけどころを探していたのかもしれない。

「死なんようにな」
「は?たかが幻影ごときで止められる我らではありませんぞ。
 中身の無い幻影などこの一撃で消し去ってくれるわ!」

 アクシアスの小宇宙が燃え上がるのに触発されて、他の星闘士たちも黄金聖衣に向かって対峙する。

「消え去れ亡霊!」

 総勢十人ほどの一斉攻撃が、双子座の黄金聖闘士の姿をした幻影に向かって殺到し、

「何!!」

 ものの見事に跳ね返ってきた。

「やはりな」

 アーケインは予め予期していたように割り込んで、相変わらずどこからともなく取り出した剣で、跳ね返ってきたアクシアスたちの拳圧を切り裂いた。
 七支刀と分類される刀に似た、左右に合計七つの分かれた叉を有する剣だ。
 本来の七支刀は主刀身に左右各々三つの叉を有し、主刀身と会わせて七つとなるが、この剣はそれよりも一方だけ叉が多い特殊な剣だった。  一瞬の静止の後、アーケインの剣撃の方が勝ったらしく、アクシアスたちの拳圧は霧散する。

「な、何だ今のは……」
「先ほど入口に戻されたのと同じ原理だ。
 空間をねじ曲げて、正面から入ってきたものを180度ひっくり返して戻したに過ぎん」
「アーケイン様、予想していましたな」

 先ほど、死なんようにな、と言った言葉の意味がよくわかったザカンがわずかに非難のこもった視線を向ける。
 金牛宮での奇行はさておき、アスガルド攻めでアーケインと不本意ながら同行して以来、アーケインという人物の性格が大体読めてきた。

「まあ、半々よりは可能性が低いと踏んでいたのだがな。
 奴らの力量では不可能だと思っていたが、双子座の黄金聖衣が絡んでいるとなると、サガの小宇宙が助けている可能性も考えられた。
 現教皇代行め、思ったよりやるようだが、そう幾度も返せはせん」

 七支刀を軽く振り回してから、アーケインは双子座の黄金聖衣の正面に構えた。

「二撃目だ。返せるかぁっっ!」

 空間をも引き裂きそうな剣撃が最上段から双子座の黄金聖衣に振り下ろされる。
 教皇の間から幻影を操っている二人にも、容易ならざる一撃だというのは即座に察することが出来た。
 素通しして返すのに形成する必要がある空間が幅広く、さらには刀が有する七支のせいか、一撃が四段階の層を為して連なっていた。

「返して、やらいでかあっっ!」

 精神集中しているアステリオンの分までもと、スパルタンは裂帛の気合いとともに叫んだ。
 このアーケインは、金牛宮において、二人の修業時代からの友であった小熊座アールサのクリュスを殺した男だ。
 何が何でも、仇をとってやらねば気が済まぬ。
 二手に分けた星闘士たちのうち、先にこちらの一隊から始末しにかかった最大の理由がそれだった。
 意地に賭けて、四層分全ての威力をねじ曲げて、アーケインに直撃させる軌道で送り返す。

「フッ、返すのが遅い……!」

 その間にアーケインは体勢を翻し、七支刀の逆側、四つの叉がある側の刃を振るった。
 先端部と合わせて合計五段階の層を為す剣撃は、先ほどアーケイン自身が放った剣撃と相殺し、最後の一層は再び双子座の黄金聖衣に迫った。
 今一度の返しは……間に合わない……!

 この黄金聖衣があって初めて自分たちが双子座の迷宮を作り出せていることくらい、スパルタンもアステリオンもとうに気付いている。
 かつて不滅を謳われた黄金聖衣は、もちろん、アーケインのこの一撃程度では傷一つ付かないだろうが、纏う者無しに幻影として存在している以上、聖衣が分解させられるおそれは十分にあった。
 その場合、果たして双子座の迷宮を維持できるか……。
 ぶっつけ本番に近いこの状態で実験する気にはならなかった。

「止める!」

 かつては数十キロの距離から飛行機一つを念動力で軽々と呼び寄せたことのあるスパルタンである。
 いかに離れた場所であっても、アステリオンの脳内を通じて見えているのであれば、見えているのと同じことだ。
 瞬時に黄金聖衣の前面に念動力の壁を展開して防ぎにかかった。
 剣撃に押されて壁が揺らぎ、わずかながら威力が突き抜ける。
 だがそこまでで防ぎきった。

「フン、よく凌いだというところだが、限界が見えているぞ。
 次で最後だ。この双児宮の幻影もろとも消し飛ばしてやるぞ!」

 両手で剣の柄を握り直したアーケインが青く輝く小宇宙を燃え上がらせる。
 幻影を展開しているアステリオンにとっては、真っ正面に対峙しているに等しいプレッシャーがかかる。
 ふざけてはいても、さすがに星闘士たちが一目置くだけあって、他の聖闘士たちとは明らかに格が違う。
 そして手にしている武器もまた、それ単体で相当の威力を発揮しうる名剣だと見て取れた。
 次の攻撃を果たして返せるか。
 アステリオンは悩んだ。

“……出来るだけ戦力を削ぎ落としてから仕掛けたかったが……”

 対象となる星闘士は二十余名。
 加えて、既にここまで双子座の迷宮を作り出すだけでも、己の小宇宙の範疇などとっくに超えている。
 これ以上が出来る自信など皆無だった。
 だが、迷っている暇は無い。
 返せないのであれば、もはややることは一つだ。
 かつて自分が倒したあの男は、己の小宇宙の範疇も限界も、そんなものなど全て踏み越えて伝説にまで至ったのではなかったか。

“……やるぞ、スパルタン”

 脳裏に、全身に、描いた双児宮に、あらん限りをさらに超えて、黄金聖闘士の位を目指して小宇宙を燃え上がらせる。
 
“おう!”

 呼びかけに応えて燃え上がるスパルタンの小宇宙がアステリオンの小宇宙と重なり、さながら二重銀河のように渦巻き、集まり、高まり、その中心で、開くものがあった。

「!!危ない!」

 双児宮で真っ先に異常に気付いたのはイルリツアだった。
 人型をした双子座の黄金聖衣が両手を掲げ、その間にアステリオンとスパルタンの小宇宙が集中し、
 直後に、星闘士たちが立っていたはずの石畳が消失し、闇の中に光の線となって浮かび上がる直交座標系の上に立っており、そこで出し抜けに重力が消えた。
 座標系を構成する平行線が交わるほどの果てしない彼方に光が見えたかと思うと、惑星と銀河が渦巻くあり得べからざる異常宇宙への扉が開く。

“アナザーディメンション!!!”

 双子座のサガが得意とし、かつて神聖闘士の氷河を異次元空間に飲み込ませた小宇宙の闘技である。
 消失した重力に替わって、その光の彼方へと向かう引力が出現し、双子座の黄金聖衣を除いた全てが開いた扉の向こうへと吸い寄せられていく。
 アクシアスやイルリツアといった青輝星闘士ですら例外で無いその中で、

「全員……こいつに捕まれえええっっっ!」

 アーケインは、どこからどうやって取り出したものか、自分の身長より大きな錨を担ぎ出して、先ほどまで立っていた直行座標系へ投げつけた。
 その錨に繋がる鎖もまた長大な代物であり、確かに全員掴まってもなお余裕がありそうである。
 その鎖を広げて星闘士たちに掴ませる一方で、当のアーケイン本人は鎖から手を離して彼方の光へと吸い込まれて行く。

「何をやっているんですか!!アーケイン様!」
「あー、ザカンかー!丁度いい、お前も来ーい!」
「はあ!?」
「ザカンに……リーガン、テライアもか。まあいいだろう」

 偶然鎖から離れてしまった赤輝星闘士楯座スキュータムのリーガンと、同じく赤輝星闘士燕座スワロウのテライアも、何がなんだかわからないままアーケインに付いていくことになった。

「アーケイン様!何をされるのですか!」

 イルリツアが小宇宙を集中させて四人を引き寄せようとするのを、アーケインは首を振って止める。

「元凶から絶ってくるからしばらく待っていろ!すぐに迷宮ごと消滅させてやる!」
「元凶から……?」

 一瞬考えたイルリツアは、アーケインが何をしようとしているのかに気付いて目を丸くした。

「まさか……そんな無茶な」




 一方アステリオンとスパルタンは、荒い呼吸をしながらも、かすかに安堵していた。

“行ったか、アステリオン。奴は……アーケインは、異次元に消えたか……?”
“ああ、テレポーティションが使えるのでも無い限り、アーケインが双児宮に戻るのは不可能だ”

 渾身の一撃をまさかこんな風に防がれるとは予想だにしていなかったが、それでも最大の目標を異次元に飲み込ませたという手応えがあった。
 クリュスの仇を取るという第一の目的もあったが、そもそもアーケインという男の危険性を、アステリオンはこの短時間でもひしひしと感じていた。
 幻影に対する対処法といい、アナザーディメンションに対する即座の反応といい、全星闘士中最も厄介な男であるという評価はまず覆りそうにない。
 だがそのアーケインを異次元に送り込んだ今、残りの星闘士たちも異次元へ飲み込ませてやるまでのことだ。
 アナザーディメンションの穴はまだ消えたわけではなく、イルリツアたち残りの星闘士はアーケインの叩き込んだ錨一つで異次元への入口へ向けて浮いている状態だ。
 この錨を断ち切れば、残りの星闘士もまとめて葬り去ることが出来る。

 スパルタンは、操っている双子座の黄金聖衣に力を込めてその腕を振るわせる。
 双子座の黄金聖衣を通じて念動力を振るうが、アーケインの打ち込んだ錨の鎖は存外に頑強だった。

「そんなことをしている暇があるのかしら?」

 錨を伝って直行座標系に戻ったイルリツアは、異次元への圧力を受けながらも、双子座の黄金聖衣へ向けて平然と笑って見せた。
 彼女の小宇宙が錨を強化している可能性もある。
 錨の前にイルリツアをまず倒すべきだと判断して、イルリツアに攻撃を仕掛けようとした。

 だが双児宮に攻撃を仕掛けるその前に、教皇の間にいるスパルタンの全身が警報の様に総毛立った。

「!!」

 瞑想している最中のアステリオンは即座に動くことができない。
 それに連動して集中していたスパルタンも即座に身体が動くものではなかった。
 それでも具体的な危険を視認する前にスパルタンは、ほとんど反射的にアステリオンもろとも短距離テレポーティションしていた。

 直後に、アステリオンが寸前まで座っていた教皇の玉座が宙に吹き飛ばされた。
 次いで、重く響く音が玉座のあった空間に突き刺さる。
 よく見ればそれは、先ほどアーケインが双児宮に打ち込んだものと同じ錨であった。
 その錨にもまた鎖が繋げられており、その鎖は、教皇の間の中央部分で空間を引き裂いて出現していた。

「よくかわしたな」

 どこからともなく、いや、その鎖が出現した箇所の向こう側から声が響いた。

「ま……まさか……」

 中空にピンと張られた錨の鎖を横から眺めながら、スパルタンは全身に冷たい汗が流れるのを止めることができなかった。

「ありえない……断じて、それだけは……!」

 錨をかわした際のテレポーテイションで瞑想が解けてしまったアステリオンも、余りに信じがたいその情景を見上げて絶句することになった。
 まず、中空に出現した鎖の端に並んで、鎖を掴む手が出現した。
 次いで空を割くようにして現れる、星衣に覆われた腕、肩、そして出現した顔は、見間違えようもない。

「天秤座の、アーケイン……!」

 名前を呼ばれたその男は、空間を一息に押し広げて全身を出現させると、ひらりと宙で一回転し、教皇の間の絨毯を蹴り飛ばすように着地して、不敵に笑って見せた。

「フッ、何がありえないと言った?」
「無理だ……、絶対に出来ないはずだ!
 この十二宮では、テレポーテイションに長けた牡羊座のムウでさえ、宮を飛び越えてテレポーテイションすることは出来なかったんだぞ!
 双児宮から教皇の間まで、九つも宮を飛び越えて来るなど、そんなことが……!」

 思わず絶叫するアステリオンも、数度確かめてみたのだ。
 アテナの結界は、アテナが気力を喪失している現在でもなお効力を有しており、十二宮を移動するには己の足で歩いていくしかないという結論は揺るがなかった。
 これは念動力に長けたスパルタンでも同じことで、喩え空を飛んでいったとしても宮を飛び越えることは叶わなかったのだ。
 だが、アーケインの答えは理不尽かつ明確だった。

「フッ。何を寝ぼけたことを言っている。
 先に神聖闘士どもがこの十二宮に挑んだとき、白鳥星座の氷河は双児宮から天秤宮に落ちたというではないか」
「!!」

 二人の目が驚愕に見開かれた。
 だがその驚愕は、恐るべき説得力も有していた。
 ありえないと思っていたことが、紛れもなく、起こっていた。
 神聖闘士たちの偉業という、どうにも否定しようのない絶対の証拠とともに。

「納得したか?そういうことだ。
 異次元を通れば十二宮のショートカットは可能になる」
「アーケイン様、最初からこれを狙っていましたな……!」

 アーケインが出現した鎖の中空から、カペラの聖衣によく似た星衣を纏った男、白輝星闘士、御者座アウリガのザカンが姿を現し、次いで二人の赤輝星闘士も姿を現した。

「もちろんそのつもりだった。
 あの手の幻影を解くには、仕掛けている本人を攻撃して瞑想を解くのが一番手っ取り早い。
 今頃、双児宮は通れるようになっているぞ」

 ザカンの舌鋒にはもう慣れてしまったアーケインは、傲然と胸を張った。




 アーケインの言う通り、アステリオンの瞑想が解けると同時に、二つに分かれていた双児宮は一つに戻り、宮内でゼスティルムの隊とイルリツアの隊はしっかりと再会した。

「イルリツア。アーケインはどうした?」
「元凶から絶ってくると仰って、異次元に飛び込まれました。
 ザカン、リーガン、テライアを引き連れていらっしゃいます」
「……まさか、直接教皇の間に乗り込んだか」

 ゼスティルムとしても、アーケインが何かするだろうとは思っていたが、まさかここまで無茶をするとは予想していなかった。
 いくらアーケインが少々異次元に詳しいからといっても、飲み込まれてしまえば永遠に異次元をさまよう可能性もあるのだ。
 だが、どうやらアーケインはその賭けに成功したらしい。
 既に双児宮の出口ははっきりと見えており、その向こうに巨蟹宮へと続く階段が見えている。
 その出口の前に立ちはだかっている双子座の黄金聖衣は、先ほど放っていた不気味な小宇宙を既に失い、まるで彫像のようであった。

「もはや遮るものはあるまい。
 アーケインのことだ、教皇の間のことは自分でなんとかするであろう。
 行くぞ」
「で……ですが、ゼスティルム様……これは」

 そう、小宇宙は既に感じられない。
 それなのに、この聖衣には何故かまだ言いしれぬ威圧感があった。
 陰と陽、背中合わせになった双子の顔は、一人で善と悪の心を抱いていたサガの象徴でもあり、そしてまた、その双子の弟カノンをも暗示させられる。
 今代最強とも謳われる二人が纏った双子座の黄金聖衣は、主を失い、操る者を失ってもなお、その魂を受け継いで双児宮を護ろうとしているかのようだった。

「サガめ、あやつらに手を貸しておったな」

 生き残りの聖闘士がやらかしたにしては、この双児宮の仕掛けは出来過ぎている。
 ゼスティルムは舌打ちしたものの、同時に浮かんだ苦笑いには微かに賛美の色があった。

「陛下を散々邪魔したあげく、なお我らの前に立ちはだかるか。
 神のような男とは、よく言ったものよ」

 轟と燃えさかる青炎がゼスティルムの右拳から燃え立つ。
 小宇宙を全力で燃え上がらせたその拳を、至近距離から直接に全身の力を注ぎ込んで、双子座の黄金聖衣に叩き込んだ。
 言いしれぬ威圧感ごと吹き飛ばすこの一撃で、装着形態が崩れて分解し、四本腕に双面が背中合わせになったオブジェ形態に纏まった。

「貴様が長きに亘って食い止めた努力もこれまでだ。
 間もなく陛下は神話の時代からの覚醒を果たされる。
 せめて魂の残り香でも残っているというのなら、そこで聖域が崩れる様を見届けるがいい」

 ゼスティルムは、双子座の悪の面が向いた側を、あえて見せつけるように歩いて通り抜けた。
 続いてイルリツアが微かに笑みを浮かべながら、双子座の善の面が向いた側を通り抜ける。

「ゼスティルム様、お珍しいですね」
「何がだ?」
「十二宮はまだ9つ残っているというのに、そこまで確定的におっしゃるなんて。
 まさか、聖闘士を見くびられたわけではありませんわね」
「……そうだな、いささか急いているのかもしれぬ。
 聖域を攻め落とした後で、陛下をお迎えせねばと思ったまでだろう」
「そうですね。カノン島にいらっしゃるのですから、この戦いが終わればお迎えにあがりましょう」
「よし行くぞ。
 これから先はもはや全員でかかる必要もあるまい。
 倒すべき者を残して先へ進むことにする。
 皆心せよ」





「道理で……。
 ということは、あの異次元技が来ると予想していたのではなく、わざわざこいつらに撃たせたんですな。
 返せる回数に限度があることを煽って」

 ザカンは苦り切った顔で、確認するというよりは詰問するという口調でアーケインに詰め寄った。

「いや、まったくもってその通りなんだが、なんでこいつらじゃなくてお前に怒られないといかんのだ」
「他に安全な方法は無かったんですか!」

 叫んでザカンは、その場に膝をついてあえいでいるリーガンとテライアに視線を向ける。
 異次元と一口に言うが、正直言ってザカンですら生きた心地がしなかった。
 無重力なのはおそらく宇宙空間と同じなのだろうが、直行座標系から離れるとともに、自分の身体の占める空間すら不確かなものになったときには、自分の存在が根こそぎ変質して抹消されるかのような恐怖がこみ上げてきたものだ。
 聖闘士と戦って死ぬのならばともかく、異次元で星闘士としての自分はおろか、人間としての自分すら抹消されるというのは冗談ではない。
 アーケインの案内が無ければ、間違いなく異次元を漂流する残骸となっていただろう。
 もう二度とこんな真似は御免だった。

 白輝星闘士の中でも一二の屈強を誇るザカンが青い顔をしては、さすがにアーケインも悪いことをしたような気がしてきたので説明を入れる。

「オレも少々は異次元を使えるが、さすがにサガのようにはいかん。
 普通に異次元に落ちたのでは自在に動くことなど出来はしない。
 だが……今回は仕掛けたこいつら等が未熟だから助かった。
 双児宮からこの教皇の間まで道が開けていたからな」
「道……だと?」

 愕然となったアステリオンは思わず尋ねていた。
 もちろんアーケインはアステリオンたちに聞こえるように言っている。

「そうだ。お前たちごときの力でゼロから異次元への扉を開けることなどできはしない。
 だが一度異次元への扉が開いた箇所は二度目から開きやすくなる。
 お前たちが繰り出すとなれば、先にサガが開いた異次元への扉を自然と使うことになるのはわかっていた」
「くっ……。
 だが、双児宮から異次元に入ったとしても、氷河が落ちた道は天秤宮に繋がっているはず!
 どうやってこの教皇の間に来た!」

 サガに助けられたことは嫌が応でも納得せざるを得ないが、それでもこの教皇の間にたどり着いた事実があってもなお信じがたいことだった。
 異次元を少々使えるというが、どこまで本当かわかったものではない。
 このアーケインという男の考えを読むつもりで、アステリオンは叫んだ。
 質問すればそれに対する考えは少なくとも頭の表層に浮かぶというのが経験上わかっていたからだ。
 だが、考えを読むまでもなかった。

「シェインの奴がグラード財団からふんだくってきた情報の中に面白い記述があってな」

 アーケインは嘲るような笑いとともに素直に口を開いた。
 二人ともシェインという星闘士の名前は思い出せなかったが、どうやらグラード財団に遠距離攻撃を仕掛けてきて、星矢達の遺伝子情報をかっさらっていった星闘士のことだとすぐに思い至った。
 この時に同時に星矢達の戦歴について記録した資料の一部が奪われていることは聞いていたが、その内容までがわざわざ実戦部隊に回っているというのは、よほど用意周到な奴が星闘士側にいるのだろう。
 真っ先にアステリオンが連想したのは、かつて自分たちを一蹴してくれたアルゴ座のイルピトアの陰謀めいた顔だった。

「面白い記述、だと?」
「神聖闘士のアンドロメダが、双児宮からしかけたネビュラチェーンが、ロザリオのようなものを引っかけてきたという」

 アステリオンの顔から血の気が引いた。
 言葉を聞くより先にアーケインの考えが頭の中に入ってきたからだ。
 絶句してうめき声も出ないアステリオンの代わりに、スパルタンがアーケインの期待通りの答を返すことになった。

「まさか……それは、教皇に化けたサガが身につけていたもの!?」
「アンドロメダの角鎖スクエアチェーンは、敵が何光年の彼方にあっても見つけ出すという常軌を逸した能力を持っているそうだな。
 そのチェーンが、双児宮の迷宮を作っていた張本人であるサガを捉えたのだろう。
 つまり……双児宮からこの教皇の間まで、異次元の道が敷かれたことになる。
 それをたどれば、直接教皇の間に乗り込むことが可能だと考えたのだ」

 あり得ない。
 たったそれだけの情報で、異次元に突っ込むなど。
 わずかチェーン一本の道をたどってこの教皇の間にまで乗り込んでくるなど、正気の沙汰ではない。
 だがアステリオンが読んだアーケインの思考に嘘は無かった。

「たったそれだけの理由でこんなことやらかしたんですかあなたは!」
「成功率はざっと99%以上だと踏んでいたんだが。
 それでゼスティルムたちが双児宮を通れるならやるしかないだろう」
「…………どこからそんな自信が湧いてくるのか不思議ですが、わかりました。
 ひとまず納得します」

 やはり、こいつは、危険だ。
 アステリオンの全身が警報を鳴らしていた。
 この天秤座のアーケインという男は、底無しに危険だ。
 おそらくは正統派であるゼスティルムよりも、遙かに。

「さて、冗談はここまでだ。
 大方そちらが教皇代行のアステリオンってところか。
 お前に聞きたいことがある」
「……は?」

 聞きたいことがある、という言葉の時点で、アーケインがしようとする質問が頭に入ってきたアステリオンは思わず聞かれる前に聞き返していた。

「黄金の短剣は、どこにある?」

 一瞬の静寂の後、

「…………先ほどわずかでもあなたを見直した私がバカでした、ええ」

 ザカンが怒りに震える手で取りだしたソーサーを、味方のはずのアーケインに向かって投げつけようとする。
 それでアステリオンとスパルタンは、この星闘士がカペラの宿敵である御者座であることに思い至った。
 見てみれば星衣も同一とは言わないが雰囲気がよく似ていた。

「ザカン様、お気持ちは大変よくわかりますがここは敵陣の中枢です……!」
「とりあえずアーケイン様にもの申すのは聖闘士たちを片づけてからに!」

 ザカンは二人の赤輝星闘士、リーガンとテライアに危ういところで止められた。

「少しはオレの話を聞け。
 サガが14年前にアテナ暗殺を企てた際に使用し、つい先日もアテナが冥界に突っ込む際に用いたのが、俗に黄金の短剣と呼ばれる逸品だ。
 問題は、何故サガがわざわざこんなものを使ったのかということだ。
 しかもよりにもよって、武器は御法度の聖域でな」

 ザカンたちのみならず、こう言われてはアステリオンたちもアーケインに注目せざるを得なかった。
 確かにおかしい。
 サガが黄金の短剣でアテナを殺そうとしたと言う話は、サガが死んだ後の聖域では既に誰もが知っている逸話となった。
 だが確かに、黄金聖闘士の中でも屈指の実力者であるサガが、何故わざわざ短剣など用いたのかは、言われてみれば腑に落ちないところがあった。

「貴様等も想像はつくだろう?
 サガはそれを使わざるを得なかった……つまり、黄金の短剣を使わなければ、アテナを殺せなかったということを」
「まさか、トレミーが撃った黄金の矢も……」

 スパルタンが思わず口走ったことは、アステリオンも思い至っていたことだった。
 黄金の矢、そして黄金の短剣。
 聖域にあってはならないはずの武器が、いずれもアテナへの攻撃に使われている。
 それが意味するところは、

「そうだ。黄金の短剣と黄金の矢。
 これらはどちらも、神の防御の一切を無効化することができると考えるのが自然だろう。
 黄金の矢は余りにもったいないことに消失してしまったが、黄金の短剣は現に存在している。
 こんなものを聖域に置いていては、聖闘士どもに使われて陛下に害を為すおそれがある」

 ここでアステリオンはとっさに、アーケインの思考を読みとろうとした。
 星闘士たちの上に立つ存在は今でも謎のままだった。
 イルピトアと戦ったときにもその正体はわからなかった。
 しかし、アーケインが同じ青輝星闘士のイルピトアを陛下と呼ぶのは考えにくい。
 この陛下という人物こそが、星闘士たちの上に立っている存在であることはほぼ間違いないと思われた。
 せめて名前さえわかれば、そこから正体を突き止めることができる。
 陛下と呼んだアーケインの思考をたどって、陛下というものの名を探してみる。
 だが、

“無い……!?莫迦な……っ!”

 青輝星闘士として、今聖域に攻め込んできている星闘士たちの中でもゼスティルムに次ぐはずのアーケインが名前を知らないなどということがあり得るだろうか。
 だが、現にアーケインは陛下と呼んだ直後であっても、その陛下の名を意識に出すことが無かった。

「そんなわけでこれを回収するのは至上命題になる。
 ちんたらと十二宮を攻めていてはこれをどこかに持ち出される可能性もあるからな。
 だから直接ここを攻めることにしたわけだ。わかったか、ザカン」
「……どうせ後付けの理由でしょう。大体、どうしてここにあると踏んだんですか」

 アステリオンが心を読んだことには気付いていないのか、アーケインはザカンを相手に飄々と話を進めた。

「勘だ。……と言いたいところだが、これはおおよその推測がついていた。
 アテナがハーデス様の下に乗り込むときに自害したのはアテナ神殿だという記録があった。
 ならば黄金の短剣を保管しておく場所はこの教皇の間くらいしか考えられん」
「聖闘士たち、間違ってもこの方の言っていることを真に受けるなよ」
「もう少し信用して貰いたいものだが……まあいい。
 さあ聖闘士ども、もはや問答無用だ。いいから黄金の短剣を出せ」
「むざむざ渡すとでも思うのか」

 アステリオンはスパルタンと一旦目を合わせてから、星闘士たちに向き直った。

「まして貴様は、クリュスの仇……飛んで火に入る夏の虫とは貴様のことだ!
 この教皇の間から生かしては帰さん!」

 スパルタンは両手を開き、何かを捧げ持つかのような動きでゆったりと構えた。
 だが、その表情は激した声と同様に怒りに燃えている。
 こんな奴にクリュスが倒されたというのがなおさら許せなかった。

「食らえっ!インビジブル・ストーカー!!」

 両手を振るい、放つように手のひらを向けて突き出すとともに、アーケインを不可視の連打が襲った。

「なっっ!?」

 問答無用を実践しようとしてヒルダの槍を取りだそうとしたところだったアーケインは、見切るどころか全く見えない攻撃にバランスを崩して膝をつきかけた。

「この程度の攻撃でぇっ!」

 倒れるなど、青輝星闘士の名折れである。
 踏みとどまって顔を上げた先に、二人の姿は無かった。

「ブルートゥース・ハウンド・クロー!」
「ぬうっ!」

 瞬時にしてアーケインの左脇にまで詰めていたアステリオンの右手が猟犬の爪さながらに振るわれる。
 アーケインは舌打ちして左腕の盾で正面からこれを受け止めようとした。
 だがその直前でアステリオンの身体が沈み、

「グラウンダー・ハウンド・アタック!」

 受け止めようとした盾の下をかいくぐり、アステリオンの全身がアーケインに密着する寸前で伸び上がるようにして、その右足がアーケインの喉元を噛みきるように迫った。

 何故だっ……!

 アステリオンの動きは、アーケインの反応速度に比して決して速くはない。
 十二分に見切ることができるはずなのに、アーケインはギリギリまで身体を仰け反らせて、辛うじてアステリオンの蹴りをかわすことになった。
 それでもかわしきれずに左頬が浅く切り裂かれる。

「くっ!」
「外したか……っ!」

 必殺の気合いで望んだアステリオンだったが、外されたのを確認するとその勢いのまま一旦空中に逃れ、一回転して着地しアーケインに向き直った。
 一旦体勢を整えなければならない。
 本来なら、スパルタンとの左右同時攻撃で一挙にアーケインを仕留めるつもりだったのだ。
 それが、

「残念だったな」

 アーケインの右側から攻めようとしたスパルタンの動きは、瞬時にして反応したザカンが投げつけたソーサーによって阻まれていた。

「私たちがいることも、忘れて貰っては困るわね!」

 ザカンのソーサーをとっさにかわした先に、燕座の星闘士……テライアと楯座の星闘士……リーガンの二人が詰め寄る。

「インビジブル・ストーカー!」

 迎撃すべくスパルタンが両手を突き出して繰り出した攻撃は、しかし、リーガンが構えた身長と同じくらいもある巨大な盾に阻まれた。

「行け、テライア!」
「ええ!」

 テライアはリーガンの構えた盾の影から躍り出ると、そのまま宙を滑るかのように軽やかな動きで曲線を描き、スパルタンに迫った。
 広げた両の腕がまるで燕の羽のように振るわれる。
 拳というよりも、剣の一閃を彷彿とさせた。

「ターニングウインド!」
「ぐうううっっ!」

 スパルタンは両腕を交差し、念動力を集中して眼前に不可視の盾を形成してこれを防ぐ。
 それでも白銀聖衣の表面にうっすらと筋状の傷が入った。

「こいつら……っ!」

 二対四の人数差があるとはいえ、もっとも警戒すべきアーケイン以外は何とかなると踏んでいたが、どうもそう簡単に勝たせてくれそうにない。
 そもそも青輝星闘士のアーケインに一応の敬語を使っていることから、御者座の星闘士ザカンは白輝星闘士か赤輝星闘士であることは推測でき、そのザカンに残る二人が敬語を使っていることから、ザカンが白輝星闘士であり、あとの二人は赤輝星闘士であると推測された。
 だが、楯座の星闘士の防御力も、燕座の星闘士のスピードも、決して侮れないものだ。
 一対一ならどうとでもなるが、人数で劣るこの状況では気を抜けない。

「赤輝星闘士だからといって、この二人を舐めない方がいいぞ、白銀聖闘士。
 貴様等聖闘士における青銅聖闘士と違って、赤輝星闘士にはかなり幅がある。
 特にリーガンの盾は、小宇宙を高めることで白輝星闘士の星衣以上の防御力を発揮する」

 ザカンが牽制気味に声を掛けてきたのは、こちらを追いつめる意図があるからだろうかとスパルタンは踏んだが、その言葉はどうやら嘘ではないように思えた。
 事実、リーガンは以前アスガルドに出向きながらも役に立たず、倒れている間に髪の毛座の赤輝星闘士ティアムを死なせてしまったことで奮起し、戻ってきてからの数日で急激に小宇宙が増大していた。
 ザカンの言葉には、彼をさらに鼓舞する狙いもあった。

「自己紹介が遅れた。オレは御者座アウリガのザカン。白輝星闘士だ」
「今ご紹介に預かった、赤輝星闘士楯座スキュータムのリーガンだ」
「私は燕座スワロウのテライア。同じく赤輝星闘士です」
「で、オレが……」
「名乗らなくても既に知られてます」
「……」

 アステリオンを牽制しつつ名乗ろうとしたアーケインだったが、二の句が継げずにザカンに恨みがましく視線を向ける。

「それならこちらもオレが名乗るまでも無いだろうが……」

 アステリオンはスパルタンに視線を向けるとともに、一つの指示をテレパシーで送った。

「オレは白銀聖闘士、……牛飼い座ボーテスのカルプリットだ」

 スパルタンは指示通り、その場しのぎの偽名をでっちあげる。
 罪人、という意味の単語である。
 スパルタンは名前こそ聖域随一の念動力の持ち主として知られていたが、その星座を知る者はほとんどいなかった。
 星座については名乗ってもおそらく問題は無い。
 だが、スパルタンの名前を名乗ると、過去の星矢たちとの戦いの記録から、スパルタンが仕掛けている技の正体がばれる可能性があると考えられた。
 ただでさえ人数差があるこの状況で、手の内を知られるのは極力避けておきたかった。

 一方で、アステリオンはわずかな疑問を抱いていた。
 先ほどアーケインは、自分がアーケインの動きを読んで攻撃を仕掛けたとき、意外そうな顔をしていなかっただろうか?
 もしかしたらアーケインは、自分がサトリの法を使えることを知らないのかもしれない。
 だが、冷静に考えるとそれはまずありえないはずだと思われるのだ。
 チェーンに絡まったロザリオのような些細なことまで調べ上げている星闘士陣営が、既に一度星闘士のトップたるアルゴ座のイルピトアが戦った、しかも聖域の教皇代行の座に就いている者の技について伝えていないなどということが、あり得るだろうか。
 それだけではない。
 そもそも星矢と直接拳を交え、一度は星矢を破っている自分の能力と存在は十二分に知られているはずなのだ。
 過去の記録にもスパルタンより遙かに多くの記述があったはず。

 しかし、先ほどのアーケインの動きは演技にしては自分に危険すぎるものだった。
 もうほんの少し読むのが速ければ、アーケインの片目くらいは奪えていたかも知れない交錯だった。

 まさか、という思いがあった。
 星闘士内部にも若干の争いはあるようだが、それ以上に、イルピトアは星闘士たちに情報を伏せているのではないだろうか。
 そもそも、イルピトアは何故あのとき、自分とエルドースを殺さなかったのか。
 殺す気ならば自分の首だけでも刎ねておくことはできたはずだ。
 イルピトアは、本当に、敵なのか……?

「さて、黄金の短剣のありかを白状する気がないなら、とっとと吐かせるか」

 ぽきぽきと指を鳴らしつつ笑ったアーケインの剣呑な声によって、アステリオンの思考は中断させられた。
 即座にアーケインの思考を察したアステリオンはスパルタンの手を引いてとっさに横に飛んだ。
 直後に、背後から唸りを上げて重量物が大気を裂いてアーケインの手に収まった。

「ちっ……わざわざこっちに注意を向けさせたというのに、勘のいい奴め」

 それは、先ほどこの教皇の間に突入するときに打ち込んだ巨大な錨だった。
 いつの間にか背後に這わせた鎖を引き寄せたのである。
 油断も隙もあったものではない。

「この錨はな、伝説のアルゴ号に用いられたという逸品なんだぞ。
 少しは箔を付けてくれてもいいだろうに」
「で、それがなんで二つもあるんですか。偽物でしょう。あなたともあろうものが」

 双児宮でもこれと同種の錨を床に打ち込んだことを思い出したザカンが横から辛辣な指摘を挟んだ。

「……確かにこいつはイルピトアをからかうためだけに入手した精巧なレプリカだが、ザカン、お前はオレの敵か味方かどっちなんだ」
「あなたが誠実である限り味方です」
「努力はしよう」

 見た目以上の重量があるそれを、アーケインは八つ当たり気味にもう一度無造作に投げつけた。
 わずかに遅れて、二人が避けるであろうコースを塞ぐように、

「グレイトバレイトラック!!」

 ザカンの投げつけたソーサーが石畳を引き裂きつつ迫ってくる。
 避けることは出来る。
 しかしその避けるコースへ、テライアが飛び上がろうとしているのをアステリオンは察知した。
 アーケインたちがこちらの手の内を知らないのならば、まだテレポーティションが使えることは知られたくない。
 ならば、

「そんなレプリカごときで俺たちを倒せると思うなあっっ!!」

 床を蹴り全身を矢のようにした蹴撃を、唸りを上げて迫ってきた錨に叩き込み、これを粉微塵に粉砕する。
 ガマニオン製か何かのようだったが、命のある星衣ならばいざ知らず、ただの物質なら原子を砕く聖闘士に砕けないものはない。
 一方、ソーサーの初撃を錨の粉砕で空いたスペースに避けることで星闘士たちの呼吸をはずし、

「ここだ!」

 弧を描いて背後から戻ってきたそのソーサーを、スパルタンは手刀に念動力を込めて迎撃し、床にたたきつけた。

「あいにく、ソーサーの使い方は見慣れているんでな!」
「……ほう」

 その一言に、ザカンの目の色が変わる。

「では、貴様は御者座アウリガのカペラという男のことを……」
「知っているさ。オレも、アステリオンもよく知っているとも」
「シェインが奪ってきた情報の中にも、カペラの情報はほとんど無かった。
 教えて貰おうか。
 それくらいの義理は果たしてくれてもよかろう?」

 ザカンは白輝星闘士とはいえ、青輝星闘士のアーケインを容赦なく問い詰めることが出来るだけあって、さすがに迫力がある。
 それに二人としても、カペラの宿敵を相手に、カペラのことを話さないでいるつもりもなかった。
 顔を見合わせて頷いてから、まずスパルタンが口を開いた。

「奴は俺たち白銀聖闘士の同期生の中では物静かな男として知られていてな。
 自らの拳を使うことはほとんど無く、座したまま空間を支配すると言われたものだ」
「ほう。それは……」

 さすがに同じ御者座だけあって、ザカンはその言葉の意味するところを即座に察したようだ。
 すなわち、空間を支配するとは、周囲360度変幻自在にソーサーを操っていたことに他ならない。
 聖衣に搭載されることが許されていることからもわかる通り、ソーサーは本来武器ではないものを道具として使った、いわゆる装身具の闘技に属する。
 だが、アンドロメダチェーンのように鎖が繋がっているわけではなく、完全に独立したソーサーを自在に操りながら、なおかつそのソーサーに聖闘士としての威力を持たせるには尋常でない技術と小宇宙が要求されることが、星座を同じくするザカンにはよくわかった。
 中心にブラックホールを抱えて星々を回転させ従える銀河のごとく、小宇宙をたぎらせたソーサーを自在に従える御者の姿が目に浮かぶようだ。

「ただし、それは表向きの姿でな」
「何?」

 アステリオンの声には、打算抜きの懐かしさが滲んでいた。

「オレと、ダンテ、アルゴルの三人だけは、一度だけカペラが激したのを見たことがある。
 同行していた同じく白銀聖闘士のモーゼスが瀕死の重傷を負わされたときのことだ。
 カペラは自らの身体が傷つくのも構わず、全身荒れ狂う彗星のように敵陣に特攻して全てを粉砕した」

 誇らしいとはいえ、同時に、そのときに抱いた畏れを思い出して、アステリオンの笑顔は微かにひきつったものになった。

「そのときオレたちは悟った。
 カペラは馬車の御者なのではなく、その身に秘めた猛馬を駆る戦車なのだとな。
 以来、カペラが出向くときには必ず地獄の番犬座ケルベロスのダンテが傍に付くようになった。
 いざとなったときに、鋼球鎖で縛り付けてでも、カペラを止めることができるようにな」
「ふ……ふふふふふ……そうか。
 それは、いい……」

 ソーサーを握りしめるザカンの顔に、抑え切れぬ不敵な笑みが湧き上がる。

「そして、つくづく残念でならん。
 カペラは神聖闘士フェニックスの一輝に倒されたそうだが、ならばおそらく噂に聞く幻魔拳とやらを受けたか。
 正面から戦って、たやすく負けるような男ではなかったのだろう、わが宿敵は!」

 笑みは抑え切れぬ闘志そのものであり、それでもなお収まりきらぬ小宇宙がザカンの全身から燃え立つ。
 強大でありながら、しかし、その燃え立つ小宇宙の気配は、アステリオンとスパルタンにとって不快ではなかった。

「もちろんだとも。
 少なくともオレはそう信じている」

 アステリオンの返事に迷いは無かった。

「感謝するぞ。
 では、カペラとこのオレと、どちらが上か、貴様等の記憶と小宇宙に尋ねるとしよう!」

 吼えるザカンの全身から燃え上がる小宇宙が、両手に握られた四枚のソーサーに集中していく。
 白く輝く小宇宙に彩られたそれは、もはやソーサーというよりも、一つ一つが渦巻銀河のように見えた。

「こいつは……」

 手強い。
 アステリオンは掛け値なしにそう感じた。
 カペラの話を聞いて火が付いたザカンの小宇宙は、激したときのカペラに匹敵……もしかしたら上回るかもしれない。
 だが、亡き友の誇りに賭けて、それを認めることは断じて出来ない。
 共に修行に明け暮れた、自分の全力を以て、それを否定するのみ。

「いいだろう、応えてやる!」
「フッ、小気味よいことだ!
 いくぞ、ギャラクティック・ホイール!」

 四つの渦巻き銀河を両腕両脚に装着し、その燃え盛る小宇宙を吹き上げつつ突進して。ザカンはアステリオンに襲いかかった。
 その動きを読んではいたが、アステリオンはこれに真っ向から立ち向かった。
 教皇代行としての目ではなく、猟犬星座の聖闘士としての鋭い目が、突進してくるザカンの首筋を捉える。

「ブルートゥース・ハウンド・アタック!」
「効くかああっっ!!」
「何っっ!?」

 アステリオンの繰り出した掌底は正確だったが、ザカンの燃えさかる小宇宙が上回った。
 首筋の寸前でアステリオンの指がザカンの小宇宙によって阻まれていた。
 だが、アステリオンも負けてはいない。

「貴様……伊達に教皇代行をやっていないということか」

 ザカンの突進もまた、アステリオンの腕一本で止められていた。
 ザカンの言う通り、アステリオンとて頭脳や第六感だけで教皇代行を名乗るつもりはない。

「この程度ならば、カペラには到底及ばない……!」
「ほざいたな!ならばこれではどうだ!!」

 ザカンは至近距離で、両腕に装着したソーサーを両手に持ち替えて、わずかに跳ね上がり、上空から一対のソーサーを振り下ろす。

「ギャラクティック・カリジョン!」

 アスガルドで神聖闘士の氷河に完敗したとはいえ、その敗北から学ばない星闘士ではない。
 ザカンの小宇宙も、星闘士としての戦闘能力も、あのときより成長していた。
 ソーサーから星々が溢れ、さながら銀河衝突の様を見せるその攻撃は、今ならば神聖闘士でも打ち破れる自信があった。
 だが、ここは相手が悪い。
 アステリオンはザカンのその動きを予め察知していた。

「!!」

 一対の銀河が衝突し、アステリオンが避けるより早くその身体を塵に変えたように見えた。
 だが、あまりにも手応えが無さ過ぎる。
 ザカンは異常だと察した。
 いくらなんでもこれほど脆いはずが……

「上かっっ!!」
「その通り!」

 降り注いだ声と同時に顔を上げれば、そこには無数のアステリオンが浮かび上がっていた。

「残像……?こんなものでこのオレを止められるものか!
 フリーレイン・ハーシュリー!!」

 ザカンは即座に攻撃に転じた。
 両脚に装着していたソーサーに小宇宙を込めて、御者座が本来駆る馬の姿を映した攻撃が上空を駆け抜ける。
 だが、かき消えるはずの無数のアステリオンは、まるで消滅する気配がない。

「ザカン!気をつけろ!そいつは空気プリズムだ!」
「空気……プリズム……?」

 ザカンには初耳の単語であった。
 かといって即座に何であるか見抜いたアーケインに尋ねるのは癪だが、思わず聞き返していた。

「確認する間など、やると思うか!」

 スパルタンはその間に念動力による拳を無数に放つ。

「何っっ!」
「インビジブル・ストーカー!」

 姿が無く衝撃だけの技であるスパルタンの念動力が、実体が無くとも姿が無数にあるアステリオンの空気プリズムと合わさることで、まるで攻撃の出所がわからなくなる。
 これを食らう星闘士たちにしてみれば、空間全域から攻撃が仕掛けられてくるように見えた。
 そしてまた、アステリオンの空気プリズムは、瞬間的には実体を持たせることができる。

「うおおおっっ!」
「ぐうっっ!」

 テライアとリーガンはこの多重攻撃に押されて身動きが取れない状態であり、ザカンは辛うじて凌いでいるものの、スパルタンの演じるインビジブル・ストーカーに惑わされて、アステリオンの正確な位置を掴み損ねていた。

「こしゃくなあっっ!!」

 一撃必殺ではないが、じわじわと当たってくる攻撃にいらついたアーケインは、ミョルニルハンマーを取り出して、不可視の攻撃の出所を見極めて投げつける。
 だが、インビジブル・ストーカーなどスパルタンの演技であって存在しないので当たるはずもない。
 もちろん、アステリオンは無数に展開する空気プリズムの中の本体がミョルニルハンマーに直撃しないようにかわす必要があったが、それをかいくぐってしまえば、

「これはそういう……、しまっ……!」
「食らえ!ミリオン・ゴースト・アタック!!」
「インビジブル・サポーター!」

 幾千のアステリオンが一斉に舞い降りて、四人を強襲する。
 アーケインですらも、ミョルニルハンマーを投げつけた直後でかわしきれなかった。
 そのアステリオンの攻撃を繰り出す右足に、スパルタンの小宇宙が念動力として集約し攻撃力を倍加させる。
 さすがにアーケインの星衣こそ砕けなかったが、あとの三人の星衣はそこかしこから破損させられ破片が飛び散る。

「ぐっ!」
「おのれええ!」
「きゃあああっっ!」

 アーケインとザカンの二人が膝を突き、テライアとリーガンが倒れた。
 だが、それだけでは済まなかった。

「アステリオン!」
「ぐあああっっ!!」

 ザカンに蹴りを加えた直後の体勢で、アステリオンの背中で銀河が炸裂していた。
 それは無論、ザカンが先ほど投げたソーサーの一つが激突していたのに他ならない。
 必殺技を繰り出した直後の隙を直撃したため、アステリオンはほとんど無防備でこの一撃を受けることになった。
 骨の折れる音とともに吐血しながら、アステリオンは己のうかつさを呪った。
 気付いて然るべきだったのだ。

「カペラと……同じかっ!」
「そのようだな。
 オレは常にソーサーが戻ってくるように、投げる癖がついているんでな」

 アステリオンはザカンの思考を読んではいたが、ザカンがもはや無意識のうちにソーサーが戻るように投げていたため、その動きを読み切れなかったのだ。
 アステリオンに命中して弾かれたソーサーをキャッチしたザカンは、体勢を大きく崩したアステリオンに向かって、膝立ちから伸び上がるようにして、第二撃を加えようとする。

「させるかああっ!」
「そいつはこちらの台詞だ。
 もはやその手品は通用せん」

 アステリオンを助けようとしたスパルタンの眼前に、こちらも先ほどアーケインが投げつけたミョルニルハンマーが振り降りて床に突き刺さる。
 その間にザカンの一撃が炸裂した。

「チャリオッツ・カリジョン!!」
「がああああっっっ!」

 ザカンの体勢も十分で無かったが、振るわれたソーサーは、避けきれなかったアステリオンの右胸を強打して吹っ飛ばした。

「アステリオン!」

 スパルタンはとっさに、頭から床に落下しようとするアステリオンを念動力で支えていた。
 しまったと思ったが、それを見逃すアーケインではなかった。
 小馬鹿にしたようなハイキックが、無防備なスパルタンの顎を捉えて身体ごと宙に舞わせた。

「ぐああっっ!」
「アルバタイガー・クラッシャー!!」

 さらに振るわれた斧による追い打ちの一撃がスパルタンを直撃し、床を割り裂く衝撃波とともに、教皇の間の側壁に激突させた。
 だがそれでもスパルタンは集中力を途切れさせることなく、アステリオンの身体を空中で引き寄せて、自分の激突地点のすぐ近くに着地させた。

「やはりな。
 ペテン師め。何がインビジブルストーカーだ。
 お前は何も作り出していない。
 ここまでオレたちを叩きのめしてくれたのは、全て念動力の拳だったというわけだ」

 いずこから取り出したのか知れぬ斧を、これまたいずこかへしまいつつ、アーケインは納得がいったという風に頷いた。
 どうやらここまでやっていた工夫は完全に見抜かれたらしい。

「だが、ペテン師の割には今のは賢く無かったぞ。
 アステリオンを放り出して全力で念動力を防御に回せば、まだしもダメージが少なかったであろうものをな」
「あいにく……その選択肢は考えられんな」

 降り掛かってきた壁の瓦礫を払いつつ、スパルタンはふらつく両脚を叱咤して立ち上がった。
 アステリオンに罪悪感を覚えさせてはいけない。
 アステリオンが心を読めることは承知で、それでもスパルタンは無理にでも立ち上がった。

「俺のことなぞどうでもいい。
 だが、アステリオンだけは死なせるわけにはいかん。
 聖域に戻ってからわずか一日でよくわかった。
 今のこいつは地上の平和の要なんだ」
「何?」

 黄金聖闘士が全滅し、指導的な立場にある者が皆無となったこの聖域を守るために、この男がどれほどの努力を重ねてきたのか、スパルタンは痛いほどよくわかった。
 昨夜この教皇の間に皆を集めて告げた言葉は、アステリオンを次代の教皇と確信するに十分すぎるものだったが、その言葉を裏打ちするほどの努力もまた、スパルタンは見たのだった。
 かつてサガに支配されていた聖域は、黄金聖闘士たちを頂点とする厳格な規律の下に置かれ、まさしく地上の平和を守るための軍勢の根拠地であった。
 裏返せば、強大な黄金聖闘士たちに比べて、実力に劣る雑兵たちは極めて軽視され、聖衣を持たぬ者へのあからさまな蔑視が根強く存在していたために、教皇や黄金聖闘士たちへは敬意よりも畏怖が上回っていたものだった。
 だが、帰還してきたこの聖域は違った。
 黄金聖闘士亡き今、生き残った全ての雑兵の一兵卒に至るまでが、地上の平和を守る聖闘士としての自覚を持ち、自らが生まれてきた意義を果たさんと輝いていた。
 それほどの変化が、ひとりでに出来たはずはない。
 アステリオンが、血が滲むどころか、血を吐くような努力の末に成し遂げたに他ならない。

 それは一種、悔恨でもある。
 この男に比べて、自分からも逃げようとしていた自分のなんと矮小だったことか。
 だが、聖域全体の配置により、スパルタンはアステリオンとともに動くことになった。
 ならば今、自分のやることなど決まっている。

「教皇亡き今、地上の愛と正義のために、俺の命に替えても、断じてこの男は殺させはしない……!」
「莫迦を……言え」

 もっとも、そう言われて大人しくしているアステリオンではない。
 守られていてばかりなど、それこそ死んでいった者たちに申し訳が立たない。
 ましてこれ以上、目の前で友に死なれてたまるものか。

「地上の平和を守るのを、俺一人に押しつける気か。
 それは無責任というものだぞ、スパルタン……!」

 スパルタンの言葉に一切の裏表がないとわかっている分、逆にアステリオンの言い分はどこか冗談めいていた。
 もっとも、アステリオンの苦労を一日見た限りでは、案外本気かもしれないとも思う。
 だがいずれにせよ、孤高の王となることを避けるその態度は、スパルタンには好ましいものに思えた。

「フッ……そうだな。
 逃げ回っていたこの俺だ。
 これ以上無責任呼ばわりされてはかなわん。
 お前を守って、俺も図々しく生きるとしようか」
「ああ……そうしてくれ」

 お互いにニヤリと笑い合い、星闘士たちに向き直る。
 だが、アーケインの様子が変だ。

「クックック……ハッハッハ……地上の平和を守るだと?」

 右の手のひらで両目を覆い、のけぞるように笑うその様は、アステリオンでなくても莫迦にしていると一目でわかる。
 まるで隙だらけだが、しかし、そこには踏み込むのを躊躇わせるほどの威圧感もまたあった。
 一応なりとも味方のはずのザカンですら、気味悪そうに遠巻きに眺めているくらいだ。
 一通り笑って後にピタリと姿勢を戻し、スパルタンとアステリオンを睨め付ける。
 その眼光の鋭さは今までの比ではない。

「戯れ言を。
 何が地上の平和だ。
 貴様等聖闘士にそんな言葉を吐く資格など元より無い」
「何だとぉ……!」

 あからさま過ぎる挑発だが、それに乗らずにはいられない内容だった。
 地上の平和を守り、アテナを守るのが代々の聖闘士の使命だ。
 アーケインの今の言葉は歴代の聖闘士を侮辱したにも等しい。
 だが、挑発したにしては、アーケインの表情に笑みが無かった。

「!!
 っ、貴様、何が言いたい!」

 アーケインの心を読みとったアステリオンは、絶句しそうになるのを辛うじて堪えて外面を装い、心を読んだことを悟られないようにするのがやっとだった。
 その言葉を待っていたかのように、

「では聞くが、アテナがゼウスから地上を任されて数千年、この地上から戦火が絶えたときが一度でもあったとでも言うのか」

 告げたその言葉は、これまでアーケインが繰り出したいかなる攻撃よりも凄絶だった。

「貴様等聖闘士がいう平和とは、ポセイドンやハーデス様、アレスらとの戦いに負けていないという、ただ、それだけだ。
 本来ゼウスから地上の管理を任されたはずのアテナが、神々のケンカに付き合っている間に、どれほどの戦争が起こったと思っている」

 糾弾というよりも、それは呪詛の言葉に似ていた。
 アーケインの目はアステリオンを見つめているようで、その実、ここでない場所を見ている。
 危険を承知で、アステリオンはアーケインの脳裏に踏み込んだ。
 深層意識まではとてもたどることはできないが、アーケインが何かを思い出しているのであれば、それを読むことも可能だと考えたのだ。
 アステリオンの脳裏に、アーケインの脳裏の表層に浮かんだ景色がおぼろげに写される。

 ……戦場か?

 銃弾が飛び交う戦場ではなく、全てが終わった後のような戦場だった。
 比較的若い女性たちと、若者から老人までいる男性たちと、そして、子供たち。
 男女とりまぜたおびただしい数の死体が連なる中、母親らしき女性の死体に取りすがって泣いている。
 憧憬と憎しみを一緒くたにした視線の先にいるのは、金色の鎧を纏った少年……あれは、まさか、蟹座キャンサーの黄金聖衣!

 どういうことだ。
 これはアーケインの記憶している光景に他ならないはずだ。
 ならば、アーケインは、かつてデスマスクと会っていたというのか。
 確かにデスマスクは幾多の戦場に出向き、老若男女を問わず多くの人々を殺め続けてきたと聞いているが……。

 アステリオンは動揺を隠すことが出来なかったが、アーケインといえどその動揺が自身の記憶を読まれている故だということにまでは気付かなかった。
 ただ、その記憶からあふれ出る思いを刃のように突きつける。

「地上の平和を守ると言いながら、幾多の戦争を放置し、
 足下のバルカン半島で火がついてもなお、延々とこんなギリシャの山奥に引き籠もり続けてきた。
 地上を支配するのならば徹底的に支配すればよいものを、数千年に亘ってどれほどの死を見過ごしてきた。
 貴様等聖闘士がこの地上を預かる資格などとうに消え失せているわ!」

 怒りとともに放った八つ当たり気味の光速拳は、アステリオンたちではなく、倒れていた教皇の玉座を直撃した。
 代々の教皇が座り続けてきた玉座は、アーケインの一撃を受けても傷一つ付かなかったが、ごん、と鈍い音を立てて絨毯の上から外れて石畳の上を削ることになった。

「貴様ぁっ!」

 アーケインの心を読んでいたアステリオンはまだ冷静だった。
 しかし、立て続けの聖闘士に対する侮辱に加えて玉座への狼藉とあっては、もはやスパルタンには我慢できる範囲を通り越した。
 全身これ念動力の拳と化して、アーケインを殴りつけるために飛びかかる。

「力こそ正義……」

 その攻撃を避けることはできたはずだった。
 しかしアーケインは避けもせずに頬に受けながら踏みとどまり、こちらもスパルタンの顔面に直接生身の拳を叩き込んだ。
 打ち下ろしのフック気味に軌道を描いた拳は、スパルタンを頭から床に叩きつけて這わせた。
 さらに、転がったスパルタンの頭の上に片足を載せて踏みつける。

「勝たねば何も為しえない。
 如何に綺麗事を並べたところで、星闘士にせよ聖闘士にせよ、この道に踏み込んだ時からわかっているはずだ。
 それなのに貴様等は、サガやデスマスク、アフロディーテの正義を邪悪なものと切り捨て、耳を傾けてこなかった。
 にも関わらず黄金聖衣を操られては、サガも不本意であろうよ」
「サガやデスマスク、アフロディーテの、正義……」

 この時点でアステリオンの脳裏には、アーケインが何を考えているのかわかった。
 それはかつてアステリオンが、教皇に化けていたサガの心を読みきれずに疑問を抱きつつも、魔鈴にお前だけは教皇に仕えないだろうと言われつつも、それでもなお教皇に従った理由でもある。
 そしておそらく、乙女座バルゴのシャカが、サガを正義と信じた理由も同じだと思っている。

 教皇シオンを殺害し、自ら聖域に君臨しながらも、サガはこの地上を守ることに確固たる信念を持っていた。
 ゼウス、ポセイドン、ハーデスをも敵に回して臆することなく立ち向かおうとしていたのだ。
 強権的でアテナの聖闘士としては失格だったかもしれない。
 だが、教皇の名の下に派遣された聖闘士たちは、確かに悪を懲らしめてきたのではなかったか。
 他ならぬアステリオン自身、教皇の勅命により動いたことは一度や二度ではない。
 それは確かに聖闘士の本分から外れてはいた指令もあったが、最後の指令となった、星矢達の抹殺を除けば、それらの勅命が間違っていたとは今でも思えない。

「ゆえに、地上の平和の役にも立たないアテナがこの地上に君臨する資格など無い。
 だからだろう、サガがこれを使おうとしたのもな」
「!!」

 いつの間にか。
 スパルタンを踏みつけていたはずのアーケインは、先ほど転がした玉座の傍に移動してかがみ込んでいた。
 玉座の下に隠された引きだしが、転がされた衝撃でわずかに外れている。
 それを見逃すアーケインでは無かった。
 引きだしを固定した留め金を鮮やかな手つきで外し、中から小箱を取りだした。
 もちろん、ためらいなくその小箱を開ける。

「それは……!」
「そう、お前たちが黄金の短剣と呼んでいるものだ」

 ギラリと、重厚な輝きを持つ短剣が小箱の中から姿を現した。
 間違いなく、14年前にサガがアテナを殺そうとしたときに用いたといわれ、先のハーデスとの戦いにおいては今度こそアテナの命を奪うことになった黄金の短剣である。
 13年間教皇の玉座の下に収められたそれを、アステリオンは結局同じところにしまっておくことにしたのだった。

「やはりな……。これは金でもオリハルコンでもない」

 アーケインは柄を握りしめて、鈍く輝く刃を陶然と眺め回した。

「金でもオリハルコンでも無いとすると、それは……」

 ここまで、意外極まるアーケインの迫力に口を挟めずにいたザカンだったが、どうやらいつもの調子に戻ってきたところでようやく溜息をつくことができた。

「決まっている。神衣だ」
『なっっ!!?』

 さらりとアーケインはとんでもないことを言った。
 神衣とは本来、オリンポスの十二神だけが纏うことを許された究極の衣のことだ。
 だがその存在は伝聞でしか伝わっておらず、神衣を持っているはずのハーデス、ポセイドン、アテナのいずれも、神衣を纏ったという報告は無い。
 しかし、そもそも神々が纏うものであれば、確かに神々同士の防御を無効化することも可能なのかもしれない。
 黄金聖闘士であるサガが、黄金聖衣を纏ってではなく、わざわざ振るった黄金の短剣は、まさにその力を持っているとしか考えられず、黄金聖衣を凌ぐ物体といえば、神聖衣と神衣しかない。


「おそらくそうだろう。
 神衣丸ごと一つは確認されていないが、神衣の一部なら残っていても不思議ではあるまい。
 黄金の短剣、黄金の矢、いずれも黄金と呼ばれているが……少なくとも人間の世界の金属ではあり得ないな」

 その威力を確かめるように、アーケインは黄金の短剣を握り直し、

「つまりこの剣の前では、小宇宙による防御も、聖衣による防御も、何ら役には立たないということだ!」

 一閃!

「ガアアアッッ!!」

 アーケインは何ら小宇宙を燃やしたようにも見えなかった。
 そう振るうのを予期していたが、しかしそれに伴う一撃は、避けられるものではなかった。
 猟犬星座の聖衣が右肩から袈裟懸けに鋭く切り裂かれ、鮮血が吹き上がった。
 切れ味とかどうとかいう問題ではない。
 山羊座カプリコーンのシュラのエクスカリバーを連想させる、見事な切断面を見せていた。
 たまらずアステリオンはそのまま倒れ込みそうになる。

「アステリオン!」
「ぐ……」

 スパルタンの念動力ではなく、声がアステリオンを支えた。
 倒れてなるものか。
 アーケインの主張はある意味では正しい。
 サガの尖兵となったこともある自分にはそれを否定する資格があるのかすら疑問である。
 だが、言わずにはいられぬことがある。
 それは、倒れて言えることではない。

「この聖域を一掃し終えたら、用済みのアテナはこの短剣で始末してやろう。
 それで聖闘士の歴史は終わりだ」
「させるとでも思うか。
 貴様の言っていることは、神々の奴隷の言い分に過ぎん……」
「何?」

 アステリオンがあえて勘に障るように選んで言い放った言葉に、アーケインの眉がピクリと跳ねた。

「知恵の女神であるアテナが、気付かれなかったとでも思うのか。
 確かに聖闘士の力を以てすれば、世界を平定し支配することなど容易いことだっただろう。
 だが、アテナはそれをよしとはされなかった」
「ほう、言い訳を聞こうか、教皇代行」
「よほど義理堅い一部の者を除けば、俺達はアテナに敬称を付けない。
 それが何故か解るか」

 アステリオンが突然無関係のように思える話を始めたので、アーケインは首をひねった。
 だが、そのこと自体は、言われてみればその通りだ。
 ハーデス様にも敬称を付ける自分たち星闘士と比べるとかなりの違和感がある。

「わからんな、それが言い訳と何の関係がある?」
「アテナがそれを望まれたからだ。
 人は誰しも小宇宙を持っている。
 知恵の女神でもあるアテナが、我々人間にも等しく価値を認められ、君臨するのではなく我々の友であることを望まれたからなのだ。
 神々の威光を以て、聖闘士の力で圧政を敷いて平和になったところで、そんな世界は人間のものではない。
 わかるか。
 アテナがゼウスから地上を任されたのは、断じて家畜を飼い慣らすためではない!」

 ギリ、とアーケインの奥歯が鈍い音を立てた。

「そうやって人間に任せ続けたために、この数千年でどれほどの死体を積み重ねてきた!
 流された血の重さを知らぬ者の戯言だ!」
「……珍しく、貴方に賛同したくなりましたよ」

 激昂するアーケインに荷担するように、ソーサーを手にしたザカンが確かに珍しい好意的な笑みを見せてその傍に立った。

「あなた様がゼスティルム様に一目置かれる星闘士であることをようやく納得致しましたわ」
「ええ、貴方は確かに私たちの上に立つ青輝星闘士だった」

 テライアとリーガンもザカンに続く。

「ええいどいつもこいつも……お前等、誉めたつもりか。
 だが、わかればいい。
 そこの教皇代行を仕留めて、人間が人間を虐げてきた歴史に終止符を打ってやるとしよう」

 戦意十分の星闘士たちは、じわりとアステリオンに迫る。
 だが、

「ああ、俺たちは間違っていなかった……!」

 倒れていたスパルタンの身体から爆発的な小宇宙が燃え上がる。

「アステリオン、お前を教皇に選んだシャイナやエルドースは正しかったよ。
 お前が教皇でよかった。
 いいだろう、誰かは知らんが神々の奴隷たち。
 人間が相手になってやる!」

 既に満身創痍ながら、魂の奥底から小宇宙が湧き上がってくる。
 小宇宙が燃えている限り、聖闘士に限界などありはしない。
 何度でも、立ち上がるのみ!

「ならば貴方から、教皇の盾となって死になさい!」
「アーケイン様にしたたか痛めつけられたその身体で何が出来る!」

 テライアとリーガンの二人が同時にスパルタンに襲いかかった。
 スパルタンも確かにそう思っていた。
 だが、そんなものは自分が思っているだけの限界だ。
 視界全てを覆うように念動力を展開する。

「インビジブル・ウォール!!」
「何!」
「これは……!」

 二人の突進がまさしく壁にぶつかったように止まる。
 ムウのクリスタルウォールのように念動力を物質化させることはさすがに出来ないが、スパルタンは力を込め続けることで実質的な障害を生み出しているのだった。
 続いて投げつけられたザカンのソーサーも、不可視の壁に激突して跳ね返る。

「まだこんな真似が可能だったとはな……だが、そう長く続くものではあるまい!」

 即座にスパルタンの限界を見破ったザカンは、壁が尽きる瞬間に備えて小宇宙を高める。
 それに加えて、

「待つまでもない。
 こちらにこれがあることを忘れていないか!」

 アーケインが黄金の短剣を再び取り出した。
 それならば確かに、念動力による防御など問答無用で切り裂くだろう。

 だが、スパルタンも勝算無しに時間制限のある無茶な防御を展開したわけではない。
 先ほどからアステリオンが目を閉じて、静かに佇みながら小宇宙を集中させていたのを承知していたからだ。
 一度も見たことはなかったが、アステリオンの力を考えれば、静止状態から繰り出す技は想像が付く。
 閉じた瞼をカッと見開くとともに、星闘士四人を一挙に視界に捉えた。

「サウンド・オブ・サイレンス!」
「!」
「!!」

 四人は反射的に耳を押さえた。
 確かにそれは音に似ていた。
 だがすぐに気付いた。これは音ではない。
 精神を駆けめぐり、脳髄を焼き尽くすような衝撃だった。
 アステリオンの得意とする、ある意味では黄金聖闘士をも凌ぐテレパシー能力を、小宇宙を最大限に高めた上で攻撃的に放ったのだ。
 相手の精神に話しかけ、精神を読みとるという領域を飛び越えて、相手の精神を直接破壊しにかかる。

「があああああっっっ!」
「ああああっっっ!」
「こん……な技をっっっ!」
「ぐ……お、のれえっっ!」

 これではソーサーを投げることはおろか、短剣を振るうことすらできない。
 身体の中を走るような形のない激痛に痙攣しながら、取り落とすことがなかっただけでもさすがというべきか。
 いや、それに留まらないのが青輝星闘士の誇りだった。
 アーケインは震える手で黄金の短剣をしまうと、懐中から装飾の付いたロッドを取り出した。
 それを、震える手を無理矢理押さえ込み、指先だけで細かく動かす。
 最初は空中に何かを描いているようにも見えたが、それは楽団を指揮する指揮者のタクトの動きだった。
 そのタクトの動きに合わせて、大気や石畳から奏でられるように湧き上がった音が、アステリオンに叩きつけられる。

「こ……れは……!」

 これで勝負を決めるつもりだったアステリオンには予想外の遠隔攻撃だった。
 しかも、単なる圧力を持った音ではなく、この旋律もまた、脳裏に直接反響し、精神を侵そうとする力を持っていた。
 ぐらりとアステリオンの視界が歪む。
 目標を見失いかけるところだったが、小宇宙をさらに燃え上がらせて、直接星闘士たちへの攻撃に集中する。
 特にアーケインを攻撃の中心に据えて圧力を強めた。
 アーケインも右手の指先に神経を集中してアステリオンへの攻撃を緩めない。
 アステリオンとアーケインの気力の激突だった。

 その激突自体は互角だったが、一つ違いがあった。
 アステリオンは四人同時に攻撃をしかけていたが、先に攻撃を受けていたアーケインは、攻撃の対象をアステリオン一人に絞ることしか出来なかったのだ。

「この俺がいることを忘れていないか!」

 もはや壁役である必要がなくなったスパルタンは、アーケインが身動きできないこの隙に一気呵成に倒してしまうべく念動力を集中する。
 先ほどは無理だと思っていた無茶が出来た。
 ならば、無数の念動力を当てるだけだった攻撃だけでなく、一撃必殺の攻撃とすることも、今の自分の小宇宙ならば不可能ではないと思ったのだ。
 前方に、アーケインに向かって突きだした両手に、自分の今までの限界を超える念動力を集中する。
 もはやこれは念動力というよりも、破壊力そのものだ。

「行けええええっっ!!
 インビジブル・デストロイヤー!」
「!!」

 アステリオンの攻撃に集中的に晒されているアーケインに、これを避ける手段は無かった。
 しかし、

「させるものか!防げ!我が命の盾よ!」
「何!?」

 スパルタンとアーケインを繋ぐ線からわずかに逸れていたはずのリーガンが、スパルタンの放った破壊力の前に飛び込んできた。
 アステリオンがアーケインに重点を置いた分、残りの三人への攻撃力がわずかに弱まっていたのだ。
 楯座スキュータムの名にふさわしく、その盾を正面に構えてスパルタンの必殺技を受け止めようとする。

「止められるものなら止めてみろ!」
「止めてやるとも!!」

 リーガンの盾が、黄から白へと輝きの色を高めていく。
 スパルタンもアーケイン最大の隙をリーガンもろとも叩き潰すべく、念動力をさらに叩きつけて押し切ろうとする。
 均衡は一瞬。
 ピシリ、とリーガンの盾に亀裂が入った。

「俺の……小宇宙よォォッッッ!」
「何!!」

 リーガンの盾が砕け散る寸前に、白い輝きがわずかに一瞬青にまで行き着いたのだ。
 スパルタンの念動力はリーガンの星衣を破壊したが、粉々になったはずの盾の破片は、その最後の輝きを伴って、インビジブル・デストロイヤーをその場で霧散させてしまった。
 そればかりか、リーガン最期の執念はアステリオンのサウンド・オブ・サイレンスをも遮った。
 同時にアーケインが振るっていた音も途切れ、アステリオンとアーケインの二人の姿勢がぐらりと揺らぐ。
 その一瞬に、テライアが飛び出した。

「ゴーン・スワロウ!!」

 先にスパルタンの壁に遮られる寸前まで詰め寄っていた彼女は、床の一蹴りでアステリオンに肉薄した。
 アーケインとの激突に集中していたアステリオンは、ほとんど捨て身とも言えるこの一撃を避けきれなかった。

「危ない!!」

 スパルタンはとっさに短距離テレポートでアステリオンとテライアとの間に割って入った。

「ガハッッ!!」

 瞬間的に星衣が光り輝き、受け止めたスパルタンの白銀聖衣に激しく亀裂が入る。
 それでもなんとかテライアと組み合うようになった体勢から、彼女の身体を巴投げ気味に投げ放とうとして、その場であることに気付き、躊躇した。

「既に……」

 アステリオンのテレパシー攻撃を受け続けてなお攻撃に転じれたことを誉めるべきだろう。
 生きている敵ならばともかく、死した敵の遺体を投げ捨てることは、聖闘士の礼節として躊躇われるものがあった。

「貴様ああっっ!!」

 そこへザカンが怒りの形相で突っ込んだ。
 念動力を使うスパルタンを前にしてはソーサーが止められると判断したというよりも、半ば逆上しての攻撃だった。

「チャリオッツ・ランペイジ!!」

 燃え立つ小宇宙が形作る四頭の悍馬を以て、スパルタンもろともアステリオンを轢き殺さんとする突進だった。
 だが、スパルタンがテライアの遺体を投げ捨てていなかったために、仲間の遺体を傷つけることを躊躇したのだろう、ザカンの突進はスパルタンの頭だけをかすめる軌道を描いていた。
 それが反撃の余地を残した。
 まだ、この身体に燃える小宇宙は燃え尽きていない……!

「インビジブル・デストロイヤー!!」
「ガアアアアアッッッ!!!」

 激突する寸前、至近距離でスパルタンの念動力が発動した。
 だがザカンも、純白に高めた小宇宙で、白輝星闘士の限界ギリギリまで星衣を強化する。

「御者座の……星闘士!」
「食らえええええっっ!!」

 ザカンは星衣の至る所を破損させられながらもこれを耐え抜き、悍馬が消失する寸前にスパルタンの顔面を直撃して、的確にスパルタンだけを吹き飛ばした。
 しかし、そこからさらに踏み込んでアステリオンにまで迫ることはできず、その場で膝をつくのとほぼ同時に倒れ込んだ。

「ス……スパルタン……」

 全力を注ぎ込んだ技の直後で虚脱状態に陥りかけていたアステリオンは、それでも意地でテレパシー能力を応用して、まずスパルタンが生きていることを確認した。
 小宇宙の炎も未だ途絶えていない。
 赤輝星闘士の二人、リーガンとテライアは息絶えている。
 ザカンは倒れたものの、気絶しているだけのようだ。
 出来れば一人でも星闘士を生かして捕らえたいと思っていたアステリオンにとっては、ある意味で願っていた状態である。
 ただし不気味なのは、サウンド・オブ・サイレンスから離れた後、動きを見せないアーケインだった。
 虚脱状態なのではない。
 まるで表情を殺して、倒れた三人の星闘士を全て視界に収め、視線の向かう先すら定かではない。
 アステリオンが感じ取れるアーケインの心中は、嵐そのもの……!

「この……俺が、赤輝星闘士に守られたあげく、守ることもできずに……!」

 先ほどアステリオンとの言い合いで激昂したときとは異なる、静かな声が絞り出された。
 その呪詛は、外ではなく内側に向き、星が膨張するような怒りを膨れあがらせていた。
 青輝星闘士の青い小宇宙が燃え上がるただ中に膨らむ感情が、まるで青色巨星を前にしているようにすら感じられた。

「く……っ!」

 アステリオンは今一度サウンド・オブ・サイレンスを仕掛けようとしたが、今度は精神攻撃をしかける精神波が丸ごと弾かれた。
 先ほどは四人の中でも特に集中して攻撃を仕掛けていたので、アーケインに精神的ダメージが無いはずはないというのに。
 ただ、怒りの一点。
 その一点に集中するアーケインの小宇宙が、アステリオンの小宇宙を寄せ付けぬほどに燃え上がっているからに他ならない。

「……」

 その小宇宙に比して恐ろしく静かな動作で、アーケインが懐中から一本の矢を取り出した。
 東洋の竜が彫り出された装飾を有する短い矢だが、陶器にも金属にも見える、正体の見えない材質で出来ていた。
 それを手にしたままアーケインは小宇宙を燃えたぎらせる。
 まるで星々が流れ込むように、矢は一つの銀河のような輝きを放ち始めた。
 ひとりでに宙に浮いたそれを、アーケインは自分の左側へ静止させる。

 次に取り出したのは、先ほどスパルタンを吹っ飛ばした、虎が彫り出された装飾を有する白い斧。
 これにもまるで星々のような輝きを宿し、アーケインの右側に静止される。

 そして常に左腕に装着している黒い盾。
 それを取り外して背後に静止させた。
 よく見るとそれには、亀の姿が彫り出されていた。

「こいつは、かつてユリウスのいた組織を壊滅させた一撃だ」

 ひどく淡々とした口調で語りつつ、アーケインは水晶で出来たような剣を取り出した。
 アスガルドで手にした炎の剣である。
 ユリウスという名前をアステリオンは知らなかったし、アーケインも特にそのことを説明するつもりだったのではなく、自分に言い聞かせているようであった。

「剣は不完全ながら、俺が今手にする宝物全ての中で、最大の攻撃力を発揮する。
 十二宮突入前にした予告を果たそう、アステリオン」

 炎の剣を正眼に構え、四つの宝物の中心に位置するアーケインに、恐るべきエネルギーが集中し始める。
 絨毯がずたずたにされつつ渦を為し、まるで星が星を吸い寄せるかのように、倒れた三人の星闘士の身体をアーケインのすぐ背後に集めた。
 それだけでは留まらない渦巻くエネルギーは、アーケインの身体を核として、その手にした剣からジェット流のように吹き上がる。
 その姿は、もはや星とすら言えない。
 彼ら星闘士が纏う星衣クエーサーと同じ名前の、太古の天体、準星クエーサーのようではないか……!!

 だが、教皇の間全てを飲み込むほどの星間流のただ中で、しかしアステリオンも負けてはいなかった。
 今後ろに誰もいなくても、アテナ神殿を守っていることを、思い出させられたとも言える。
 アーケイン同様、スパルタンの身を引き寄せて自身の背後に背負い、あらん限りの、いや、限界を超えて、果てしなく小宇宙を燃やしていく。
 このときアステリオン自身は、アーケインの声を耳ではなく思考で聞いていることに気付いていなかった。
 先ほどのアーケインの攻撃で聴覚を閉ざされており、神経を侵されたことで視覚も薄れかけていた。
 五感を閉ざされたことで、本来の限界を超えて高まっていく小宇宙は、すなわち、小宇宙の真髄、第七感・セブンセンシズに他ならない。
 元よりサトリの法により、第六感に優れていたアステリオンであるために、第七感は近しいものであった。
 しかし今やそこに到達していることに気付かないほど、アステリオンの小宇宙は当然のようにセブンセンシズに行き着いていた。

「燃えろ……俺の小宇宙よ……!
 一瞬でもいいから、サガやシオンの位まで……!」

 その膨れあがるアステリオンの小宇宙が、究極にまで高まるのを待っていたかのように、

「アテナ神殿もろとも、その伝説に終止符を打ち、遺跡になれえっっっ!!」

 天を貫く剣が、教皇の間の天井を裂き砕いて、星々を呼び込むようにして振り下ろされた。
 刹那も遅れることなく、アステリオンの身体が一筋の光となる。

「アルティメット・ワン……リアリティ・アタック!!!!」

 空気プリズムではない。
 ただ一つにして真のアステリオンが、全身を一つの光の矢として繰り出した攻撃は、その実、数億発の蹴撃の集合体であった。
 聖闘士が一瞬にして繰り出すことが可能な攻撃の数は、相手との距離に反比例する。
 黄金聖闘士の位に届かなくても、捨て身で飛び込めば相手との距離によるロスをゼロにして、限界を超えた回数の攻撃を繰り出すことが可能であった。
 その無数ともいえる攻撃を、空気プリズムで拡散させるのではなく、ただ一点に集中する。
 それは、蹴りと拳の違いこそあれ、星矢の彗星拳に酷似していた。

 巨大にして広大にして絶大なる準星の輝きに、数億を束ねて究極の一と為した銀河を凌ぐ彗星が突き刺さった。
 瞬間、炸裂したその点で世界が二つに分かたれるような衝撃が聖域全土を揺るがした。




「アステリオン!!」
「負けるんじゃねえええ!!次期教皇!!」

 十二宮各所に散らばった聖闘士たちにとって、思い出される光景があった。
 かつて星矢達が挑んだ十二宮の戦いの終章。
 その戦いの最中で双子座ジェミニのサガが繰り出した、天地を揺るがすギャラクシアンエクスプロージョンの衝撃だ。
 あのときとの違いは、この衝撃が聖域を守る為のものだということだ。
 十二宮の果てにある教皇の間に救援しにいくことは出来ない。
 シャイナやエルドースにとっては、ただ祈るように叫び、小宇宙を送り続けることしかできない。
 アステリオンが倒れれば、聖域は精神的支柱を失い、アテナ神殿が陥落し、名実共に終わる。
 今はただ、教皇にと選び願った男の勝利を信じるのみ……!




「行け……アステリオン……!」

 背中を後押しした声を、耳ではなく聞いていた。

「ハアアアアアアアァァァァァッッッッッッッ!!!!」
「……アテナの……聖闘士があああああああっっっっ!!!」

 アーケインが背負った三つの宝物の陣形が崩れる。
 支えを失い、教皇の間を飽和させた星々が、アーケインに向かって重力崩壊さながらの勢いで殺到した。
 それでも、戦術眼は衰えていない。
 負けると判断したアーケインは、全身を捉えようとする星間流の中でとっさに動き、

 直後、今一度激しく聖域を揺さぶる爆発が起きた。
 その爆発は教皇の間から双魚宮に向かって天を走り、教皇の間に突入した侵入者を吹き飛ばしたことを、遙か下の宮へと向かう者たちにもはっきりと見せつけることになった。





「敗れたか、アーケインが」
「さて、どうでしょうか。
 あれで死ぬアーケイン様では無いでしょう。
 そして、あれほどの爆発が起きては、アステリオンも無事ではありえないはず。
 既に教皇の間からは何の小宇宙も感じられません。
 もはや彼らが遠隔から何かしでかすことも出来ないでしょう。
 戦略的には、もはや私たちの優位は揺るがなくなったはずです」
「……だが、あれではリーガンとテライアは生きてはおるまい」

 そのことについては、イルリツアも言い様が無かった。
 ザカンならば凌いでいるかもしれないが、あの爆発の中では無事にいることはできると思えない。
 そもそもアーケインがあのような激突を起こす前に二人とも既に小宇宙が感じられなくなっていた。
 ザカンだけは、あるいは生きていてくれるかもしれないが。

 いずれにせよ、巨蟹宮を前にしたゼスティルムたちに出来ることは、目の前の宮を速やかに突破することのみだった。





「生きているか?」
「……なんとか……」

 アーケインが攻撃を繰り出す寸前にわずかに意識が戻っただけで、その後何がどうなったのかさっぱりわからなかったが、ザカンはアーケインの声で目が覚めた。
 モーニングコールとしては多分最悪の部類に入るだろうが、どうやら起きた場所も悪い。
 教皇の間で倒れたはずが、周辺はギリシャ特有の地肌が露出した岩山だった。

「あーくそ!炎の剣が見あたらん!
 奴らを仕留め損ねてこれじゃ割に合わんぞ、畜生!」

 どうやら、自分たちは敗北したらしい。
 アーケインはふざけたことを言っているが、その実、リーガンとテライアの遺体が傍に来ていた。
 いつも愛用している武器のいくつかが散乱しているが、アーケインは彼ら二人の星葬を優先して行った。
 炎の剣をかり出して、おそらくは全力を注ぎ込んだ交錯の一瞬で、炎の剣よりも二人の遺体の回収を優先したものと見える。

 ザカンは、アーケインが二人の星葬を行うのを、立ち上がれないままながら、粛然として頭を垂れる。
 護れたであろうにという悔恨はザカンにもある。
 アスガルドで死なせたティアムに、金牛宮で死んだ者たち、さらに犠牲を重ねることになろうとは。

 星衣だけならば、聖域の結界を越えることが出来るらしく、リーガンとテライアの星衣は遙か彼方に飛び去っていった。
 それを見送り、改めて周囲を見渡す。

「ここは、どこなのでしょう……聖域の裏道でしょうか」

 少なくとも周囲に石段らしいものは見えないが、一応の道らしい。
 だが、聖域から出ているとも思えなかった。
 出るなら出るで、やはり相当の結界に邪魔されることはほぼ予想できたからだ。

「そのようだな。
 十二宮の戦いの記録では、何人か不可解な方法で参戦した奴らがいる。
 獅子宮に現れたカシオスという雑兵、処女宮に現れた神聖闘士フェニックス、教皇の間直前に現れた星矢の師といった具合にな」
「なるほど、こんなルートでも無ければそんな出現は出来ませんか」
「連中も本拠地を作るのに莫迦ではなかったか。
 だが丁度いい。この裏道を押さえるぞ。
 援軍がこられて挟み打ちにされるのは避けたいからな。立てるか」
「無論……」

 そうは言ったが、ザカンも全身の力を使い果たしており、立ち上がることすら難しかった。

「その様子ではキツイな。飲め」

 アーケインは酒瓶らしきものを取り出した。
 敵陣のまっただ中で酒を飲むのもどうかと思ったが、冬山用のアルコールのようなものかと思い、受け取って飲むことにする。
 口にした瞬間、体中を駆けめぐるようなエネルギーを感じた。
 酒という範疇を越えている。

「何ですか、これは?」
「ネクタル。神々の酒と言われる代物だ」
「……!」

 この男はいったいどういうコレクションを持っているのか。
 ザカンは神話の世界の代物だとばかり思っていた。
 最も、自分たち星闘士自体が神話の存在なので、その疑問にはあまり説得力が無いと自分でも思う。

「真偽はともかく、名前相応の効果はあるようですな……」

 全快とはいかないが、スパルタンのインビジブル・デストロイヤーで折られた腕や肋骨がほぼ繋がったように思われる。
 言葉にした以上にザカンは感嘆していた。

「言っておくが高いぞ」
「……いくらですか」
「10億」

 ドルなのかドラクマなのかポンドなのかわからないが、単位を聞く気にもならなかった。

「まさかその金額返せというじゃないでしょうね」
「決まっているだろう。返せ。この戦いが終わった後に、出世払いでな」
「……」

 そういう、ことか。
 思えばこの男はいつも偽悪家だ。
 不可解ながらもわかってきたことがある。
 力こそ正義、勝たねば何も為しえないとアーケインは言った。
 アスガルドでも、そしてこの教皇の間でも、アーケインは必要な任務は為しえている。
 為しえることが勝利であるなら、この男はいつも負けていない。
 だが、戦術的には敗北し続けていると言ってもいい。
 その事実が、この男をして、自分を悪だと決めつけざるを得ないのではないか。
 だとしたら、救いがたいことだ。

 誰よりも陛下のお考えを、理解しているはずなのに。




第二十四話へ続く



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