聖闘士星矢
夢の二十九巻

「第二十二話、金牛宮の巨壁」




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「な。
 なんとかなっちまったでしょう」

 よほど安心したのだろう。
 そう言ってようやく笑顔を見せたのは、青銅聖闘士ブロンズセイント大熊座ベアーの檄である。
 言われた方の、白銀聖闘士シルバーセイント小熊座アールサのクリュスは、苦笑するしかない。

 何しろ檄は先ほどから、今にも白羊宮へ駆けつけんばかりの形相で落ちつきなくうろうろしていたのだ。
 貴鬼が白羊宮で戦っていることも、それが壮絶な戦いであることも、手に取るように分かっていた。
 すぐにでも白羊宮に駆けつけたかった。
 だが、動けなかったのだ。
 自分が堪えなければ十二宮全てが雪崩を打って星闘士スタインと激突することになるという、恐怖に似た理性でもって、檄は自らを縛り続けていた。

 ここは聖域サンクチュアリ十二宮第二の宮、金牛宮の中である。
 巨蟹宮から死に顔が消えた今となっては、十二宮の中で最も異様な宮と言えるかもしれない。
 処女宮のように花園を備えているわけではない。
 人馬宮のように地下に迷宮を抱えているわけでもない。
 磨羯宮のようにアテナ像が飾られているわけでもない。
 中に入っても、その異様さに気づく者は少ないだろう。

 だが、外観から比べると中の通路が意外なほど狭いのは、左右の壁が少なくとも四重に連なっているからであり、それらの壁で仕切られた間の空間には曲がりくねった通路が張り巡らされている。
 中央廊下こそ通ってはいるが、そこを外れれば堅牢な壁と頑強な柱に守られた、砦とさえ言える宮なのだ。
 ここで星闘士たちを迎え撃たなくてどうするというのか。

 説得したのはクリュスである。
 冷静に檄を諭すことが出来たのは、途中で貴鬼の援護に回った存在が誰であるかを、彼が知っていたからに他ならない。
 聖域の前参謀長ギガース。
 クリュスたち白銀聖闘士たちは、聖闘士候補生として修行地に送られて師らに師事するよりもさらに前の一時期、机と拳を並べて彼に教わったことがあった。
 そのころの記憶はなお色あせていない。
 白羊宮から伝わってくる小宇宙から察するに、実のところその勝利は貴鬼とギガースの二人が共に全力を出し尽くした戦いだったのだろう。
 檄は貴鬼とのなじみが深いせいか、貴鬼がなんとかしたと思っているようだが、それだけで撃退できる敵ではなかった。

「そうだね。あの人なら、なんとかしてくれると思っていたよ」

 クリュスは、聖闘士の格にこだわってギガースに対して冷遇する者の多かった時期を思い返し、改めて恥じる。
 聖衣クロスを授けられた者と授けられなかった者。
 たかがそんなことを、絶対の価値観のように思ってしまっていた。
 聖闘士を決めるものは聖衣ではなく小宇宙であり、アテナと地上のために小宇宙を燃やす者は、誰もが聖闘士であるはずだった。
 そう、聖闘士とは一つの同門であると教えてくれたのもまた、

「僕たちの、先生だったんだからね……」

 そのころ机を並べて学んだ者のほとんどは、聖闘士になることなく命を落としている。
 だがそれゆえに強く鮮やかに残る記憶により、生き残って聖闘士となり得た同世代の白銀聖闘士同士の絆は深かった。

 日本へ青銅聖闘士たちを抹殺すべく差し向けられたモーゼスたちが敗れて死んだと聞かされたときに、ヘラクレス座のアルゲティは自らの拳すら破壊しかねないほどの怒りと慟哭に苛まれ、わざわざ牡牛座のアルデバランが彼の怒りを受け止めて諫めねばならなかったほどだという。
 見かねた蠍座のミロが、アルゲティを日本に派遣することを決め、一人では行かせられないと、友誼に厚い大犬座のシリウス、銀蠅座のディオも同行した。
 それが結果として、彼らをも死なせることになってしまったのだが。

 それらのことを、クリュスは随分後になってから知った。
 当時、教皇やギガースたちの行動に疑問を持ち、修行地に留まったまま聖域の招集を拒絶していたからだ。
 だがもしあのとき聖域にいたら……、教皇の善悪など忘れて、何が何でも日本に行こうとしていただろう。

「ん?なんですか、それは」

 思い出に駆られて、クリュスがアンダースーツのポケットから取り出した紙片は、

「写真だよ。
 僕の、一番の友人たちの」

 聖域内ではカメラすらまともに動作しないので、実は写真ではなく、ロドリオ村にいる似顔絵描きに描いて貰った肖像画だ。
 だが、そのころの笑顔と姿を確かに留めたそれは写真といって差し支えないだろう。

「そうでしたか……」

 檄は、クリュスの言う一番の友人というのが誰であるかを察して、それ以上は尋ねなかった。
 クリュスの友人とは、同期であった白銀聖闘士たちの誰かに他ならず、その彼らを倒し死なせたのは、紛れもなく檄の兄弟たちなのだから。
 そこに神話を一つ造り上げるほどの理由があったとしても、その事実を無視して無遠慮にそれ以上の追求を行うことなど、檄には出来なかった。

「ありがとう」

 その心遣いを、クリュスは素直に有り難いと思った。
 檄にとっては気まずいものであることはクリュスもわかっていたが、どうしても、今、見ておきたかったのだ。
 ここにいることが出来なかった友たちの姿を、心の奥底からはっきりと呼び起こすために。
 ここにいることが出来なかった友たちに、呼びかけるために。

 丁寧にポケットにしまい、そして、金牛宮の入口へ目を向ける。

「そろそろご到着だね。
 準備運動はいいかい」
「十分に。
 それじゃあ、来たら予定通り、やってくれましょうか」

 星々が近づいてくる気配は十分に。
 青輝星闘士シアンスタイン五名を含む、星闘士二十余名が、間もなくこの金牛宮に攻め寄せてくるのだ。





 ふと見れば、金牛宮の火も勢いが落ちてきている。

「よくも、自分たちの根拠地をこんなに石段だらけにしたものだ」

 呆れ果てたような白輝星闘士スノースタイン御者座アウリガのザカンの言葉は、星闘士たちの大多数の意見を代弁していた。
 長い行程になると踏んで、焦らずに十二宮の石段を登ってきたのだが、いささか慎重に過ぎたらしい。
 既に白羊宮を出てから一時間以上が経過していることになる。

「次からは走った方がいいみたいだね」
「おい、時間を気にしてどうする、マリク」
「え?」

 火時計を気にする青輝星闘士射手座サジタリアスのマリクに対して、なんとものんびり言ってのけたのは、同じく青輝星闘士天秤座ライブラのアーケインである。

「だって、宮と宮との移動だけで一時間以上経っているってことでしょ。
 この調子で進んでいたら十二時間以内に突破できない」
「だからどうした。別に俺たちは急いでいない」

 アーケインは、何を寝ぼけている、とでも言わんばかりの口調で、当然の事実を突きつけた。
 そう、火時計が灯っているといっても、星闘士一同、特に急がなければならない理由はない。
 それを改めて示すように、アーケインは列の最後尾から実にのんびりと歩いていた。

「それは……そうだけど」
「だが、神聖闘士ゴッドセイントが十二時間で突破した十二宮に、我々がそれ以上の時間を掛けるのは確かに癪だ」
「おや、これは意外なご意見を」

 言い淀んだマリクの擁護に回ったのは、マリクの師にして養父でもある、青輝星闘士獅子座レオのゼスティルムだった。

「ここで急ぐのは拙速だと思いますがね。
 今の聖域の長はなかなか小細工に頭の回る人物のようですし」

 そう言いつつ、その説得があまり意味を為さないことをアーケインは自覚していた。
 このくらいのことに気付かないゼスティルムではない。
 分かった上で、十二時間以内に突破して、聖闘士と十二宮の名を完璧に打ち砕くことが大切だと言っているのだ。

「貴方にも陛下の教えをもう少し深く理解して頂きたいところなのですがね」
「聖闘士と聖域の歴史に終止符を打つのに、奴らに言い訳の手がかりなど与えたくないだけだ」
「仕方ありませんな。だが、それは次の道からとしましょうか」
「何故だ?」
「もうすぐそこですよ、金牛宮は」

 観光ガイドのような口調でアーケインが顔を向けた、波打つような石段の向こうに、第二の宮、金牛宮が姿を現していた。

「やれやれ、あれを金牛宮と呼ぶのはいささか気が引けるな」

 口では軽そうにぼやいたアーケインの眉は、不機嫌そのものの形に歪んでいた。
 アーケインがこのような表情をするのは珍しいと、マリクやゼスティルムは思う。
 そもそも、アーケインの言動はどこかおかしい。
 冥闘士との戦いで傷つかなかったためか、金牛宮の外観は十二宮としての威容をなお留めている。
 修復されるとどうしても新しさからくる威厳の欠落があるのだが、少なくとも外観からはそういった様子は見られなかった。
 年月の刻まれた大理石にはところどころひび割れがあるものの、それらは美観を損ねるのではなく、大樹のような威厳さえ漂わせていた。

 そう、アーケインが言ったのは外観のことではない。
 中からは聖闘士の気配が二つ。
 それが、比べるべくもなかった。

「今度は入口で立ちはだかる者はおりませんね」

 先の白羊宮では、聖衣も纏わない少年に立ちはだかれて気勢をそがれたが、今度、中で待ち受けている敵はれっきとした聖闘士であるようだと、青輝星闘士乙女座バルゴのイルリツアは少し安心する。
 いかに敵とはいえ、あのような少年を相手にするのは気分がよくない。
 子供に甘いゼスティルムならばなおのことだろう。

 そういえば、と既に山の稜線に阻まれて姿の見えなくなった白羊宮を振り返る。
 信じがたいことだが、あの少年は、最後の冥闘士地妖星パピヨンのミューを退けたらしい。
 助っ人が現れたとはいえ、まさかあのミューを退けるとは、星闘士全員誰も予想していなかった。
 もっとも、ミューも死なずに撤退し、少年も生き残った。
 矛盾した考えではあるが、そのためにゼスティルムの機嫌が悪くないのだろう。

 入口前に勢揃いして金牛宮を見上げると、優美な白羊宮とは違って、砦に近い印象を受ける。

「移動にかかった時間を気にすることはありますまい。
 要は、この宮を早々に突破すればそれで済むこと」

 青輝星闘士になったばかりであるバイコーンのアクシアスが、血気に逸るまま、号令を待たずに突入し、そのまま二十余名の星闘士が金牛宮の中へと殺到した。

「来たか。
 行くよ、檄!」
「おう!」

 迎え撃つ檄とクリュスは、構えて待つようなアルデバランの真似は出来ない。
 星闘士たちが入ってきたことを確認するのとほぼ同時に、一番密集している箇所へ二人同時に突っ込んだ。
 対して先陣を切るはアクシアス。
 向かってくるうちの一人が青銅聖闘士であることは一目で分かったが、そのこと自体にさしたる感慨はない。

「邪武以外の雑魚など蹴散らしてくれるわ!」
「聖域を舐めてるんじゃねえぜ!」

 檄はあえて狙いすら定めずに、思い切り横薙ぎに掌底を払った。

「ベアーズ・スラッシュダウン!」

 アクシアスは仮にも青輝星闘士に昇格しているのだ。
 この程度の攻撃で倒されるものではない。
 本来ならば。

 だが、金牛宮の横幅は決して広くはない。
 檄の攻撃はその全域を覆っていた。
 まして、先頭をきって突っ走ってきているとはいえ、アクシアスの後にはほとんど間を空けずに何人もの星闘士が続いていた。
 そしてその力は、アクシアスよりは劣る。

「うわああっっ!!」

 突撃体勢が崩れる。
 そして、そこで味方に気を遣わずにいられるほどアクシアスは非情でも、割り切ってもいなかった。

「ちいっ!」

 わずかに、自らに続く星闘士たちを気遣ってアクシアスの足が鈍る。
 そこで見せた隙は、クリュスが想定していたものだった。
 檄の巨躯の背後から絶妙のタイミングで飛び出てきた小兵であるクリュスを、アクシアスは直前まで視界に入れることができず、その拳を正面から受け止めることになった。

「この程度があっ!」
「効くとは、思っていない」

 クリュスはそこからさらにもう一歩、石畳を割りつつ踏み込んで、自分の拳を受け止めたアクシアスの手を逆に握りつぶしかねないほどの力で持ち上げた。

「うおおおっ!」
「だが、一度受け止めてしまえば、マッハも光速も関係ない」

 聖闘士や海闘士マリーナ冥闘士スペクター、星闘士等の戦いにおいて、組み技、掴み技、投げ技などの体術は軽視される傾向にある。
 その第一の理由は、戦いの速さそのものだ。
 マッハを超えて、光速にすら届く相手に対しては、攻撃を当てるだけでも容易ではないのだから、掴まえるとなるとその難しさはさらに跳ね上がる。
 そのような速さで繰り出され、距離をほとんど無視した攻撃の応酬になる戦いにおいて、接近しなければ使えない技というのは、使う機会すら与えられないことも多い。
 最強は、ロングレンジから瞬時に相手を打ち砕くことのできる技。
 これを体現したのが、獅子座のアイオリアであろう。
 視界全てを覆い尽くすライトニングプラズマや、最遠から最速で繰り出されるライトニングボルトなどは、光速拳の究極と言ってもいい。
 それ以外の黄金聖闘士ゴールドセイントたちは、それとは異なるアプローチでそれぞれ最強へと至ろうとした者が多い。
 代表例としては、拳とは一線を画した小宇宙の闘技による積尸気冥界波、天魔降伏、アナザーディメンションなどが挙げられるだろう。

 黄金聖闘士の中で体術に優れていた者といえば、千変万化する返し技ジャンピング・ストーンを駆使する山羊座のシュラくらいであろうか。
 その彼すらも、全てを切り裂く聖剣エクスカリバーを、ロングレンジからショートレンジまでほとんど変わりなく繰り出すことができるため、その体術はさほど重要視していなかった。

 しかし、白銀聖闘士や青銅聖闘士たちの中には、これを極めようとした者も多い。
 何故か。
 アテナの聖闘士が守るべきはこの地上。
 いかにマッハを超えて光速に至ろうとも、空を飛んで大地を離れて戦うわけではない。
 二本の足で立って戦う以上、重力に支配され、最後には地に戻る。
 己の体重と存在を無視して戦うことなど出来ようはずがない。
 ならばそこには必ず、体術の存在する場所があり、原子すら砕く聖闘士の戦いの中にあって、神話の時代からなお廃れることなく受け継がれてきた力と技があった。

 さらに言えば。
 軽視されていたということはすなわち、それに対抗する手段もまた、軽視されていたのだった。

 クリュスは、アステリオンが芸術的とまで評する体さばきで、自分よりゆうに30センチは上背のあるアクシアスの身体をひっくり返し、マスクの後頭部を掴んで、顔面から金牛宮の床面に叩きつけた。

「ぐああああっ!」

 その衝撃から反動を利用して、アクシアスの頭を掴まえたまま、跳ねるように飛び上がる。
 わずかにマッハ2か3の動きに過ぎない。
 だがそれでも、捕まった者が光速を持っていようが、やすやすと脱出されるような膂力ではない。
 続く星闘士たちも、これにはあっけにとられた。
 そこへ、

「ハンギングベアー・プレッシャー!」

 アクシアスに続いて来た二人の星闘士が、檄の両手に首を捕らえられて宙づりとなった。
 そのまま締め上げる……などということはしない。
 すぐ目の前に次が迫っている状況なのだ。
 檄は身体を横一回転させ、その勢いで、掴まえた二人の身体を続く星闘士たちの戦列にぶん投げた。
 まさかこれを迎撃するわけにもいかない。
 受け止めたというべきか、なぎ倒されたというべきか、とにかく星闘士たちの突進はそこで止まらざるを得なかった。

「やってくれる!」

 だが、星闘士たちも、やられっぱなしで済ますつもりなどない。
 飛ばされてきた僚友の巻き添えになるところを、辛うじて上空に跳んでかわしたのは、白輝星闘士御者座アウリガのザカンだ。
 天井すれすれから檄にソーサーを投げつけようとするところで、

「させないよ」

 宮の壁面を蹴って二段ジャンプしてきたクリュスが目の前にいた。

「なん……だと!」

 クリュスはその小身で青輝星闘士のアクシアスを軽々と振り回し、ザカンをアクシアスごと叩き落とした。

「ぐ……何をやっている、アクシアス!」
「おのれ、邪武以外の聖闘士などに……」
「邪魔だぜ!」

 叩き落とされた二人を踏み越えて、檄は混乱の中にある戦列に肉薄し、手近にいる二人を床面に叩きつけ、ベアーズ・スラッシュダウンで当たるを幸い、なぎ倒していく。
 そこに着地したクリュスが加わり、掴まえた端から投げ飛ばし、叩き伏せていく。
 距離をとっての戦力差ならば絶対に敗れるはずのない戦列が、慣れぬ至近距離での戦いと、下手に攻撃すれば味方を巻き込むという怖れから、わずか二人の聖闘士によって蹴散らされていた。

『セレスティアル・ローテーション!!』
「小熊座と、大熊座か……!」

 星闘士の最後尾で事態を眺めていたゼスティルムは、苦々しくも、ある種の感嘆を込めて二人の星座を呼ばわった。
 その様はまるで、北天の中央とその隣にあって、星天全てを振り回す、大小二つの柄杓そのものではないか。

 しかし、そうして星々を振り回しながらも、二人は悦に入っていたわけではない。
 この作戦は、アステリオンに進言して、危険極まりないと止められていた作戦だった。
 単純に言えば、数の差を逆手に取ったに過ぎない。

 二十余名の星闘士がこの狭い金牛宮に殺到するからこそ、そこに勝機があると踏んだのだ。
 当然と言えば当然で、味方が密集しているところでは基本的に全力など出せるものではない。
 空を切り裂き、大地を割り、原子から星まで砕く聖闘士や星闘士の攻撃力は、軍団を組むにはあまりに強すぎるのだ。
 全包囲を破壊し尽くす攻撃など、味方ごと倒してしまいかねない。
 地上の覇権を争う戦いだというのに、冥闘士も海闘士も含めたいずれの陣営も、正規軍が千に届かないのはそのためである。
 従って、普通の人間の争いほどには数の差は絶対的とはなりえない。

 だがそれはあくまで、比較的、という前提句が付与される。

 二人も理解している。
 倒し切れてなどいない。
 あくまで、なぎ倒し、振り回しているだけだ。
 これだけで息の根を止められるほど星闘士たちは柔ではない。
 何人かは骨折くらいまでしているはずだが、それとてどこまで戦闘能力を奪っているのかは疑わしい。
 今は混乱の上に混乱を乗じて、怒濤の流れに乗っているに過ぎない。
 この混乱が収束して星闘士たちが戦列を整えてしまえば、絶望的に勝ち目が無くなることは重々承知していた。
 ならばその間に、戦況を決定づける戦果を挙げなくてはならない。

 狙うは、聖域に攻め寄せてきた星闘士たちの長である、青輝星闘士ナンバー2、獅子座レオのゼスティルム。
 彼を宿敵と狙う蛮には悪いが、彼が倒されれば、星闘士たちの動揺はそう簡単に収まらないはずだ。

 だから二人は、星々を振り回しながら、前進を止めなかった。
 ゼスティルムまで、あと数人の壁……。
 静かに佇んでいる乙女座の青輝星闘士に攻撃を仕掛けるべきか、檄は一瞬躊躇った。
 そこへ、

「僕が相手だ!青銅聖闘士、大熊座!」
「星矢!?」

 檄は、一瞬見紛った。
 大混乱の中で檄の正面に飛び出してきたのは、青輝星闘士射手座サジタリアスのマリクだ。
 背後から不意打ちしないところはさすがというべきかと、顔を向けた瞬間、恐ろしいほどの既視感に囚われた。
 似ているといえば身長くらいだろうか。
 丁寧な口調は似ていない。
 体格は星矢の方がずっとしっかりしていただろう。
 檄は星矢が射手座の聖衣を纏ったところを見たことがあるわけではない。
 それでもなお、檄は一瞬、マリクを星矢と見間違えた。

「青輝星闘士、射手座サジタリアスのマリクだ!」
「おまえが……っ!」

 瞬と互角に渡り合ったという話は聞いていた。
 それに、エリスに捕らわれた絵梨衣を助けるために、奮闘したとも。
 だが今は、倒すべき障害だ。
 女性であることが見て取れる乙女座の青輝星闘士を相手にするよりは、遙かに気が楽というものだ。
 即座に割り切ると、檄はマリクとの間を詰めにかかった。
 逆に言えば、接近するまではマリクの間合いだった。

「シューティングスター・サジタリアス!」

 檄の周囲にいる星闘士たちを巻き込まないように範囲を絞り込んだものの、それでもなお流星そのものの拳が檄を襲う。
 その様は、やはりあるものを連想させた。

「流星……なら、これに、倒されるわけには……」

 貴鬼に修復してもらったばかりの聖衣が悲鳴のような音を立てて削られていく。
 しかし、ここで退いたらその時点で戦いの流れは星闘士側に雪崩を打って傾くことは明白だ。
 そして、今の自分の小宇宙では光速拳を見切ることはほとんど不可能に近い。
 だが、マリクの光速拳は、周囲に遠慮しているためか、おそらく全力ではない。

「いかねえんでなあっっ!」

 檄は、顔の正面で両腕を交差させつつ、真っ正面から体当たり気味に突っ込んだ。
 多少のダメージは覚悟の上だ。
 接近戦に持ち込めば、勝機はある!

「さすがは……青銅聖闘士か!」
「おうとも!」

 そう、邪武や星矢と同じ青銅聖闘士ならばこそ、やすやすと倒されるわけにはいかないのだ。
 流星雨降りしきる七歩の距離を、小細工無しに檄は詰めきった。

「ベアーズ・スラッシュダウン!」
「遅いっ!」

 振り下ろされる、という角度で繰り出された檄の拳に、マリクはその半分ほどの大きさの拳をぶち当てて止めた。
 ほとばしる小宇宙と小宇宙が星屑のような火花を生み出すが、明らかに体格的に劣るマリクの身体は揺るぎもしない。

「この程度の力でどうにかなると思われたとはね……!」
「大丈夫だよ。そうは思っていないから」
「えっ!?」

 横から声がした、と思った瞬間、檄の巨躯を相手にしてさえ揺るがなかったマリクの両脚が、ふわりと宙に浮き上がらされた。

「力の問題じゃない。一度立ち止まってしまえば、君は僕らの間合いに入ったということだよ」

 マリクよりもわずかに低い上背ながら、クリュスはマリクの左肩から捻り上げるようにして持ち上げてしまった。

「最初から、僕を釘付けにすることが狙いだったのか……!」
「いや、臨機応変だ。細かい作戦を立てている余裕は無いんでね」

 マリクをクリュスに任せた檄は、早々にゼスティルムへ向かって突撃を再開している。
 星矢を連想させるマリクへのこだわりが無いわけではない。
 出来ればこの手で倒しておきたい相手ではある。
 それでも今は、勝利するためにただ一つの作戦の達成を優先させた。

「く……離せっ!」
「離すとも」

 クリュスはねじり上げたマリクの左肩から、マリクの身体全てを極限まで伸ばしきるようにして、上空へとぶん投げる。
 これがただの投げ技であるはずがない。

「これは……!」
「受けろ!カイトス・スパウティング・ボンバー!」

 一度舞い上がれば、翼でも無い限り脱出不可能とまで謳われた、受け身も返しも効かない芸術的な投げ技である。
 ましてここは、天井までの距離がほとんど無い。
 たとえ光速で動けたとしても、その前提となる身体の自由が効かなければ、当たり所さえずらせるものではなかった。

「うわあああっっ!!」

 マリクの身体が天井に突き刺さるのを目で確認する時間すら待たず、クリュスは檄の後に続いた。
 いける。
 この勢いが止まる前ならば、青輝星闘士すらも蹴散らして、ゼスティルムを倒せる……!

 だが、檄に迫られたゼスティルムは少しも慌てていなかった。

「星闘士の陣容は、おまえたちが思っているほど淡泊なものではない」
「何!?」

 わずかに三歩。
 それほどの至近距離でゼスティルムを目の前にしながら、檄の突進が止まった。
 真っ正面から檄のお株を奪うような体当たりで彼を止めたのは、檄に勝るとも劣らぬ巨躯。
 いや、その体格以上に、纏う聖衣と星衣クエーサーが、よく似ていた。

 檄は直感させられた。
 間違いない、この男は……

「ようやく、会えたな。青銅聖闘士、大熊座ベアー檄」

 初対面であるその男は、まるで神話の時代から再会したように懐かしそうな口調で、心底嬉しそうに、檄の名を呼んだ。

「やはり、おまえさんは……」
「私はクライシュ。白輝星闘士が一人、大熊座ブルーインのクライシュだ。
 ここまでの戦い、まずは見事と賞賛しよう、我が星座を争う宿敵!」

 クライシュは檄の両腕を掴み、自分を押さえ込もうとする檄の力に力で対抗した。
 宿敵に巡り会えた小宇宙がオーラとなって立ちのぼり、二人の身体を燃え上がらせる。
 しかしそのオーラを以てしてもなお止め切れぬ力の激突で、両の肩当て同士がギリギリと擦れ合う。

「ふっ。
 ヒドラや鋼鉄の鳥らと共同戦線だったとはいえ、貴君がグランド様を倒したと聞いたときは、実に嬉しかったものだが、期待以上だ。
 アクシアスやテリオスらが宿敵と巡り会う中、待っていただけの価値はあったぞ……!」
「俺の宿敵というからには、同じタイプとは思っていたが……」

 心底からの嬉しさを隠さないクライシュに対して、檄はどうしようもなく焦っていた。
 クライシュは檄と同じく、肉体的な力にも、組み技にも長けていると見た。
 この至近距離でも、体勢を崩す隙がない……!

 つまりそれは、クリュス一人でゼスティルムに挑むことを意味する。
 それでも、ここまで肉薄した……!
 掴み倒さんと、クリュスの手が無防備なゼスティルムに伸びる。

「ピアード」

 ゼスティルムは、向かってくるクリュスを迎撃するそぶりもなく、一人の赤輝星闘士クリムゾンスタインの名を呼んだ。

「有り難い……!」

 そんな呟きが横から聞こえたので、クリュスはほんのわずかにだが、そちらに注意を向けざるを得なかった。

「横から邪魔するぜっ!」

 不意打ちスレスレながら、律儀に断りを入れられた直後に、クリュスは真横からの体当たりを食らった。
 しかし、崩れない。
 留まった足に集中した力積で石畳を砕きつつも、その場で踏みとどまり、体当たりしてきた相手を投げ返そうとする。
 だがその相手は、クリュスの体捌きをいなして、正面から両手で組み合う体勢に持ち込んできた。
 そこでクリュスは、その相手の星衣を確認した。

「鯨座……!」
「俺は赤輝星闘士、鯨座カイトスのピアードってんだ。
 あんな技を見させられたら、こっちも燃えずにはいられねえんでな!」

 ピアードは以前エチオピアで、那智や蛮と一時的に共同戦線を張ったこともある。
 そのときは、白輝星闘士狼座ルーパスのテリオスと、青銅聖闘士狼座ウルフの那智との宿命の戦いを、ただ見つめていることしか出来なかった。
 ピアードの宿敵たる、白銀聖闘士白鯨星座ホエールのモーゼスは、他ならぬ神聖闘士ペガサス星矢によって倒されており、星座を争うことも出来なかったからだ。
 だが今、目の前にいるこの男は、明らかに鯨座のそれとわかる技を繰り出した。
 この男は、モーゼスを知っている。
 その認識は、否が応でも、忘れようとしていた情熱を呼び覚まさせた。

「く……青輝星闘士ならともかく、赤輝星闘士に……」
「おおっと、その認識は捨てた方がいいぜ、お互いにな」
「何だって?」
「聖衣の分類さえ、あんたらにとっては無意味なものだと教えて貰ってな。
 それなら、小宇宙で分類しているだけの俺たちが、飛び越えないわけにはいかんだろう?」

 赤輝星闘士とはいえ、ピアードの小宇宙は赤色をとうに超えて白に近い黄色に至っていた。
 それが、クリュスと組み合ったこの状態で、さらに色を失い白く白くなっていく。

「なあ、二つばかし教えてくれねえか」
「何をだい?」

 クリュスは即座にでもピアードを組み伏せたかったが、ピアードの腕から感じられる抵抗力はこうしている間だけでも、はっきりと高まり続けている。
 完全に、止められた。
 混乱が収まるまでにゼスティルムを倒すという手段は、もはや通用しない。
 背後には無理やり突破したものの、戦闘能力をなお失っていない星闘士が二十名ほど。
 絶体絶命というやつだ。
 ならばこそ、こうも真面目に尋ねられたのなら、鯨座の星闘士に対してモーゼスに代わって払うべき敬意もあろうと思った。

「一つはあんたの名前。
 あっちの檄ってのはグランド様を撃退したんで知られてるが、あんたの名前はこちとら全員知らないんでな」
「ああ、済まないね、忙しいので言い忘れていたよ。
 小熊座アールサのクリュスっていうんだ、よろしく。
 で、もう一つは?」
「もちろん。
 クリュス、あんたと、白鯨星座の聖闘士との関係だよ」

 言葉だけ聞けば穏当な会話を交わしながら、互いに燃え上がる小宇宙がオーラとなって沸き立っている。
 ピアードの質問は、尋ねられた方には自らの人生を問われるものであり、尋ねた方には守護星座の誇りを賭けたものだからだ。

「ああ、それはね」

 今もなお肌身離すことのない、三人並んだ肖像画がある。
 聖闘士の中でも、異端とさえ言われた体術の追求者。
 だが、黄金聖闘士たちにも出来ない、しかし誰かが今代で受け継がねばならないこの道を歩もうと、幼き日に共に誓い、共に聖闘士になった。

「白鯨星座のモーゼスと、ヘラクレス座のアルゲティ、そしてこの僕……。
 古い、旧い、親友だ」

 親友と呼んだその言葉に、どれほどの思いが込められていたか。
 ピアードは、全力で組み合いながら、ほんのわずかに瞑目し、

「……親友。いい、響きだ」

 クリュスの言葉を噛みしめるように、そう繰り返し、改めて、クリュスの目を見据えた。
 どう足掻いても宿願には会えないが、それを忘れずに抱いてくれていた敵が目の前にいる。
 闘志が、恒星から吹き上がる炎のように湧き上がってくる。
 倒さずにいられようか。

「いくぜええっっ!」

 純白にまで高められ、異論など挟みようのない白輝星闘士となったピアードの小宇宙が吹き上がる。
 エチオピアにおける海将軍海魔女のソレントとの戦いは、刹那の激突ではあったが、鯨を守護星座に冠する彼の自尊心を傷つけるには十二分なものがあった。
 それから、修行できた期間はたかだか一週間ほど。
 それでもその期間、これまでのいかなる時よりも、強くなろうと足掻いた。

「ホエール・ゲイザー!」

 組み合ったままの体勢から、巨鯨が吹き上げる潮のごとく、ピアードの小宇宙が嵐となって天へ吹き上がった。
 クリュスも小宇宙を高めて対抗はしたが、堪えきれずにその両脚から宙に舞った。
 浮いたその勢いに乗せるごとくピアードが振り上げた両腕とともに、クリュスの身体は投げ上げられ、そのまま金牛宮の天井に激突させられた。

「がっっ……!」

 辛うじて受け身をとったものの、投げ上げられた勢いと叩きつけられた小宇宙が強烈だっただけに、クリュスが受けたダメージは軽く無かった。

「っ!」
「余所見は感心せんぞ、檄……!」

 クライシュは、檄の腕に込められた力が緩んだのを咎めるように、並の人間の胴体ほどの太さがある右脚を一息に振り切った。
 両手で組み合った状態ではかわすことも防ぐことも出来ない。

「ぐおぉぉっ!」

 下から突き上げるような蹴りを胸部に食らった勢いで、檄の両脚が床から浮き上がる。

「舞うがいい、檄。北天の星々のごとく!」

 クライシュのその言葉とともに、檄の身体が文字通り宙に舞った。
 蹴り上げた瞬間に組み合っていた両手のうち左手を離し、右手で掴む箇所を首元の聖衣の端に持ち替えて、蹴り上げた勢いを円の動きに変え、檄を頭から金牛宮の石畳に叩きつけた。

「があっっ!」

 それだけに留まらない。
 叩きつけた反動を利用して、檄に体勢を整える暇すら与えずに片腕で檄を振り上げ直し、逆回転で再度石畳に叩きつける。
 さらに逆回転で一撃、
 さらに逆回転で一撃。
 全星闘士の中でも体格を基本とする攻撃力ならば、牡牛座タウラスのグランドに次ぐといわれるクライシュの直接攻撃は、本来なら檄の得意とするレンジでありながら檄を圧倒した。
 大熊座の新聖衣の防御面積が拡大していたために、首を絞め落とされることこそ無かったものの、気を抜けば一発で首をへし折られかねない状態だった。

「この程度で終わるか……我が宿敵!」

 納得いかぬぞ、という思いをありありと声に出しつつ、クライシュは檄を振り回す。
 いかにヘッドのパーツが頑強といえども限度がある。
 度重なる脳震盪で檄の思考が混濁し始めた。

 一方でクリュスは、叩きつけられた天井から剥がれ落ちて床に落下する前に、空中で辛うじて体勢を整えて、なんとか足から着地した。
 四方八方を、既に体制を整えつつある二十余名の星闘士に囲まれているために、隙を見せずにいるのは不可能にしても、無様に倒れることはできない。

「さすがに、一発で倒れるほど甘くないか。結構だ」
「く……」

 ピアードは振り回されている檄を背に、クリュスの動きを牽制する。
 自分の一撃を堪えられたというのに、嬉しそうな口調を隠しきれていなかった。
 ならばその動きは、檄を助けになど行かさないというだけではなく、そんなことは無視して戦いたいという意志に他ならなかった。
 他の星闘士たちは、やや遠巻きにして檄やクリュスを取り囲んでいる。
 聖闘士と守護星座を争う対決は、やはり皆特別な思いがあるのだろう。
 ゆえに、既に戦うべき聖闘士を失ったピアードに対しても、その代わりを求めようとするのを邪魔しないということらしい。

 だが、その中に例外があった。
 取り囲んだ円陣から、詰めるように進み出てきた星闘士がいた。
 クリュスには最初、その星闘士が何座の星闘士かわからなかった。
 右腕のパーツには弓が意匠化されていて、おそらく展開して実際の弓として機能する構造になっている。
 一方で左手には武骨なくせにどこか美しいと感じさせる、矛盾をはらんだ棍棒が意匠化されていた。

 棍棒と、弓。
 ギリシャ神話には、それを駆使した伝説の戦士が、いた。

「ディルバルツさん、邪魔しないでもらえますかね。
 この男は俺が倒さなきゃあいけない敵なんですが」

 ピアードは不快さを露わにして、ディルバルツという男に文句を言った。
 だがそれは、自分が正当だと行っているのではなく、自分でも無茶を言っていると分かって言っているゆえに、不快さを露わにせざるを得ないのだった。
 この男には、邪魔する資格がある。
 なぜなら、

「そうはいかんな。貴様もこの男が先ほど言った言葉をよく聞いていたはずだ。
 この男は白鯨星座だけではなく、ヘラクレス座のアルゲティも、親友だと言ったのだぞ」
「ちっ……聞いてやがって下さいましたか」
「テリオスの毒舌が移っているぞ、貴様」

 叱責しつつ、その男ディルバルツは、クリュスとピアードとのさらに中間に立った。
 ピアードの態度から察するところ、この男は、

「ヘラクレス座の……、白輝星闘士」
「いかにも。
 白輝星闘士が一人、ヘラクレス座のディルバルツ。
 俺にとっても、貴様は倒さねばならん敵ということは、分かっているな」

 ヘラクレス座の白銀聖衣は、ただひたすらに力あるものの象徴として作られていた。
 だが、ギリシャ神話におけるヘラクレスは単なる力だけの戦士ではない。
 ヒドラとの戦いでは火を用い、時には弓を手にそのヒドラの毒を用い、またある時は知略を以てヘラの繰り出す12の試練を乗り越えた万能の戦士だった。
 どうやらヘラクレス座の星衣は、そのヘラクレスの多様な面を象ったものであるらしかった。

「よし、ここはおまえたちに任せる」

 クライシュ、ピアード、ディルバルツの三人を順に見渡して、クライシュが鳴らす破壊音をまるで気にしていないかのように静かな声で、ゼスティルムは告げた。
 もとよりゼスティルムとしてはわずか二人の聖闘士を倒すのに全軍を投入するつもりは無かった。
 それを、真っ正面から突撃してきてここまで善戦するとは正直予想以上であったが、その健闘もここまでであろうと見切った。
 ならば、守護星座を争う者らに任せたいと思うのが、星の戦士たる星闘士たちを束ねる者としての願いであり親心ともいえる。

 だが、その提案をクリュスが飲むわけにはいかなかった。
 この金牛宮は十二宮最大の壁でなければならないのだ。
 かつても、そして、今も。

「みすみす、行かせると思うのか……!」

 裂帛の気合いとともに、クリュスはゼスティルムへ向けて右腕を、棍棒を叩きつけるように振り切った。

「ビート・バスティネイド!」
「相手を間違えるな、クリュス!」

 ディルバルツがゼスティルムの前に立ちはだかり、その拳の威力に正面から対抗しようとする。

「トライ・アスフィクスィエイト!」

 ケルベロスの三首さえ絞め落としたというヘラクレスの伝説になぞらえた技なのだろうか。
 ディルバルツはクリュスの拳の威力を両腕と胸で受け止めて、抱え込むように締め付けて霧散させた。

「フン、アルゲティの技はこの程度……」
「借り物の小技とはいえ、そんな台詞は言わせない」

 ディルバルツが受け止めて締め付けている間に、クリュスは彼の至近距離まで接近していた。
 弓を持つ一方で絞め技を使うこの男は、おそらく遠距離から近距離まで対応できるのだろう。
 ならばこそ、接近戦で一気にカタを付ける。
 アルゲティなら、そう戦ったはずなのだから。

「ぬうっ!?」
「望み通り、とくと味わわせてやる!
 コルネホロス!!」

 カイトス・スパウティングボンバーが芸術的な投げ技だとすれば、コルネホロスは破壊的な投げ技といえる。
 空中高く投げ上げられるその瞬間の直線的加速度と、曲線的な回転による空気との摩擦によって、相手は舞い上がったその瞬間に、瞬時にして全身くまなくダメージを負うことになる。
 ましてクリュスは接近した動きからそのまま投げに移行したため、ディルバルツの腹部に、突き上げ気味の拳を叩き込み、その勢いのまま掴み上げてディルバルツを上方へとぶん投げるという二段技となった。

「うおおおおおおおっっっ!」

 到達する速度は、カイトス・スパウティングボンバーよりもさらに速い。
 ディルバルツはマリクと同様、受け身を取る間もなく金牛宮の天井に到達し、
 衝突する寸前で、停止した。

「なっっ!」

 落下してくるところへ止めとなる技を叩き込むつもりだったクリュスは、予期せぬ事態によってがくりと体勢を崩された。
 ディルバルツは、天井に叩きつけられる寸前で止まり、そこで落ちることもなく静止したのだ。
 明らかに念動力によるものだ。
 それも、このタイミングでは自分自身で止まることは出来るはずがない。
 出来るとすれば、それは、青輝星闘士の誰か……
 ざっとクリュスは星闘士たちを見渡す。
 だがゼスティルムの指示に従い、星闘士たちは金牛宮の奥へ進もうとしていた。

「行かせない!
 アルデバランに代わってこの宮を任されているのに、君らを通すわけにはいかない!!」
「あいにくと、こちらもゼスティルム様に任されたんでな!」

 進もうとする星闘士たちを食い止めるべく床を蹴ったクリュスの叫びに、ピアードが立ちはだかる。
 だが、

「……ほざけ」

 静かな声がした。
 クリュスとピアードの叫びに比べれば遙かに小さい声だった。
 それなのに、金牛宮全てに響き渡り、全ての者の耳を貫く声だった。
 その声に込められた怒気が、ゼスティルムを除く聞いた者すべての動きを凍てつかせるように止めてしまったほどに。

「アーケイン……様?」

 その中で、辛うじて声を上げたのは、やはり青輝星闘士である乙女座バルゴのイルリツアだった。
 彼女の声で呪縛を解かれたように、宙に静止していたディルバルツの身体がふわりと落下へ転じる。
 だが、辛うじて着地したディルバルツも含めて、全ての目が一人の男に集中していた。

 イルリツアが呼びかけた男。
 青輝星闘士、天秤座ライブラのアーケインは、金牛宮の床を見下ろし、怒りに震えるようにも、絶望に呆然としているようにも見える肩で、その場に立ちつくしていた。
 それは、ほとんどの星闘士たちにとって意外であり異様でさえある光景だった。
 喩えて曰く、宝物主義者、お宝嗅覚者、物欲で青く輝く星衣、名剣の為なら喩え火の中ブラックホールの中、等々。
 天秤座のアーケインという人物は、そのような人物としてよく知られていた。

 だが、今のアーケインは何だというのか。
 彼が見下ろしている金牛宮の石畳には、黄金の欠片が突き刺さっていた。
 それが宝物ならば、本来アーケインは喜んでいるはずなのだ。
 それなのに今のアーケインは、少しも喜んでなどいなかった。

「アルデバランに代わってだと。
 身の程知らずが」

 振り返らず、わずかに首を回しただけで肩越しにクリュスを睨み付けたその目は、視線だけで殺しかねないほどの怒気に満ちていた。
 その背中から立ちのぼる青い小宇宙は、若いマリクや成りたてのアクシアスとは明らかに違う。
 青輝星闘士が黄金聖闘士に匹敵するという言葉は、必ずしも全てには当てはまらないかもしれない。
 だがこのアーケインは間違いなく、黄金聖闘士に匹敵する……。
 クリュスは、その事実をどうしても否定できなかった。
 だが、それでも、

「……おまえたち星闘士に、何が分かるって言うんだ!」

 アーケインに勝るとも劣らぬほどの怒りを込めて叫び返した。
 分かっている。
 今の自分たちは、かつて十二宮を護っていた黄金聖闘士たちとは比較するのもおこがましいほどの力しかない。
 だがそれでも、アステリオンの指揮の下、死んでいった者たちに代わって、彼らの遺志を受け継いで、戦おうと誓ったのだ。
 この金牛宮を預かる以上、アルデバランの代わりとして、何が何でも、星闘士たちを通すわけにはいかない。
 まして、身の程知らずだというのならば、その言葉を覆してやらねば、ここにいる自分が許せない……!
 周囲にいるピアードたちを後回しにしてでも、この男を打ち倒す!!

「身の程知らずかどうか、受けてみろ!!」

 アーケインまで距離がある上に周囲を取り囲まれているために接近しての投げ技を仕掛けるのは難しい状況だ。
 だが、今度はさっきのような借り物の技ではない。
 北極星を抱く小熊座を冠するクリュスの聖衣は、ベルト部に北極星が意匠化されている。
 北極星から始まる天の軸は、星天全てを回転させる。
 それは黄道に煌めく十二星座といえども例外ではない。
 この空間に、天の渦を伴い、北極星から星軸を描くようにして、クリュスの直拳が振るわれた。

「ロードスター・オービタル!!」

 アーケインは、避けなかった。

「分かるとも……おまえたち聖闘士どもの、誰よりも……!」

 渦に巻き込まれ、宙に舞いながら、アーケインは空中で身を翻して光速拳を撃ち返した。

「タクティカル・アサレイション!!」
「ガア…………ッッッ!!!」

 全力で拳を繰り出した直後のクリュスに避ける術は無かった。
 胸部に直撃を受け、聖衣の破片とともに鮮血を撒き散らして、どう、と背中から倒れた。
 クリュスが倒れるとともに渦が消え、アーケインは何事も無かったかのように、元いた場所に着地する。

「少しは、理解できたか」

 普段のふざけ様が嘘のように思える冷たい目で一瞥をくれると、アーケインはその場にかがみ込んだ。
 そこには、床に突き刺さった黄金の欠片……いや、半ばでへし折られて突き刺さった黄金の角がある。

「信じられんな……まったく」

 クリュスを打ち倒したときとは人格すら違っているように思えるほど慎重な、敬意と怖れを払う手つきで、アーケインはその角を手に取ろうとした。

「そいつに……触るな……」

 全てを凍てつかせるようなアーケインの呟きには到底及ばない、意識さえ定かでないような声に、不思議と、アーケインの手は止まった。

「……クライシュ、まだ止めを差していなかったのか」

 クリュスが意識を失い倒れている今、アーケインを止めようとする人間は一人しかいない。
 クライシュの右腕に吊り上げられたままの檄だった。
 幾度も宙を舞わせて宮の床に叩きつけた宿敵が、半ば意識を失っているような状態だというのに、なお戦意を失っていないことに、クライシュはどこか安心した。

「結構だ。さすがにあれで死なれては、ここまで待った私が道化になってしまう」
「そいつに……触るんじゃ、ねえ……ライブラの星闘士……」
「耳障りだ、仕留めろ、クライシュ」
「との仰せだ。
 アーケイン様を止めたければ、まずは我が手から抜け出るのだな。
 もはや意識も危ういようだが、さあ、ここから逆転してみせてくれ、我が宿敵よ……!」

 クライシュは右腕に左腕を重ねて、吊り上げた檄の首を締め上げるだけではなく、意識はおろか小宇宙ごと守護星座まで刈り取らんとするほどの小宇宙を叩きつける。
 北天に冠たる柄杓は、時として死に神の鎌にすら喩えられるのだ。
 食らった檄の視界は、幾重にも銀河が生まれて消えるかのように明滅した。
 だがそんな意識の中で、何故かその光景だけははっきりと見えた。
 天秤座の星闘士が、床に刺さった金色の欠片に手を伸ばす光景が。

 アルデバランは、あれを何と言っていたか。

「させ……ねえ……!」

 奴を止めるには、この身を吊り上げている宿敵が邪魔だった。

「させねえ……!!」

 重なる記憶に突き動かされるようにして、身体が動いた。
 そう、あのとき、星矢はどうしたか。
 俺に首を締め上げられ、意識を失いそうになったその状況から星矢は、

「ぬああああああっっ!」
「ぬうっ!?」

 吊り上げられたままの姿勢から、吊り上げて来るその腕を両手で掴み、

「こう、やってくれたんだよな……!」

 白輝星闘士の小宇宙によって白く輝くその両腕の星衣を、あのときのように、握りつぶすのではなく、原子から粉砕した。

「!!さすがよな!」

 激痛に表情を歪ませながら、クライシュは感嘆の声をあげた。
 しかしさすがに檄を掴んだままではいられず、檄の身体は宙に放り出されるように解放された。
 星矢はここから流星の様に蹴撃を食らわしてきたが、クライシュに追い打ちを掛けるよりも、今は優先すべきことがあった。
 そのまま柱に叩きつけられるところを、クライシュの代わりに柱を蹴り飛ばして、天秤座の星闘士へと突進する。

「そいつに……、触るんじゃねえっっっ!!」
「!!」

 その速さは、アーケインの推測を上回っていた。
 アーケインが振り向いたのとほぼ同時に、檄の右掌底がアーケインを留めんと、叩きつぶさんとして繰り出された。

「ハンギングベアー・クラッシャー!」
「タクティカル・アサレイション!!」

 それでもアーケインは瞬時に反応し、必殺の気合いを込めた檄の攻撃をいなし、隙をついて反撃の一撃を繰り出す。
 だが拳を繰り出したそこに、檄の左掌底があった。

「何っ!?」
「聖闘士に一度見た技は、二度とは通用しない……!」

 アーケインは驚愕した。
 先ほどこの男はクライシュの攻撃を受けて意識すら定かではなかったはずだ。
 そんな状態で、先ほどクリュスに繰り出した自分の技を、光速の動きを、見切ったとでもいうのか!!

「おのれえっ!」

 アーケインの拳と檄の掌底が真っ正面から弾け合った。
 一瞬、両者の動きが止まる。

「だが、アルデバランには、到底及ばんわ!!」

 アーケインはそこから、叫びと共に拳を振り抜いた。
 小宇宙が込められたというよりは、気迫そのもののような一撃だった。
 檄はこらえきれず後ろに身体が泳ぐ。
 だが、倒れるつもりは無かった。
 石畳を砕きつつ踏みとどまり、アーケインへ向けて拳を振り下ろす。

「そいつは……、偉大なる牡牛座の黄金聖闘士が、俺の弟を認めた証なんだ!!」

 だから、奪われるわけにはいかない。
 触れさせるわけにもいかない。
 ペガサス星矢と血を分けた兄弟として。
 生き残った十人の中でも、最年長の兄として。
 そして何よりも……

「認めただと……あのアルデバランが、認めただと……!」

 その口を塞いでやると言わんばかりに、アーケインは全身に装着した武器を使わず、自らの拳で直接檄の顔面を殴りつけ、力ずくの一撃で檄を叩き伏せた。
 それは、青輝星闘士天秤座のアーケインの戦い方ではない。
 この場にいる星闘士誰もが、アーケインの変貌に絶句させられていた。
 彼をよく知るザカンや、ゼスティルムでさえ。

「……貴様等ごときが、偉そうにアルデバランを語るな」

 そう檄に吐き捨ててから、アーケインは大きく息を吐いて肩の力を抜いた。
 それはまるで、怒りに熱せられた自らを辛うじて冷却しているようにも見えた。

「それは、こちらの台詞だ……青輝星闘士……!」

 アーケインの言葉にひたすら理不尽さを覚えて、逆に怒りを燃え上げさせられた檄が立ち上がろうとする。
 だがその後頭部に、アーケインの右足が踏み落とされ、檄は額のパーツで金牛宮の石畳を割ることになった。
 さらに、

「あ、よっこいしょ」

 ようやく普段の自分の奇行を思い出したかのように、アーケインは左足まで檄の後頭部に乗せた。
 傍から見ると間抜けな格好で乗っている。
 普通こういう場合は片足だけを乗せて勝ち誇る方が格好付くはずなのだが、乗っかかられている檄としては屈辱度が三倍増しぐらいに感じられた。

「アルデバランに代わってだとか、アルデバランが認めただとか、軽々しく口にするな。
 奴の真の恐ろしさも知らぬ分際で」
「な、何……?」

 そのふざけた格好からはどうにも想定外な、冷たく鋭い言葉だった。
 檄は、アーケインという男がわからなくなってきた。
 ただ、一つはっきりしたことがある。

「貴様は、アルデバランと……」
「おまえたちは……いや、生きている者も死んだ者も、おそらく聖闘士は誰一人として知らぬのだろうな。
 牡牛座の黄金聖闘士、アルデバランという男の強さと恐ろしさを」

 アーケインは婉曲的ながら、檄の問いを肯定した。
 すなわち、自分はアルデバランと戦ったことがある、と。
 確かに檄は、アルデバランと戦ったことはない。
 アルデバランの戦歴も知らない。
 元々アルデバランは自分の実力をひけらかすことを嫌い、白銀聖闘士らが過去の戦歴を尋ねても、大したことはしていない、と答えるだけで済ますのがほとんどだったのだ。

 それに加えて、先の冥闘士との戦いで、アルデバランが誰と戦って、どのように死んだのか、その状況すらも知られていないのだ。
 その場にいたはずのサガ、シュラ、カミュの三人か、ムウならば知っていたはずだが、彼らはそれを言い残すことなく倒れた。

「その様子では、アルデバランがどう倒れたのかすら知らんようだな」

 檄の動揺の中心を直接突き通すかのように、アーケインは檄の頭の上で思いっきり嘆息した。

「き……聞かせろ。
 アルデバランは、どうなったんだ……」
「それが人にものを訊く態度か」

 アーケインは器用にも、檄の頭の上に両脚を乗せた状態から、今一度その頭を床面に蹴り付けた。

「教えろ……アルデバランのことを……、貴様が知っている全てを、この場で吐いてもらう……」

 檄もへこたれてなどいるつもりはなかった。
 頭を踏みつけたままのアーケインの片足を掴み、立ち上がろうとする。
 だが、アーケインは掴まえられた片足を檄の頭に乗せたまま、もう片足で檄を蹴飛ばして手近な柱に叩きつけた。

「ぐあぁぁ……っっ!」

 叩きつけられた柱がその衝撃でへし折れて、倒れた檄の上に雨あられと降り注ぐ。

「アーケイン様、その男は我が宿敵なのですが……」

 結果的に獲物を奪われてしまったクライシュが、十二分に丁重ながらも、我慢しきれなくなったという様子で、さらに追撃をしようとするアーケインを止めた。
 遠慮してか、口にこそ出さないが、ディルバルツとピアードの両名も不機嫌そのものの視線をアーケインに向けている。

「……あ。
 あー、なんだ……それを言いたければ、さっさと止めを差しておけ」

 言われるまで、綺麗さっぱりそのことが頭から抜け落ちていたのだろう。
 少々頭を掻いてから、クリュスと、檄が埋もれた瓦礫とを順に睨め付けた後、ゼスティルムに視線を向ける。

「お時間を頂いてよろしいですかな。
 この者等の身の程知らずを正してやらねば、黄泉平良坂に送る気にもなれませんので」

 十二時間以内の十二宮突破を当然の目標とするゼスティルムとしては、あまり歓迎したくない提案ではあった。
 しかし、

「おまえがアルデバランと戦ったとは初耳だな」
「これ以上無いというくらいの敗北でしたのでね。
 報告する気にもならなかったんですよ」

 このアーケインがそこまでこだわる理由を、問いただしておく必要を認めることにした。
 要するに、気になったのである。

「……よかろう」
「感謝致しますよ。
 さて、そもそもの初めから理解しているか?
 神話の時代から難攻不落と謳われた聖域十二宮だが、少なくともその名声を今代において不動のものにしたのが、アルデバランだということを」

 十二宮を突破した人間は、神話の時代から誰一人いないと言われる。
 事実、星矢たち五人が突破するまで、アテナ神殿はおろか教皇の間まで賊がたどり着いたことは無い。
 故に十二宮はこの地上を守護する象徴でもあったのだ。
 そもそも、十二宮全てどころか、最初の白羊宮だけであっても、そうたやすく突破できるものではない。
 ただ今代においては例外があった。
 第一の宮白羊宮の守護者であるはずの牡羊座のムウが十三年間に渡って聖域から離反しており、十二宮はその第一の宮が空であるという異常事態が長らく続いていた。
 結果として、十二宮までたどり着いた侵入者が最初に相対するのが、第二の宮、金牛宮を護る牡牛座のアルデバランということになった。

「サガの反逆から、神聖闘士たちの突破までの十三年間、海闘士や冥闘士の斥候を始め、いくつもの勢力が聖域を攻め落とそうとしたと聞いているが、誰一人として金牛宮を突破することは出来なかった。
 そうだ、難攻不落だったのは十二宮ではない。
 第二の宮、この金牛宮が、絶対不落の巨壁として全ての敵の前に立ちはだかっていたのだ。
 ……信じがたいが、アルデバランがペガサス星矢に道を譲った、その日までな」

 そこでアーケインは説明する口をしばし閉じて、彼にとって信じがたい物の突き刺さったところまで戻った。
 ペガサス星矢がへし折り、アルデバランに負けを認めさせたという、牡牛座の黄金聖衣の角。
 それは、ありとあらゆる意味で、あり得ない代物であり、あり得ない事件のはずだった。

 だが、理解できなくは無い。
 後に神聖闘士となるペガサス星矢の可能性を、曇り無く見抜いたからこそ、アルデバランは負けを認め、道を譲ったのだろうと。
 その眼に間違いはなかったことになる。
 しかしそれでも、アーケインにとってそれはあまりにも不条理な、納得できることの無い事件だった。
 忘れもしない。

「この俺がアルデバランに敗れたのは、四年前。
 青輝星闘士になった俺は、ものは試しと、聖域の宝物を狙ってこの十二宮に来た」





「ライトニング・ボルトォッ!!」
「タクティカル……止めた」
「待て!逃がさんぞ、ブラックライブラ!」
「だから違うって言ってるだろうが、この野郎……」

 こめかみをかすめて通り抜けていった、獅子座のアイオリアの光速拳の隙をついて、攻撃に転じようかと思ったが、深追いは危険だと思って止めることにした。
 根本的な間違いを一から指摘してやりたいところだが、このアイオリアという聖闘士は、こちらを捕まえることに躍起になっている。
 のんびり話をしている余裕などまるで無い。
 おそらく、戦功を立てねばならない状況にあるのだろう。
 十二宮外だというのに、執念めいた動きで追いすがってくるため、なかなか逃げるタイミングもつかめない。

「もはや聞く耳持たん!聖闘士の名を汚す賊めが!」

 宝物を求めて聖域中枢の闘技場近くまで忍び込んだものの、水瓶座のカミュと蠍座のミロという二人の黄金聖闘士に発見され、なんとか逃げ切ったところで今度はこの男に捕まったのだ。
 ひとまずここまで逃げの一手。
 さすがに無傷とはいえず、カミュの凍結拳を一発、ミロのスカーレットニードルを一発食らっている。
 どちらも、一対一で戦ったとしても、正面からぶつかれば、おそらくこちらが負けるほどの相手と見た。
 だが、手持ちの武器を全て使い、全力で卑怯に裏を掻けば、倒して倒せないことはないレベルだと思う。
 それが分かれば十分だ。
 そんな条件の相手を二人同時に相手するほど愚かではない。
 二人がこちらの様子見をしている間に、すたこらさっさと逃げてきたのだが、対照的に、このアイオリアは最初から全力で襲いかかってきた。

 しかも困ったことに、かなり手強い。

 一切小細工のない光速拳が怒濤のように繰り出されては、隙を見つけるのも難しい。
 下手に踏み込んでカウンターを食らうのが怖いので、とにかくかわすことに専念する。
 直撃を食らうとさすがにかなり痛そうだ。
 かわすかわすかわすかわすかわす、とにかくかわす。
 そうしていれば、

「貴様、オレの光速拳をここまでかわすとは……ただの暗黒聖闘士では……」

 焦りを覚えたらしいアイオリアがうめいた瞬間を逃さずに、即刻その場から逃げ出した。
 多分何かわめいているところだろうが、音に追いつかれるような速さでは無いので、とりあえず聞こえなかった。

「さて」

 岩壁や岩肌を縫うようにして移動し、一息ついて見渡してみると、十二宮の近くにまで来ていた。
 どうしたものか。
 このまま帰るのももったいない気がする。
 近づいてみると大した威容だ。
 神話の時代から落ちたことが無いという与太話もあながち嘘とも言い難い。
 だがその中にいる黄金聖闘士のうち、三人は既に十二宮外に出て、今頃こちらを探しているころだろう。

 噂には聞いていたが、ここから見たところ、白羊宮はやはり守護する黄金聖闘士が不在であるらしい。
 そうすると双児宮に天秤宮、さらには人馬宮が空だという噂も正しいのではないだろうか。

 アフロディーテは話が分かるからそこまで心配する必要はない。
 それから、デスマスクの奴は今シチリア島で弟子の面倒を見ているはずだ。
 ああ見えてなかなかマメな性格をしている。
 問題はシュラだ。
 あれはとにかく融通が利かない。
 だがまあ、話せばわからないことも無いだろう。

 そうすると残りは、金牛宮と処女宮のみ。

 ここまで三人の黄金聖闘士と戦ってみた感触としては、一対一で卑怯全開な戦い方をすれば、なんとかなる気はする。
 武器や暗器の手持ちは十分。
 突破を狙ってみる価値は、ある。
 元々、目的も無しにこんなところまで来たわけではない。

 十二宮の果て、アテナ神殿には、神話の時代から受け継がれてきた神具が存在するという。
 常に所有者を勝利に導くという、勝利の女神ニケ。
 神や悪魔のいかなる攻撃をも退けるという、アテナの盾。
 単なる眉唾と片づけるには、伝説が明確過ぎ、保管されている場所に信憑性がありすぎる。
 アテナ神殿に保管されているということは、それらは神聖衣か、もしかしたら神衣の一部である可能性すらある。
 もし神衣だとすれば、地上に現存する唯一の神衣だろう。
 是が非でも欲しい。
 何が何でも欲しい。

 無論、この伝説が本当だとしたら、これを纏ったアテナには絶対に勝てないということになる。
 だが、勝利を無視してその神具だけを奪うならば、伝説の想定外を突くことができるはずだ。

「やって、みるか」

 そうと決まれば、十二宮外にいる三人の黄金聖闘士が戻ってくる前に攻め落とすとしよう。
 幾重にも張り巡らされた結界があったが、今の自分を止めるには力不足だった。
 そして、呆れるほどあっさりと十二宮に侵入する。
 厳密に言えば白羊宮は無人ではなかったが、たかだか雑兵の十数人、いないも同じだった。
 速やかに階段を駆け上がり、次の金牛宮を目指した。
 まだ侵入には気づかれていないはずだ。
 金牛宮の聖闘士に気づかれることなく通過できれば実に望ましい。
 幸い、騒ぎは十二宮から外れた方からしか聞こえない。
 逃げの一手だった賊が中枢部に攻め込むことはありえないと判断したのだろうか。
 だとしたら、有り難い。
 その間にちゃっちゃと突破させてもらうとしよう。

 そんなわけで、気配を殺してはいるものの、まったく緊迫感無く金牛宮までたどり着いた。
 まるで中から気配を感じない。
 まさかここまで無人なのだろうか。
 だとしたらより一層有り難い。
 迷う暇も惜しいので、そのまま突っ込んだ。
 大理石の柱が立ち並ぶ、宮の大きさに比してかなり狭く感じる廊下は静まりかえっていた。
 やはり、無人……

「……!!」

 瞬間、足が止まる。
 その男は、目の前に突如として現れた黄金の壁のように見えた。

「勝手にこの金牛宮を抜けることは許さん。
 この牡牛座タウラスのアルデバランがな……」

 体格のよい聖闘士たちの中でも、おそらく一二を争う巨躯だろう。
 腕を組んでおり、戦闘態勢とは言い難いが、対峙してみるとなかなかに威圧感がある。
 だがその小宇宙は、先にやり合った三人に比べると、やや劣ると見た。
 勝てる。

「いや悪いな。
 あんまり小宇宙が小さいものだから、誰もいないものだと思った」
「む、おまえの纏っているそれは、天秤座の暗黒聖衣か?
 それにしては、なかなかの使い手のようだが」
「あー、どいつもこいつも」

 どうやら聖闘士たちは星闘士の存在を完全に綺麗さっぱり忘れてくれているらしい。
 まあ、ここ五百年ほどは冥闘士とばかり戦っていたらしいから、忘れられるのも仕方がないかもしれないが、それでも気分が悪い。

「コキュートスで凍死体どもにでも尋ねるんだな」

 身長差をカバーするため、まずは矛を取り出して構える。
 真偽のほどはともかくとして、海から島を創ったという云われのある矛だ。
 急いでいるのでここは先手必勝。
 アルデバランが腕を組んだまま、構えを取る前に、攻撃を仕掛けた。

「その首貰ったあっ!!」
「グレートホーン!」
「何っ!?」

 腕を組んだ状態から、いつ放たれたのかと思う衝撃波が飛んできた。
 カウンター気味に食らいそうになるところ、なんとか踏みとどまり、左腕に装着した盾で凌ぐ。

「……っと、危ない危ない」

 あの腕を組んだ状態は、手を抜いているのではなく、どうやらあれが戦闘態勢であるらしい。
 珍しい戦い方だ。
 類似した戦闘方法というと、日本の居合い抜きが挙げられるだろうか。

「やはり、一筋縄ではいかぬか。
 これまでにこの金牛宮に来た侵入者のほとんどは、今の一撃で倒せたものだが」
「そんな凡百と一緒にしてる間に、押し通ってやるとするか!」
「グレートホーン!!」

 見える。
 腕を組み、溜めに溜めた状態から、その解きほどく勢いをもって加速された、まさに居合いのようにして繰り出される掌底波。
 だが、星闘士に、一度見た技が二度も通じると思ったか!

「タクティカル……」

 身を翻し、紙一重で……としたかったがさすがに拳ではなく掌底では攻撃範囲がやや広い。
 もう一動作分、避けなければならなかった。

「アサレイション!」

 舌打ちしながら繰り出した矛先は、アルデバランの隙を突ききれなかった。
 外れた矛先はマスクの左角の部分に当たる。
 せめてその角でもへし折ってやると思い、振り抜こうとしたが、矛は甲高い音を立てて弾かれた。
 並の金属を弾いた感触とは全く違う、恐るべき硬度と強度だった。

「この矛と今の攻撃でヒビ一つ入らないとはな……
 黄金聖闘士の下馬評は眉唾でも、永久不滅と謳われた黄金聖衣の伝説は真実だったか」

 青輝星闘士の星衣は黄金聖衣に匹敵する、というのが売り文句のつもりだったが、本当に黄金聖衣と同格の防御力を持たせるには、青輝星闘士の中でも究極に近い小宇宙が必要になると思った。
 成分はオリハルコンとガマニオン、銀星砂の固溶体と聞いているが、これはもう、物質の領域を超えている。

「素晴らしい……!」

 ムーの錬金術師たちの技術は驚嘆と賞賛に値する。
 まったく、どうしてこの技術力を星衣の製造に注ぎ込んでくれなかったのか。
 全星座共通で、小宇宙の絶対量に応じて防御力が限りなく上昇する星衣の技術も気に入っているが、目の前にこのようなものを見せられては思わず浮気もしたくなる。
 いや、いっそいくつか黄金聖衣を奪ってしまおうか。

「賊よ、貴様は何故にこの十二宮に来た」

 人が良い気分でいるところに、底冷えのするような声でアルデバランが問いかけてきた。
 無視してやろうかと思ったが、その声にはそれを許さないだけの迫力があった。
 ……許さない、だと?

「言わずもがなだと思うがなあ」
「間違っても迷い込んできたわけではない。
 ただの鼠では無いことはここまでの動きでわかる。
 だが、その実力の割には、宝物を狙いに来た盗賊のようにも見える。
 解せぬのだ。
 おまえは何者だ。何をしに十二宮に来た」

 鋭い。
 いや、まったくもってその通り、宝物を狙いにやってきたのだが。
 しかし、その理由以外にも理由がなくはない。
 そもそもこの堅物だ。
 真っ当な理由の一つでもくれてやるか。
 激怒させてしまえば、この手の相手は動きが直線的になり読みやすくなる。

「最初は、俺たちの宿敵である黄金聖闘士の実力を確かめるつもりで出向いたが、いや、実際大したことは無いな。
 今、理由が増えた。
 このまま老いぼれた教皇とアテナの素っ首貰って帰るとしようか」
「そうか……」

 瞬間、総毛立った。
 アルデバランから感じる小宇宙が、解き放たれたかのように爆発的に膨れあがった。
 さんざめくプレアデス星団を抱えた圧倒的な小宇宙は、この金牛宮を丸ごと押しつぶしかねないほどの強烈な威圧感を発している。
 違う。
 こいつは、他の黄金聖闘士たちとは、全く、違う……!

「単なる盗賊ならば見逃すことも出来たが、アテナのお命を狙う賊とあらば、それで十分。
 このアルデバラン、もはやおまえの正体を知ろうなどとは思わぬ。
 まして、俺を愚弄するのは一向に構わんが、黄金聖闘士を侮る身の程知らずを、後悔する間も与えぬ!!」
「!!」

 何が、起こった……!?
 認識した瞬間には、天地がひっくり返って柱の一つが半ばでへし折られていた。
 その柱をへし折ったのは他ならぬ俺自身の身体であり、つまるところ、俺はアルデバランの攻撃をまったく見切れずに吹き飛ばされていたということか……!

「ぐうあああっ……!」

 次の柱に叩きつけられる前に、辛うじて体勢を立て直す。
 今の一撃で全身が一瞬麻痺させられたのか、立て直す動きが遅く、スレスレのタイミングになった。
 両脚のバネを最大限に使うようにして、柱の側面へ、重力とは垂直に着地する。
 それでさえ、柱にヒビが入り、両膝が悲鳴を上げた。
 単に飛ばされていただけではなく、なおアルデバランの拳圧に押し込まれていたのだと、ようやくに悟った。
 着地したのは柱の五メートルほどの高さ。

 だがその瞬間、眼下より黄金が吹き上がった。

「グレートホーン!!」
「ガアアッッ!!?」

 大の字に叩きつけられる、という日本の言い回しはこういうことか……。
 とっさに構えた左腕の盾を完膚無きまでに粉々に砕かれたあげく、無様に叩きつけられた天井で、何が起こったのかようやくわかった。
 今し方俺が着地しようとした柱を粉々に粉砕しつつ、アルデバランは俺の真下からグレートホーンを繰り出していたのだ。
 いかに黄金聖闘士も光速の動きを身につけているとはいえ、単なる速さではこんな真似はできるものではない。
 俺に認識させないほどの速さで攻撃を繰り出しておきながら、即座に吹っ飛ばした俺に追いついて、真下から攻撃を繰り出すなど、常軌を逸した身のこなしだ。
 すなわちそれは、必殺技の隙など無いに等しいということであり、タクティカル・アサレイションが通じる余地がまったく無いということだ。

 それだけではない。
 今しがた砕かれた盾は天秤座の星衣の中でも、最も堅牢なパーツなのだ。
 そのパーツが粉々に砕かれた。
 つまり、次に直撃を食らえば星衣もろとも粉々にされるということだ……!
 第三撃が来る前に天井から身体を引き剥がし、攻撃に転じる。

「ヘブンズマイア・ミキサー!!」

 手持ちの武器を惜しんでいる場合ではない。
 数千年単位の神話を持つ矛の全能力を解放して、アルデバランめがけ落下する。

「グレートホーン!!」

 ぶつかるアルデバランの技には、神話も何もない。
 先ほどから同じ技を繰り出しているのみ。
 ただ、こちらを打ち倒そうとする圧倒的な威力を有していた。
 必殺のつもりで繰り出した攻撃は完全に相殺され、伝説の矛先が無惨にへし折れた。
 あり得ない。
 断じてあり得ない!
 だが、目の前に起こっていることは、どうにも否定しようの無い現実だった。

 三度吹き飛ばされた。
 次が来る。
 既に破壊されたも同然の矛は捨てるしかない。
 とっさに反撃できる武器……隕石を圧縮して造られたという短剣に全力で小宇宙を込めてぶん投げる。

「ブレイズ・ミーティア!」
「グレートホーン!」

 地上に再臨させた隕石が、野牛の角の前に砕け散る。
 太陽を欠けさせたという矢が、
 王の一族を滅びに追い込んだという刀が、
 雷を留めて研ぎ澄ませたという槍が、
 世界の果てをこじ開けたという鎚が、
 世界中からかき集めた伝説と神話の数々が、どれ一つ、何一つ、アルデバランに届くことなく、その伝説を終焉させていく。
 繰り出している技はただ一つ。

「グレートホーン!」

 星闘士に一度見た技は二度と通用しない?
 ことアルデバランを相手に、そんなお題目は不可能だ。
 掌底波どころではなく、今や視界全てを覆って繰り出される攻撃をかわすなど、どうやってやれという。
 仮にテレポーテイションが使えたとしても、そのかわすタイミングは一億分の一秒以下。

 ならば先ほどまでと同様に、この場から逃走するか。
 否、論外だ。
 アルデバランが真に恐るべきは、拳の速さだけではなく、追いつき対処する反応と身のこなしの速さだった。
 逃げに転じようとすれば、その瞬間、完璧に無防備な姿をさらすことになる。
 その隙を見逃してくれるはずがないことは、十二分に理解できた。

 ならば、出来る手だてといえば、そのフルパワーを食らわぬように、せめてその瞬間の全力で攻撃を繰り出し、辛うじて相殺するのみ。
 アルデバランを倒すためではなく、その瞬間この瞬間を生き延びるために、全てをつぎ込まなければならなかった。
 凌ぐしかない。
 待つしかない。
 早く、早く来い……!
 何をもたもたしている……!

「グレートホーン!」
「ドラゴンスレイヤー!!」

 龍の心臓を貫いたという剣が砕け散る。
 ここまで何発凌いだか。
 だが、手持ちの武器は全て尽きた。
 やら……れる……!

「アルデバラン!」

 来た。
 ギリギリのタイミングで、先ほど撒いたアイオリアたち三人が、ようやく、金牛宮に到着した。
 これを待っていたのだ。

「アイオリア!
 来てくれたか……!」

 そう言ったアルデバランの動きが止まる。
 今のアルデバランの攻撃は苛烈過ぎるのだ。
 既に金牛宮の中は、飾りの柱と何重もの壁が吹き飛ばされて、瓦礫の砂地と言っても良い状態になっている。
 俺を狙った攻撃を凌いだ余波だけでこの有様になるのだ。
 この状態で俺を倒そうとすれば、三人を巻き込むことは必定。
 故にグレートホーンは打てない。

 アルデバランは、その事実まではわかったようだが、アイオリアたちの到着を歓迎しているところを見ると、おそらく奴自身でさえ理解していないのだろう。
 四人がかりで取り囲まれる方が、アルデバランと一対一で対面しているよりも、遙かに逃げやすいということを。
 ようやく、アルデバランに背を向けることができる。
 そのまま、金牛宮に突入してきた三人へ向けて突撃する。
 血気に逸るアイオリアが一番早い。

「ライトニング・プラズマーーーッ!!」

 その右拳が幾千幾万と閃き視界を覆い尽くす。
 その拳速は確かにアルデバランを上回る。
 だが、一秒間に一億発を数えるだろうその攻撃は拳であり、避けることが不可能ではなかった。
 全身各所の星衣を砕かれつつも、十数発食らっただけで凌ぎきった。
 既に至近距離。
 だが、構ってなどいられない。

「貴様っ!」

 ほとんど体当たりするスレスレのところでアイオリアをかわす。
 だが、かわしたそこには、カミュとミロの二人。

「ホーロドニー・スメルチ!」
「スカーレット・ニードル!」

 両側から挟み込むような二人の攻撃は、かわしようのない連携だった。
 方や凍気を伴って打ち上げられる拳。
 方や、その拳にギリギリ当たらない角度から振るわれる真紅の針。
 カミュの凍気には、拝火教の神殿から奪ってきた炎の腕輪を叩きつける。
 スカーレット・ニードルは……解毒薬ならばあるのだ。
 食らって即死はすまい!

 覚悟した瞬間に赤い閃光が六発炸裂する。
 いかなる方法によるものか、すんでの所で身をかわしたはずが、六発全て身体に打ち込まれていた。
 先ほど食らった分と合わせて七発だ。

 洒落にならない激痛が全身を麻痺させかけるが、勢いに任せて突破する。
 抜けた!
 果てしない牢獄のようにさえ思えた金牛宮から、ようやくにして脱出した。

「待てえっ!」

 誰が待つか。
 そのまま石段を転がり落ちるようにして逃げ落ちる。
 逃げる。
 凍気と拳閃とが追いすがるが、逃げ足で引けを取るつもりはない。
 この戦いは敗北した。
 だが、死ななければ再戦の機会はある。
 生きている限り、完全な敗北ではないのだ。
 生き延びて、逃げ延びる。
 立ちふさがる雑兵たちや白銀聖闘士を蹴散らし、結界を抜け、命からがらではあったが、なんとか聖域を脱出した。






「俺はあの三人以外にも何人かの黄金聖闘士を知っているが、それを計算に入れてもなお、桁外れだったという他はない」

 視線を四年前から今の金牛宮へと戻したアーケインは、思い出したように檄の頭をぐりぐりと踏みつけた。

「おかげで、十年近くかけて集めた俺のコレクションの主要な宝物は全滅してしまい、一から集める羽目になった。
 いずれも、どうやったら破壊することができるのかと思う品々ばかりだったのだがな。
 ……まあ、それはこの際どうでもいい。
 肝心なことは、そのアルデバランの実力を、他ならぬお前らがまったく分かっていないということだ」

 ようやくにして檄の頭から降りると、アーケインは檄を蹴り飛ばした。
 四年前、自分の宝矛でもヒビ一つ入らなかったというのに、今こうして石畳の床に突き刺さっている、あり得べからざる黄金の角から引き剥がすように。

「ぐ……貴様……」
「アルデバランはペガサス星矢に敗れたわけではない。
 その意味では貴様が言うように、アルデバランが認めたのでもなければ、神聖闘士は十二宮を突破できるはずがないのだ。
 本気になったアルデバランと正面から戦って勝てる者は、今代の黄金聖闘士でもまずおるまいよ」

 アーケインのふざけた態度には心底いらだたされている檄だが、ことアルデバランのことに限っては、この男が嘘を言っているようには思えなかった。
 しかし、それでもその言葉は過大評価ではないかと思った。
 これでもアルデバランの強さは十二分に、二十分に認めているつもりだ。
 実際、アーケインが説明した通り、この十三年間十二宮を難攻不落と呼ばわせたことに最も寄与したのがアルデバランだということは理解できる。
 だが、他の黄金聖闘士たちと比べてそこまで飛び抜けて強いとまでは思えなかった。
 アルデバランに敗北したアーケインが、自身の敗北を正当づけるための言葉ではないのか。

「脚色過多だと思ったか?」

 その思いが表情に出たのだろう。
 アーケインは檄の顔を見下ろして、バカにしたように……おそらく全力でバカにしたのだろう……笑った。
 その笑みに、隠しきれない悔しさと無念さが垣間見えたのは……何故だか、これほど腹立たしい相手に、共感すべきものを感じてしまったせいだろうか。

「もう一つの証言がある。
 あのアルデバランがどう倒れたのか教えてやる」

 アーケインはそこで金牛宮の外を……通り過ぎてきた白羊宮の方を振り返った。
 本人に解説してもらった方がわかりやすいのだが、やむを得ん。

「アルデバランを倒したのはサガ、シュラ、カミュの三人ではない。
 倒したのは、ハーデス軍百八の魔星中最悪の暗殺者、地暗星ディープのニオベだ」
「な……に?」

 アーケインは、にわかには信じがたいことを言った。
 それはおかしい。
 つじつまが合わない。
 冥闘士たちが攻め寄せてきたとき、檄も聖域の防御に当たっていたから、大まかな動向は小宇宙の動きで察している。
 デスマスクとアフロディーテの二人がムウによって倒された後、サガ、シュラ、カミュの三人は少なくとも巨蟹宮まで先鋒を勤めていたはずだ。
 正規の冥闘士が小宇宙を露わにしたのは、シャカの攻撃により三人の小宇宙が一時的に絶えた後のはず。
 それまでは正規の冥闘士たちは戦っていないはずだし、そうでなければ彼らがわざわざ黄金聖闘士を蘇らせて先鋒にした意味がない。
 アルデバランが最強の壁だというのならば、なおさら黄金聖闘士同士の相討ちを狙うべく、三人と激突しているはずだ。

 だが確かに、金牛宮からは戦闘が繰り広げられた小宇宙は感じられなかった。
 サガ、シュラ、カミュの三人がかりともなれば、さしものアルデバランも持ちこたえられなかったのかと思われていたのだが……暗殺者、だと?

「少しは事情の特殊さが分かっているようだな。
 そう、確かにハーデス様が黄金聖闘士たちにかりそめの命を与えたのは、自身の正規軍たる百八の魔星を損なうことなくアテナ軍を全滅させるためだった。
 アテナ軍最強と言われた黄金聖闘士同士がぶつかり合って共倒れすればよし。
 故に、復活させた黄金聖闘士たちのカードを使い切るまでは、正規の冥闘士たちが動くはずがない。
 ラダマンティスに送り込まれた冥闘士たちも、無論、そのつもりだった。
 だが、その目算がこの金牛宮で狂ったのだそうだ」
「……お前にそれを教えたのは、誰だ……」

 ここまでふざけ尽くしたアーケインだが、檄には彼がアルデバランについて嘘を言っているようには思えなかった。
 ならば、証言といい、だそうだ、という言い回しといい、アーケインの話の信憑性はそれを伝えたのが誰かというところに集約される。

「冥闘士最後の生き残り、地妖星パピヨンのミュー。
 ついさっきまで白羊宮にいたので、本人に証言して貰えばよかったのだがな。
 奴はそのとき、正規の冥闘士たちを率いてこの十二宮に来ていた。
 白羊宮を抜け、サガたちに先行して金牛宮を偵察したミューは、ここでアルデバランを見た。
 その感想はだ」

 アーケインは、一瞬、星に祈るかのように目を閉じた。

「如何にサガ、シュラ、カミュの三人でも、黄金聖衣を纏っていない状態では、全力で立ちふさがるアルデバランを相手にしては全滅する。
 のみならず、正面から挑めば自分たちまでも全滅させられる」
「…………!!」

 檄は、絶句した。
 サガ、シュラ、カミュの三人を相手にしては、その後で、乙女座のシャカが意図的にとはいえ倒されている。
 次いで、黄金聖衣を纏ったムウ、アイオリア、ミロの三人が立ちふさがり、そこにさらに神聖闘士の加勢があった上で、ようやくにして彼らは倒れたのだ。
 これらの評価は人それぞれだろうが、サガ、シュラ、カミュという黄金聖闘士三人が揃ったその恐ろしさがどれほどか、あのとき聖域を守ろうとした面々は嫌というほど知っている。
 その彼らをしても、勝てなかったというのか。

「無論、ミューの主観でしかないがな。
 だが、少なくとも奴はそう判断したし、黄金聖衣の有無から来るハンデを考えれば俺もあり得ると考えるな。
 真実がどの程度であったのかはわからん。
 だが、とにかくミューはここでアルデバランを相手に正面から戦うのは得策では無いと考えた」
「それで、暗殺者か……」

 そこまで聞いて、檄は思い出したことがある。
 十二宮の戦いが終わった後、他でもないそのアルデバランが一撃の下に倒されるという事件が起きた。
 刺客は、アスガルドの神闘士、ゼータ星ミザールのシド。
 当時、誰もがあり得ないと思った。
 そのシドに日本で一蹴された檄でさえ、その男をしてもアルデバランを一撃で倒すことなど出来るとは思えなかった。

 そして、事実そうであった。
 アルデバランはシドの不意打ちとも言うべき攻撃を全てかわしきっていたのだ。
 アルデバランを倒したのは、双子の弟の凍気に紛れてアルデバランにすら存在を察知させなかった、シドの双子の兄ゼータ星アルコルのバドだった。
 それも、シドの攻撃を全てかわしきった直後の状態で、背後から。
 宣戦布告とするには卑怯過ぎるこの初戦には、確かに違和感があった。

 それは、ゼータ星アルコルのバドも、アルデバランの恐ろしさを分かっていたから……?

「ニオベは、拳を振るう必要すらなく香気だけで人間を殺せるという、殺すということについてはタナトス様に次ぐほどの男だ。
 冥界三巨頭でさえ、一目置いていたというよりは、忌避していたほどらしい。
 いわば、冥闘士にとっては最大の切り札の一つ。
 ミューとしては必勝を期したつもりだったらしい。
 ……それでも、アルデバランはその想定を上回った」

 感じた時点で既に皮膚から浸透し、心停止より先に全身の細胞が死に至っているような状態で、アルデバランは最期のグレートホーンを放ったのだ。
 ニオベがグレートホーンを浴びても即死しなかったのは、死の香気を常に纏っていた故の肉体の特殊性によるものだろうか。
 それでも彼は、続くアリエスのムウと交戦する最中に、グレートホーンのダメージによって自壊した。

 結果として、十二宮最大の壁と、冥闘士最大の暗殺者との戦いは相討ちに終わった。

「バドに食らった傷が完治していれば、おそらくは相討ちではなくニオベの完敗であったろうよ。
 もしアルデバランが万全の状態だったら、先の戦いはこの金牛宮で終わっていた可能性がある。
 もっとも……結果としてアテナの聖衣が復活して、ハーデス様が倒れたわけだから、何が良かったのかはわからんがな」

 そうして、アーケインは檄とクリュスを今再び見下ろす。

「その金牛宮を、この程度の実力で、アルデバランに代わって護っているつもりだったのか。貴様等は」
「よく、聞かせてくれた……!」

 叩きつけるようなアーケインの言葉に対して、半ば弾かれるようにして、クリュスが立ち上がった。
 胸部の聖衣は幾重にもひび割れて血がべっとりとこびりついているが、傷からの出血はアーケインの長話の間に、既に止まっている。
 身長では到底届かないながらも、アルデバランを目標としてひたすらに鍛え上げてきた肉体だった。

「だが、僕らは前言を撤回しない。
 今、僕らはこの金牛宮をアルデバランに代わって、アルデバランの後を継いで護っている。
 それを大それたことだと言うのならば、今聞かせてくれたアルデバランに少しでも追いつくよう、全身全霊全小宇宙を以て、君らの前に最期まで立ちはだかろう……!」
「笑止な、やれるものならばやってみろ……。
 ピアード!ディルバルツ!
 この男に身の程を教えてやれ!」
「ご自分で焚きつけておいて……まあ、望むところですがね!」
「今度こそ止めを与えてやるぞ!!」
「燃えろ、僕の小宇宙よ……。
 モーゼス、アルゲティ……僕らの力の全てを、今、ここに……!」

 クリュスの小宇宙が一瞬にして膨れあがる。
 二倍や三倍どころではない。
 爆発的に増大したオーラに、三つの星座が重なり合う。
 小熊座、鯨座、ヘラクレス座。
 重なり合った星座が互いに互いを高め合い、小熊座からは最も遠いはずの黄道へ近づいて……

「いかん!そやつに近づくな……!」

 その危険性を察したゼスティルムの叫びは音速。
 間に合わなかった。

「カイトス・スパウティングボンバー……!コルネホロス……!」

 銀河全てを抱くように、クリュスの両腕が二つの星座を伴って跳ね上がった。
 投げ上げられたのは、目の前にある全て。
 ピアードとディルバルツだけではない。
 星闘士全て。
 アルデバランには及ばないと告げた、アーケインまでも、宙に舞い上げていた。
 だが、これで終わりではない。
 これはモーゼスとアルゲティの技だ。
 そして、二人とともに修行したクリュスの技が、

「これが……真の、セレスティアル・ローテーション!!」

 本来ならば三位一体で繰り出すこの技は、白銀聖闘士最強の自負があった。
 黄金聖闘士禁断の奥義には及ばないだろう。
 だが、三人がかりでたった一人を討つ技ではなく、来るべき聖戦において、無数の敵を打ち倒すためならば、アテナもお許しになろうと信じた。
 信じて、鍛え上げて、聖戦に届かなかった一撃だった。
 聖戦が始まる前に、失ったはずの一撃だった。

 だが、出来ないと、自分だけが決めつけていた。
 たとえ死しても、小宇宙は不滅だと、魂は不滅だと。
 死してもなお、二人はアテナの聖闘士でありつづけたはずなのに、自分だけが絶望していた。
 その絶望に、アーケインの言葉が火を付けた。
 自分たちが為しえた最高、最強の奥義を以て、白銀聖闘士の意地と誇りを見せよう。
 これが今、金牛宮を預かる自分に出来る、最高の技だ。

「回れ星々!!」

 星闘士たち全てを手玉にとらんと、両腕を回転させる。
 舞い上がった星闘士たちを三重に重なる小宇宙に捕らえて、公転の嵐に押し流す。

「ガハアッ!!」

 まず、一番間近で舞い上げられたディルバルツが、星衣を砕かれて血を吐いた。
 続いて小宇宙の分だけ星衣の防御力で劣る赤輝星闘士たちが次々に星衣を砕かれる。

 いける!
 88の聖闘士の中から北極星を預かった者としての矜持を以て、聖闘士の宿敵である星闘士たち全てを……

「終わりだ」

 冷徹な声が、クリュスの胸部を真っ直ぐに貫いた。

「カ……ハ……ッ?」

 星闘士たちを回転させていた両腕が止まる。
 見れば、先ほどタクティカル・アサレイションで聖衣を砕かれた胸部の真ん中に、濃黄金色の棒が突き刺さっていた。
 投げたのが誰か、確かめるまでもない。
 四年前に自らの宝物をことごとく砕かれたという男が、それに及ばぬと告げるために投げたに他ならない。

「ガ……ア……」

 致命傷だ。
 投げつけられたのはおそらく槍か。
 あまりにも鋭い鉾先のために、突き刺さった槍自体が出血を止めているが、間違いなく心臓を裂いていた。

「げ……檄……」

 声を出そうとして、肺が破れ、血を吹き出して広がっていく。
 それでも、なんとか声になった。

「ク……クリュスさん……」

 瓦礫の中から這い出る音がする。
 聞こえているか。
 頼む、あと少しだけ……

「君ならば……出来る……。
 神にも立ち向かった君たち青銅聖闘士なら……アルデバランの後を継いで……、僕たち白銀聖闘士と、黄金聖闘士たちの意志を継いで……」

 それ以上は、声にならなかった。
 霞みゆく目で星闘士たちを見渡す。
 ヘラクレス座のディルバルツは倒した。
 赤輝星闘士も何人か倒したはずだ。
 だが、鯨座カイトスのピアードは……

 済まない……モーゼス……

 クリュスは知らなかったが、かつてアルデバランがそうであったように、最期まで星闘士たちの行く手を遮るように立ちはだかったままで、

「く……クリュスさん……!」

 這い上がり、手を伸ばそうとした檄の眼前で、
 青銅聖闘士に、白銀聖闘士としての誇りを託すかのように背を向けたままで、
 小熊座アールサの聖闘士、クリュスの小宇宙は燃え尽きた。





「クリュス……!」

 教皇の間で、アステリオンは拳から血が滴るにも構わず握りしめていた。
 分かっていた。
 今の聖闘士と星闘士の戦力差から考えて、正面から激突すればこうなることは。
 だからこそ、厳命したのだ。
 決して全てを相手にしてはならないと。
 だが、それにも増して自分には分かっていたのではなかったか。
 同じ白銀聖闘士として、自分があの場にいれば、きっと、そんな指示には従わなかっただろうと。
 星闘士全てを相手どり、金牛宮の壁となろうとしただろうと。

「大……馬鹿、者だ……」

 吐くように、あらん限りの悔恨を込めて、アステリオンは自分を罵倒する。

「俺は……また、助けられなかった……!」

 目の前で星矢にモーゼスを倒された時の光景が、今しがたの金牛宮に重なる。
 あのときも、俺は何が起こるか分かっていて、結末が分かっていて、何も出来なかった。
 あのときは刹那。
 今は火時計が一つ消えるほどの間。
 それも、クリュスは、モーゼスの技を手に戦って……それならば、なおのこと、俺はこの結末を予想できて……

「アステリオン……!」

 それ以上は言うなと、彼の襟を掴み上げたスパルタンの頬も、滂沱たる涙に濡れていた。
 オリオン座のエルドースを除く白銀聖闘士はほとんどが同世代であり、聖闘士候補生の頃からの付き合いがある。
 友誼の深さに個人差はあったが、数少ない生き残り同士の連帯感は、血を分けた兄弟である青銅聖闘士たちにも劣るものではない。
 その仲間を最前線に配置したアステリオンの苦しみは、白銀聖闘士以外の者の想像を絶するだろう。

 それでも、誰が彼を恨むものか。
 スパルタンとて、同じ立場にあれば決してアステリオンを恨みなどしない。
 聖闘士として、十二宮を守るために戦った。
 その戦いを、アステリオンに否定させてはならなかった。
 否定して欲しく無かった。

 まだ、戦いは終わっていないのだから。

「わかった……スパルタン」

 名を呼ぶ声に礼を込め、アステリオンは仮椅子から立ち上がった。

「檄……お前はこれで終わるのか。
 頼む、立ち上がってくれ……。
 クリュスは、お前なら出来ると言ったんだ……お前に託してくれたんだ……。
 戦ってくれ……!」




 分かって……いるとも……!

 打ちのめされかけた檄の意識は、目の前でクリュスの小宇宙が燃え尽きたことを認識するだけでやっとであり、遠くから微かに聞こえた声がアステリオンのものであるとすら分かっていなかった。
 それでも、その声に応えた。
 味覚から生じる音ではなく、小宇宙を以て。

 そういえば、以前にもこんなことがあった。
 あのとき、垣間見たのだ。
 小宇宙の神髄を。

 あのとき戦ったのは、……青輝星闘士、牡牛座のグランド。
 あれは、どこだった。
 ここは、どこだった。
 ここは、金牛宮。
 ここは、偉大なる黄金聖闘士、牡牛座のアルデバランの宮。

 アルデバラン……。

 思い出したことがある。
 冥王が蘇る前、たまたまアルデバランと話をする機会があった。
 いや、今にして思えば、神闘士にやられた傷が思わしくないアルデバランは、何かを悟った上で遺言を伝えようとしてくれたのかもしれない。

「聞いた話では、どうやら俺とお前は同じらしいな」

 そんな、身に余る言葉だった。

「なに、お互いに初戦で星矢に敗れた身だ。
 不思議な縁だが、お前が他人とは思えんのだよ」

 同じであるはずがない。
 アルデバランは星矢を認めて通したのであり、自分は星矢の力を認められずに負けたのだから。

 だが、それでも、あんたは同じだと言ってくれた。
 こんな俺を同じだと言ってくれた。
 そしてまた今も、クリュスさん……そしてあんたが親友と呼んだ白銀聖闘士たちの思いを託された。

「それなのに、俺は……」

 倒れてなどいられない。
 わずかでもこの身に小宇宙の炎が燃えている限り、何度でも!

「む……!」

 檄の異変に真っ先に気が付いたのは、無論、大熊座ブルーインのクライシュだ。
 守護星座を争うべき檄が、自分の手に因らずに倒れているなど、我慢ならなかった。
 きっと、立ち上がってくると信じていたのだ。
 その思いが因って立つ場所は正反対だというのに、その願いは、クリュスの最期の思いと一致していた。

 それら全てに、応えるように。
 檄を埋もれさせるように積み上がった大理石の瓦礫が、内から燃え上がる小宇宙に照らし出されて輝きを帯びる。
 やがてその輝きは、勢いを増す小宇宙とともに炎へと変わる。
 星屑のような煌めきとともに炎上する大理石の中から、オーラとなって燃え立つのは、北天の雄、大熊座。

「ああ、確かに、そうだった……」

 幾度と無く神を討ち破ってきた星矢には及びもつかない。
 だがそれでも、確かに俺たちは神に逆らった。
 死の神タナトスにさえ、立ち向かった。
 血を分けた兄弟たちとともに、立ち向かった。

「俺は、星矢の兄貴だった……。あんたが認めた男の、兄貴だった」

 青銅聖闘士の域をはるかに超えて燃え上がる小宇宙とは裏腹に、幽鬼のような姿勢でゆらりと立ち上がり、虚空へと呼びかける檄の姿は異様でさえあり、アーケインやゼスティルムでさえ手を出すことに躊躇を覚えさせられた。
 その中で進み出たのは、やはりクライシュだった。

「そうだ、それでこそ、私と守護星座を争う男よ。
 さあ、最後の決着をつけようぞ!」

 その言葉を、市がフェロンと戦ったときのようにジャミールで聞いていたら、応じることも出来ただろう。
 ここまで散々痛めつけてくれたクライシュを打ち倒し、雪辱を望む気持ちは確かにある。
 しかし、

「悪いな……」

 今は、守護星座を争うことよりも、もっと強い、戦う理由があった。

「俺にはできると、あんたは言ってくれた……」

 自分より背の低いはずの白銀聖闘士の背中は、なお倒れることなく、高みにあるかのように立っていた。

「あんたは、こんな俺を同じだと言ってくれた……!」

 聞かされたばかりの、四年前の戦い。
 十二宮の伝説を今に確立させた、偉大なる黄金聖闘士の戦いを思い描こうとする。
 
「あんたたちが、最期まで護りたかったこの宮を、その願いを、このひとときだけ預からせてくれ!
 燃えろ、俺の小宇宙よ!
 白銀聖闘士たち、黄金聖闘士たちの分まで、先人達の位まで、今こそ高まれ!」
『何ッッ!!』

 檄の叫びに、応えたものがあった。
 燃え立つ檄の小宇宙に呼ばれたかのように、あるいは、託しに来たかのように。
 涙で織られたような花飾りを纏った黄金聖衣が、檄の頭上に姿を現していた。

「……アルデバラン……」

 アーケインはそれを見上げて、我知らず呟いていた。
 いや、呼びかけようとしていたのかも知れない。
 その身体が震えていた。
 恐怖なのか、歓喜なのか、自分でもわからないままに。

「させはせん……!」

 だが、ゼスティルムは迅速に動いた。
 信じがたいことだが、次に何が起こるのか、聖闘士たちのこれまでの戦いを聞いていれば当然のこととして予想できる。
 阻止しなければならなかった。

「アーク・プロミネンス!!」

 檄もろとも、牡牛座の聖衣までも焼き尽くそうとするような巨大な炎の筋が、
 命中する前に、止められた。

「イルピトアならばいざ知らず……貴様、正気か」

 ゼスティルムを遮るように横に伸ばされた左腕には、亀の甲羅を連想される盾が装着されている。
 それはアーケインが、四年前にアルデバランによって修復不可能なまでに破壊された盾のパーツの代わりとして使っているものだ。

「見過ごすというのか、貴様が」
「陛下……。あなたの教えに背くのは、これが最後です……!」

 アーケインの答えは、ゼスティルムに向けたものではなかった。
 ここにはいない相手に、心底から詫びる叫びであった。

「感謝致しますぞ、アーケイン様」

 クライシュがそう呟いたのを合図にしたかのように、予測された、信じられない事態が起こった。
 檄の身体は呼ばれるように浮かび上がり、これまでその身を護り続けてきた大熊座の聖衣が、黄金聖衣に道を譲るかのように分離した。
 そして、最後まで引き留めるように、すがりつくように、黄金聖衣を飾っていた花々を振り切って、牡牛が展開する。
 棘さえ有する野性的な意匠の施されたパーツが、次々と檄の身体に装着されていく。
 ここに至るまで既に増大していた檄の小宇宙は、黄金聖衣が装着されていくに従ってさらに巨大になっていく。

「これは……増大しているというよりも……」
「足されている、というべきだな」

 アーケインに対して言いたいことは山とあるが、ひとまず認識は共通しているとしてゼスティルムは彼に言葉を繋げた。
 檄から感じる小宇宙は、一つではなかった。
 大熊座のオーラに重なって黄金に輝いているのは無論牡牛座のそれだ。

「だが、信じられぬ。
 アルデバランはこの金牛宮で死に、嘆きの壁を前にしてその魂までも燃え尽きたはず……」
「あれは、魂ではないでしょう」

 ヘッドのパーツを除く全パーツを纏い、檄は金牛宮の床を踏みしめる。
 ヘッドのパーツは、その手の中にあった。
 星矢によって片方の角を折られたままで。

「ああ、俺はきっとまだ、アルデバランの魂に、認められたんじゃない」

 アーケインの見解を否定するつもりはなかった。
 自分が黄金聖衣を纏うことがどれほど大それたことかはよく分かっている。

「あえて言えば、残留思念、だろう」

 アーケインの言葉は質問ではなく確認だった。
 檄はかすかに首肯する。
 そうだと思った。
 かつて星矢は十二宮に挑む前にアイオリアと戦った際、射手座の黄金聖衣を纏ったことがあったという。
 そのときはまだ星矢も、射手座の黄金聖衣に認められたわけではなかったらしい。
 ただ黄金聖衣は、自らを纏っていた者の残した遺志を護ろうとしたのだろう。

 きっと、それと同じだ。

「あんたは、こんなにも……」

 アルデバランは、最後の最後までこの宮を護りたかったのだ。
 親友であるムウが教皇に疑問を抱き、聖域を離れていた十三年間。
 それでもなお、最前線となった金牛宮に立ち続け、あらゆる侵入者を打ち倒してきた。
 伝説を再現するまで戦った。

 その遺志を、確かに、預からせて貰おう。

 檄は両手でしっかりとヘッドのパーツを掲げ、頭に戴いた。

「待たせたな。分不相応な借り物だが、見せてやる……!」

 星闘士たちに向き直り、右腕を振り上げて、思い描いた姿をなぞる。
 届かないと分かっている。
 それでも、この聖衣を纏い、彼の遺志を託されて立つ以上、やらねばならぬと思ったのだ。
 そして、実際に繰り出された拳は、光速に迫っていた。

「グレートホーン!!」
『!!!』

 吹き抜ける、などという生やさしいものではない。
 先ほどアーケインが言った、視界全てを覆うという言葉は誇張でもなんでもなかった。
 アルデバランの遺志を具現化したようなその一撃で、星闘士全員、金牛宮の入口付近まで戻されていた。
 ある者は転がり、ある者は吹き飛ばされ、さすがに青輝星闘士たちは倒れなかったが、それでもその場でこらえきることはできなかった。

「これが……」
「聖域十二宮を難攻不落と称えさせた」
「牡牛座のアルデバランか……!」
「不足。だが……よくここまで再現してくれた……」

 アーケインは、自らの左腕に装着した盾のダメージを確認してから進み出る。
 口元に、自分でも気づかぬほどの微かな笑みを湛えて。

「赤輝星闘士はしばし下がれ!
 白輝以上の小宇宙で星衣を覆わねば、生き残れんぞ!」
「……ったく、誰のせいですかい」
「同意見だな」

 先ほどクリュスの放ったセレスティアル・ローテーションで満身創痍になっている鯨座カイトスのピアードは、既に今の一撃で意識を失う寸前だった。
 彼に肩を貸した御者座アウリガのザカンは、極端なまでに信念を曲げてこの戦いにこだわったアーケインを恨みたくなってきた。
 今目の前にいるのがアルデバランの残留思念だと言っても、実質アーケインの話によって眠れる野牛を起こしてしまったに等しい。
 それなのに本気で恨めないのは、あの冷血人間だと思っていた男にも、全身全霊を賭けて、再戦すら望む戦いがあったことを知ってしまったせいか。
 逆に、全身にグレートホーンのダメージを受けつつ、なお笑っているのは大熊座ブルーインのクライシュだった。

「借り物とはいえ、信念も小宇宙も無い者に亡き遺志が宿るなどありえない。
 対等の決着が付けられなかったのは無念だが、嬉しくもあるぞ、我が宿敵。
 お前にはそこへ行き着くほどの小宇宙があったということだ」
「よせ、クライシュ!今のそやつは……」

 ふらつく足腰を叱咤し、クライシュは全力で小宇宙を燃え上がらせる。
 止めようとしたゼスティルムだったが、

「聞けませぬ、これだけは……!
 この大熊座ブルーインのクライシュ最大の拳……、ノーザンラディアル・スラッシャー!!」

 大熊の巨腕のようですらある、北斗の大鎌を象った衝撃波が、真円を描いて檄に迫る。

 見える……!

「ぜえりゃああああぁっっっ!!」

 その大鎌を、檄は真っ正面から左手を開いて掴みに行った。
 聖闘士と星闘士。
 守護星座を同じくする二人の小宇宙が、方や切り裂かんと、方や握り潰さんとして激突する。
 均衡は一瞬。
 直後に打ち勝った檄が、クライシュの右腕を掴んでいた。

「見事」
「ハンギングベアー……無名!」

 檄は掴み上げるのではなく、クリュスさながらの動きでクライシュを上空へぶん投げた。

「だが、願わくば、黄金聖衣を纏う前のお前に敗れたかったものよ……」

 その言葉を聞き終えてから、天を刺すように放たれた檄の拳がクライシュを打ち砕いた。

「クライシュ……」

 かつてクライシュに命を救われたことのあるアクシアスは、呆然と呟き、

「ぶち殺す!ベアー檄ィィッッ!!」

 憤怒の形相で、猛然と檄に挑みかかった。
 ゼスティルムたちが制止の声を上げる暇すらない。
 怒りにまかせた突進から、最大の拳を繰り出した。

「フォレスト・タイラントォォッ!!」

 だが、森の暴君による暴虐も、黄金の野牛を前にしては相手が悪かった。

「グレートホーン!!」
「ウオアアアアァァッ!!」

 星衣を砕かれるという青輝星闘士最大の屈辱を受けて、アクシアスは真っ正面から後方へ吹っ飛ばされて床を激しく削り、金牛宮の入口まで戻される羽目になった。

「邪武ならいざ知らず……くそぉ……っ」
「……よく、ここまでアルデバランを再現したものだ」

 望んだものとはいえ、感嘆と畏怖とを抑えきれずにアーケインはつぶやく。
 だが、そこに異議が上がった。

「あそこにいるのは、アルデバラン一人じゃありませんよ」

 射手座サジタリアスのマリクである。

「寝ぼけないで下さい、アーケインさん。
 あなたともあろう人が、アルデバランにこだわりすぎて何も見えなくなっているなんて」
「ええ、私もマリク君に賛成です、アーケイン様。
 あそこにいるのは、黄金聖闘士一人ではありません」

 言葉を繋いだイルリツアの額を冷たい汗が流れる。
 見ればそこには、
 黄金の小宇宙となって立ちのぼる牡牛座。
 白銀の輝きとなって燃え立つ小熊座、鯨座、ヘラクレス座。
 それらを支えて立ち上がる大熊座。

「あそこにいるのは、黄金聖闘士が一人、白銀聖闘士が三人……
 それらの思いを託された、最強の青銅聖闘士です」

 星闘士たちの間に、無形の衝撃が走った。
 マリクとイルリツアの見解に対する反論は無い。
 苦い瞳で檄を見据えるアーケインの態度は、消極的ながら肯定以外の何物でもなかった。

「済まぬ……星葬は、あれを倒してからだ」

 ゼスティルムは、倒れたディルバルツやクライシュたちに向けてわずかに目を伏せ、

「伝説となりし十二宮最大の壁よ。我ら星闘士の非礼を詫び、そして……」

 ゼスティルムの全身から、正真正銘の青い炎が立ちのぼる。

「最高の敬意と総力を以て打ち砕こう!」

 炎が弧を描いて振り下ろされる。
 直後にそれを追いかけるようにして、マリクの放つ炎が檄に迫る。
 その二つを引き裂いて光速の掌底波が金牛宮を走る。
 二人の炎と相殺して減速したものの、床に倒れたままだったアクシアスを蹴飛ばしてかばったザカンは、これをまともに食らって金牛宮の外まで吹っ飛ばされた。
 次いで、技を放った直後のマリクが掌底波に巻き込まれて大きく後退させられる。

 あとの星闘士たちは辛うじて避けきった。
 無論、既に先ほどの命令で赤輝星闘士たちは金牛宮の外まで後退している。
 残る青輝星闘士と白輝星闘士たちもアーケインの話を聞いて、十二分に警戒している。
 紙一重で避けるという真似は危険だった。
 廊下の幅が十分にあるとはいえない金牛宮だが、その中で最大に幅をとって散開する。
 その中で、

「アルバタイガー・クラッシャー!!」

 アーケインは、真っ正面から檄に向かっていった。
 愛用している白い戦斧を両手で振り下ろすとともに、虎の爪で引き裂くような衝撃波が檄に振り下ろされる。
 この斧は、かつてアルデバランに手持ちのほとんどを砕かれた後に手に入れた中でも、黄金の槍と並ぶ屈指の武器だった。
 それに対して、

「グレートホーン!!」

 心の奥底から湧き上がるような、あるいは、彼方から流れ込んでくるような小宇宙のままに、檄は黄金聖衣に包まれた腕を光速で振るった。
 不可思議な感覚だった。
 かつて星矢が黄金聖衣を初めて纏ったときも、こんな思いでいたのだろうか。
 拳を繰り出すというよりも、振るう腕に合わせて全てが吹き飛んでいくような力が、自分の身体から生じている。
 本来ならば、どれほどの修練を重ねて行き着く世界なのだろうか。
 分不相応な力を振るっていることは百も承知だ。
 自分の身体の中に、抑え切れぬ、留め切れぬほどの小宇宙が渦巻いている。
 しかし、それが託された遺志と思いなら、どうして捨てることなど出来ようか。
 彼らの思いを叫びのようにして、今はただ、この金牛宮を護るのみ。
 聖域十二宮最強の壁であったというアルデバラン。
 彼が生きていたら、彼が正面から戦っていたら、冥闘士との戦いがどのようになっていたか。
 それを今、見せつけてやろう。
 それを今、この目に焼き付けよう。

「この……程度か……!」

 角と爪が激突する。
 言葉とは裏腹に、アーケインは押されている。
 それでも、アーケインにはなお不満があった。
 確かによく再現はしたと思う。
 しかし、アーケインの記憶にあるアルデバランは、おそらくは一撃でこの武器を破壊していただろうと思うのだ。
 グレートホーンを受け止めていた斧を手放して、その威力を受け流す。
 そも受け流してさらに踏み込めるなど、アルデバランが相手ではあり得なかったことだ。

「この程度かああっっ!!」

 ヒルダから奪った槍を取り出して、黄金聖衣の右角を狙う。
 至近距離からの変化に檄は対応しきれなかった。
 狙い違わず激突する。
 しかし、それはやはり、四年前と同様に、欠けることすらなかった。
 そこへ、タクティカル・アサレイションというカウンター技を得意とする彼のお株を奪うかのように、檄の右腕が振るわれ、二度の踏み込みで動きの止まったアーケインを跳ね飛ばす。

「があっ!」

 その隙をさらに突いて白輝星闘士三人が檄に迫る。
 蛇遣い座と孔雀座、そしてもう一人は山猫座だろうか……
 先ほどまで様子見しかしていなかったはずだが、ゼスティルムの指示に従い、総力を挙げて檄を倒そうとしているのだ。

「倒れなさいな!黄金の亡霊!」
「レインボー・フェザー!!」
「プラムペスト・タイガー!」

 最後の一人は山猫座ではなく、虎座であるらしい。
 星闘士の星座は聖闘士のそれと違っている場合があるが、その一つだろう。
 などということを、三人の必殺技を受けながら、なお考える余裕があった。

「き、効かない……!?」

 牡牛座の黄金聖衣が、圧倒的な防御力と小宇宙で檄の身を守っていた。
 あとは蹴散らすのみ。

「グレートホーン!!」
「スターリング・スクリーン!!」

 檄が拳を振るうのとほぼ同時に、眼前に光の幕が出現した。
 仕掛けたのは、乙女座バルゴのイルリツアだ。
 青輝星闘士ながら、この星闘士はほとんど攻撃に参加していない。
 だが檄は、おそらく先ほどディルバルツを空中で静止させたのもこの星闘士だと判断した。
 どうやら、防御に長けた星闘士であるようだ。
 展開したものが壁であればおそらく粉々に粉砕していたはずだが、出現した幕はグレートホーンを受け止めるものではなく、威力を弱めるものだった。
 金牛宮全域を覆うように繰り出される衝撃波は、続こうとする白輝星闘士たちをも後退させた。
 近接距離で受けた三人の白輝星闘士は激しく吹き飛ばされたが、イルリツアの繰り出した幕のおかげでどうやら即死は免れたらしい。

「……強い」

 自身も大きく後ずさらされ、吹き飛ばされた三人を落下前にテレキネシスで受け止めつつ、イルリツアはその実感を声に出さずにはいられなかった。
 青輝星闘士牡牛座のグランドに来て貰えば良かったかとも思う。
 檄とはジャミールで戦ったと聞いているため、そもそも因縁がある上に、今は同じ牡牛座だ。
 無論、四人の聖闘士の遺志を託された今の檄は、ゼスティルムやアーケインまで含めた自分たちが総掛かりで苦戦しているのだから、彼がいてもやはり苦戦は免れなかっただろう。
 だが、牡牛座を冠する彼が、守護星座を争うべきアルデバランとの戦いを望んでいたことは間違いない。
 まして、これほどの強者ならばなおさらだ。

「済みません、グランドさん。
 私たちの手で倒します」

 イルリツアは、左手で右手首を握り、両腕を高く掲げ、右手人差し指を天に向けて指した。
 青白い彼女の小宇宙に、幾重にも銀河が現れては集約されていく。

「グレート・アトラクター!!」

 イルリツアが掲げる指の一点に、金牛宮内外から小宇宙が集約されていく。
 銀河系同士が互いの重力で引き合い、巨大な銀河団を形成するかのように。
 意図を察したマリク、ゼスティルム、アーケインが彼女の周囲に集まる。

「まさか、そなたのこの技まで使うことになるとはな」

 自嘲気味にゼスティルムが呟く。
 イルリツアが必要になると言ったのは、彼女の兄であるアルゴ座のイルピトアだ。
 グランドを自分の監視役にし、代わってイルリツアを聖域に派遣した彼の判断が果たして正しかったのか。
 ゼスティルムも、出来ればグランドを今の檄と戦わせたかったという思いはある。
 しかし、それらの願いを振り捨ててでも、倒さなければならなかった。

「これが最後だ、ベアー檄。そして、クリュス、アルデバランよ」

 青輝星闘士四人の青く輝く小宇宙が、究極にまで高まっていく。
 だが、檄も臆するつもりはなかった。
 自分が今こうしているのは、四人の小宇宙を託されて立っているからだ。
 決して、劣っているはずがない。
 彼らの分まで、彼らを越えて、

「燃えろ俺の……、俺たちの小宇宙よ!!」

 青輝星闘士たちの青い小宇宙の輝きを覆い返すかのように、黄金と白銀とが合わさった光輝く小宇宙が金牛宮全域を照らし出す。
 ゼスティルムが言った通り、これが最後の激突になるとどちらも分かっていた。
 二つの小宇宙が激突する狭間で、幾千もの星が生まれては消えるように光を放ち、その光が視界全てを覆う寸前、
 ゼスティルムとマリクが同時に動いた。
 養父と養子であり、師と弟子でもある二人は、何の合図も無く完全にタイミングを合わせて、左右からアルデバランに迫る。
 今はゼスティルムだけではなく、マリクの小宇宙も青輝星闘士の究極に近い真青に輝いている。
 その二人が、左右から同時に檄に向けて最大の技を放った。

『シャイニング・フレアァァァッッ!!』

 周囲全域、下手に近づけば味方をも焼き尽くしてしまう最強の炎が、紛うことなき光速で放たれる。
 同時に檄も動いた。
 二つのシャイニング・フレアを打ち砕くために、両腕に究極にまで高めた小宇宙を載せて、

「グレートホーン!!!」

 教えられたわけではない。
 ただ、自分の纏う黄金聖衣が覚えていた姿に、全身全霊全力で追いつこうとしたその一撃は、それまでのどの攻撃よりもアルデバランに迫っていただろう。
 いかに砦を意図して造られた金牛宮といえど、この衝突で激震し、壁から天井から亀裂が走る。
 砕けた大理石の破片はグレートホーンの余波だけで砂と化し、シャイニング・フレアの高熱で蒸発して嵐となる。
 太陽の表面にでも踏み込んだかのような壮絶な世界の中、アーケインは真っ直ぐに牡牛座の黄金聖衣を見据えていた。

「いくぞ、アルデバラン……!」

 手持ちの武器はまだ尽きていない。
 しかし、アーケインは何も握っていなかった。
 ただひたすらに小宇宙を燃え上がらせた拳を握りしめ、

「シンギュラリティ・アサレイション!!」

 一切の小細工無く、黄金の野牛吹き荒れる灼熱の中へ飛び込んだ。
 炎を突き抜け、突き抜けた炎を彗星のように纏って、アーケインは全身を以て一撃と為して、檄の纏う黄金聖衣にぶち当たった。

 青輝と黄金。

「があああああっっっ!!」

 黄金聖衣を纏ってさえ、その一撃はあまりにも強烈だった。
 両腕で二つのシャイニング・フレアと激突し、その身体にはアーケインの全身全霊が突き刺さっている。
 檄の体勢がぐらりと揺らぎ、吹き荒れる恒星の嵐が檄へと押し寄せようとする。
 吐き出した鮮血は、迫る高熱によって瞬時にして燃え上がる。
 意識さえも燃え尽きようとする。
 だが、それでも

「俺たちは……負けねえっっ!!」

 その嵐すら天へ投げ上げるように、振り上げた両腕で、アーケインを掴み上げていた。
 無我夢中で動いたその姿勢は、自分の身体に染みついた技だった。

「そんな技でこの俺を!!」

 その言葉をどう続けようとしたのか自分でも分からぬまま、アーケインは吼えた。
 食らっているのはただのハンギングベアーではない。
 檄もまた、吹き荒れる二人の青輝星闘士の炎すら纏っている。
 どちらも燃え尽きる寸前だった。
 だが、やはり牡牛座の黄金聖衣にはここにきてなお、ヒビ一つ入っていなかった。

 やら……れる……!

 さしものアーケインも、これが最期かと息を吐き絶えようとしかけたそのとき、

「悪いな」

 如何にして現れたものか。
 檄の真横に、鯨座カイトスのピアードが現れていた。
 白輝星闘士の星衣は吹き荒れる嵐に耐えきれずに、既に融け、燃え尽きようとしている。
 その身は先に受けたクリュスの一撃で満身創痍ではあった。

「これで、決着だ」

 その中で、燃え尽きる寸前の新星さながらに、崩壊する星衣を爆発させて、ピアードは最後の一撃を繰り出した。

「エチオピア・クライシス!!!」

 神話の時代、愛娘のアンドロメダを生け贄にせざるを得ないとエチオピア王に決断させた巨鯨の災厄が、檄の身体を吹き飛ばす。
 次の瞬間、均衡を失った四人の青輝星闘士の小宇宙が金牛宮の天井を貫き、天まで刺した。




「檄……!!」

 真っ先に気づいたのは、数々の戦いを経験してきた紫龍だった。
 だが、半瞬とおかずに、聖域にいる者全てが察した。
 黄金聖闘士に匹敵する輝きを放っていた檄の小宇宙が、

「……消え……」

 邪武は、事実を言葉に出し切ることが出来なかった。

 蛮は、頬を流れるものを拭うことなく、ただただ、金牛宮の方を見据えていた。

「嘘……ざん、しょう……」

 市は呆然とその場にへたり込んだ。

「檄イィィィィィィィッッッ!!!」

 那智の絶叫が十二宮の山々にこだまする。


 星闘士たちによって、伝説とまでなった十二宮最大の壁は、ついに、打ち砕かれたのだ。





第二十三話へ続く

聖衣デザイン、挿絵、極右氏


夢の二十九巻目次に戻る。
ギリシア聖域、聖闘士星矢の扉に戻る。
夢織時代の扉に戻る。