聖闘士星矢
夢の二十九巻

「第十話、星の名前」




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「どういうことだ、イルピトア!!」

 ギリシアでの任務を終えて帰ってきた青輝星闘士シアンスタインアルゴ座のイルピトアは、凶暴な音波がマッハの速さで鼓膜を突き破るより早く、光速の動きで両耳を塞いでいた。

「同僚が無事に帰ってくるなり何の騒ぎだ、ゼスティルム」
「せめて同志と呼べ、気概が足りぬぞ」

 同じく青輝星闘士獅子座レオのゼスティルムは、苦り切った顔でたしなめた。
 青輝星闘士最年長の彼は、イルピトアと比べても親子に近いほどの年齢差がある。
 余人のいないところではこういう光景は珍しくも無いが、今はイルピトアが帰ってきてすぐなので場所が場所だ。
 ホテルのロビーさながらになっている室内には、何人もの星闘士がくつろいでいたが、青輝星闘士同士の激突に注目せずにいられるものはいなかった。

「で、何の用だ」
「貴様が拾ってきたあの三人のことだ!」
「陛下からお許しは頂いてきたぞ」

 実のところ、ゼスティルムが何に怒っているかくらい十二分に予想のついていたイルピトアである。

「大方、奴らの名前も出さずに陛下に進言したのであろう」
「リザリオンの名前は出したがな」
「私が一番問題にしているのはジャンゴのことだ!
 どこかで聞いた名だと思ってシェインに調べさせてみれば、元暗黒聖闘士の長だったというではないか!」

 白輝星闘士スノースタインエリダヌス座のシェインは、星闘士一の情報管理官である。
 通信回線を使って聖闘士に対して宣戦布告役を担ったこともある。
 彼が調べれば、それくらいはすぐにわかるということもイルピトアは承知していた。

「あのような輩を星闘士の列に加えるとは、正気か貴様!」
「正気だとも」

 まあ座れと促しつつイルピトアは手近の空き椅子に座るが、ゼスティルムは立ったまま厳しい顔を崩さない。

「まあ、兄様もゼスティルム様も、一息入れて下さいませ」

 緊迫したこの状況に声をかけられるのはやはり同じく青輝星闘士級の実力が必要になる。
 ゆったりとした態度でお盆に二つのコーヒーカップを載せて持って来たのは、青輝星闘士乙女座バルゴのイルリツアだった。
 星衣クエーサーも身に纏わない清楚な外見からそれを想像するのはかなり困難だが、一方でイルピトアの妹だということは顔立ちを見ればある程度想像がつくだろう。

「ああ、済まないな、リッツ。
 これで落ち着ける」

 カップを受け取ったイルピトアがのんびりとコーヒーを味わっているのにゼスティルムは苛立ったが、紳士としてイルリツアの笑顔に負けて自分もコーヒーを受け取ることにした。
 仕方が無いのでイルピトアの向かいに座る。
 イルピトアはコーヒーを半分ほど飲んだところでようやく話の続きを始めた。

「ユリウスに続いてグランドも聖闘士たちに撃退された。
 聖闘士ほどではないにしても、我々星闘士も決して多いわけではない。
 聖闘士を片づけた後の次の戦いのためにも、正規の星闘士は少しでも残しておかなければならん」

 蠍座スコーピオンのユリウスはこの戦いの幕を開ける作戦を担って、日本の城戸邸に強襲を仕掛けたが、白輝星闘士一人を失い退却している。
 さらにジャミールの封印を解きに行った牡牛座タウラスのグランドは白輝星闘士を含む多数の犠牲者を出して撤退することになった。
 聖闘士側の犠牲者が零であるのに対して、星闘士側の戦況ははっきり言って悪い。

「星闘士になれる者がいるのなら喜んで歓迎する。
 陛下から全権を託された、私の判断だ」

 視線こそ水平だが、それは押さえつけるかのような視線だった。
 星闘士筆頭とは単なる自称ではない。
 直接向けられているわけではないのに周囲の星闘士たちを恐れおののかせるのに十分な威圧感を放っていた。
 しかし、ゼスティルムもイルピトアに次ぐ実力の持ち主だ。
 それだけで飲まれるようなことはない。

「傭兵を雇い入れて勝ったとて、それは星闘士の勝利と呼べるものか。
 ましてやかつて悪逆の限りを尽くした男の手など借りては、神話に恥を残すぞ」
「残さないさ」

 さらりと、しかし、聞いた者の耳から離れそうにない声で、イルピトアは返答した。

「イルピトア……、貴様、何を……」
「カイとリザリオンについては、お前もそう反対ではないということだな」

 カイとリザリオンというのも、イルピトアがジャンゴと同時にスカウトしてきたメンバーである。
 イルピトアが探してきた星闘士は少なくないのでそれらを丸ごと否定するつもりはゼスティルムにも無い。

「議論をすり替えるな。
 まあ、得体は知れぬがジャンゴよりましだとは認めよう」
「ならば、ジャンゴについて納得してもらう材料を見せよう。
 今ジャンゴはどこに?」

 空になったコーヒーカップを妹に渡し、イルピトアはすっと立ち上がった。
 ゼスティルムも残りを一気にすすって立ち上がり、イルピトアに背を向けて歩き始めた。

「決まっているだろう。地下牢だ」
「……ひどいな」

 言葉とは裏腹に、イルピトアは微笑んだ。



 牢番を務めているのは、赤輝星闘士クリムゾンスタイン地獄の番犬星座ケルベロスのドルトーである。
 性格が合うのか、多くの者が忌避するこの任務をそれなりに楽しそうにやっているので、ゼスティルムは彼を専任とさせた。
 ジャンゴは今、彼の鋼球につながる鎖に全身を拘束されていた。

「こうでもしなければ幽鬼のように辺りを徘徊されてしまうのでな。
 お前の妹すら気味悪がったくらいなのだぞ」
「ありがとう。礼を言うよ」

 妹のことを出されると、イルピトアの返答はこうなる。

「神聖闘士のフェニックスとやりあったときに精神を破壊されたままのようだが、これが貴様のいう納得する材料か?」

 白目をむいて、口は茫然となったまま開きっぱなしであり、両手両足は力無くだらりと下げられている。
 無害かも知れないが、不気味この上ない。
 廃人という忌まわしい言葉を連想させるのに、それは十分な姿だった。

「彼に食事は摂らせたか?」
「こんな状態で摂れるわけがなかろう。
 貴様との話が済むまで死んでもらっては困るから、点滴を打たせたぞ」

 堅物ではあるが、この義理堅さをイルピトアは高く評価している。
 口には出さないが。

「私が彼を拾うまで、少なくとも三カ月以上、彼は飲まず食わずだったようだ」
「何?」

 イルピトアの声が冗談を言うときのそれではなかったので、ゼスティルムは興味を覚えた。
 そういえば力無く下げられてはいるものの、ジャンゴの肉体は全く衰えていなかった。

「よく見ていてくれ」

 イルピトアは無造作に牢に近づくと、いきなり小宇宙をたぎらせて構えた。
 全力ではないが、これは、

「ブレイブスソード!」

 放たれた瞬間か、それよりわずかに早いか。
 ジャンゴの身体から異様な小宇宙が立ち上った。
 高貴な女性を思わせる姿のそれは、イルピトアの剣閃を受け止め、飲み込んでしまった。

「まさか……、これは、デスクィーンか」

 ゼスティルムの答に満足して、イルピトアは頷いた。
 もちろん全力で振るえば、デスクィーンごとジャンゴを両断出来るという自信があってのことだ。

「魂が崩壊した肉体に、守護者が死んで封印のたがが緩んだデスクィーンの一部が入り込んだのだろう。
 使えるということは、……いや、使わねばならないということは、納得してもらえたかな」

 ゼスティルムはたっぷり二十呼吸くらい黙ってジャンゴを見据え、睨め付けるようにイルピトアに視線を移し、ようやく口を開く。

「……よかろう」

 と、少しも納得していない声で返答した。

「ただし、ことが終われば私はこの男がかつて為した罪にかけて始末する。
 よいな……」
「そうしてくれ」

 イルピトアは物騒な返答をこともなげな口調で返すと、ドルトーに命じて持ち主が無いままになっている鳳凰星座の星衣を持ってこさせた。

「フェニックスか。
 リザリオンの話では、ジャンゴはフェニックスの聖衣を纏うことが出来なかったそうだが」
「それならばこそだ。
 この男の精神にはフェニックスが焼きついている。
 幸か不幸か、フェニックスの星衣はフェニックスの聖衣ほど特異では無いからな」

 フェニックスの聖衣は、八十八の聖衣の中で最後に完成した究極の聖衣だ。
 自己修復能力を持つことからも解るとおり、本来なら黄金聖闘士を上回る素質が必要となる。
 神話の時代からだれ一人として纏うことの出来なかったあの聖衣を纏うことが出来た一輝という男が異常極まりないのであって、そのことでジャンゴを罵倒するのは筋が通らない。

「さて、資格はあるはずだ。
 この星衣を纏ってみろ、ジャンゴ」
「………………フェニックス…………」

 地獄から這い出てくるような声がジャンゴの口から漏れた。
 それまで二人の物騒極まりない死刑宣告の連続のような言葉にも一切反応しなかった男が、フェニックスの星衣が目の前に来たことで反応を示した。

「纏ってみろ」

 イルピトアが重ねて畳みかけた言葉と共に、星衣箱が開く。
 ゼスティルムに視線で指示されたドルトーが鋼球鎖を解くとともに、フェニックスの星衣が分解した。
 ジャンゴの身体に次々と装着されていくとともに、ジャンゴの身体から彼本来の小宇宙が立ち上る。
 その色は、わずかに蒼がかった白。

「デスクィーンを得た今なら白輝級の実力は出せるかと思っていたが、上々だな。
 新たなる青輝星闘士の誕生に乾杯と行こうか」
「自分の仕事を先にやれ。
 貴様の留守中、妹が健気に代行しておったぞ」

 話を現実に戻されて、イルピトアは苦笑するしかなかった。





 自室に戻ったイルピトアは、自分の判断を後悔することになった。

「……やはりギリシアでも仕事をしておくんだった」
「ひとまず私が代行した分に目を通して置いて下さいね、兄様」

 秘書役を務める妹イルリツアが提示した量に、一瞬めまいを覚えた。
 これでも副業は実業家兼投資家である。
 グラード財団ほどの世界規模ではないが、小国の年間予算に匹敵するほどの資産は持っている。
 彼の事業と、ゼスティルムがヨーロッパ全域に持っている強い影響力による寄付で、星闘士の活動は支えられていた。
 どちらも、先祖代々引き継いできた星闘士としての力を活かした、占星術師としての腕によるものである。
 凶作豊作から地震の発生、はては戦争の勃発までを読み、その情報を売り渡したりまたは自分で資金を運用することで相当の資産を蓄えていた。

 現在のイルピトアは優良事業の他に、通信会社と生化学工業に力を入れている。
 衛星電話システムイリジウムIIIを始めとする強力な独自通信基盤を持つ聖闘士側のグラード財団に対抗するためには、やはり独自の通信網と強力な暗号技術が必要不可欠なのだった。
 こちらの根拠地や活動内容を向こうに知られては困るのである。
 その意味でも、グラード財団にイリジウムを落札されたのは手痛い失敗だった。
 聖戦も様変わりしたとつくづく思いながら、留守中に妹が代行した急を要する取引をまず頭に入れておく。
 さらに大量の電子メールに頭を悩ませている姿は、聖域で仕事に忙殺されるアステリオンと共通点が多々あるのだが、さすがのイルピトアもそんなところまでは考えなかった。
 どちらにしても、キーボードを叩いているその姿は神話の戦士星闘士らしいとはお世辞にも言えそうにない。
 妹が持ってきてくれた二杯目のコーヒーを飲み終えたころに、ポーンとメッセンジャーが鳴った。
 このあたりは確実に聖闘士たちより進んでいるという自負がある。
 発信者は、青輝星闘士が一人、蠍座スコーピオンのユリウスだった。

−−直に話がしたい。研究室に来てくれ−−



 ユリウスはおそらく星闘士中最大の変わり種の一人に挙げられる人物である。
 元は遺伝子を研究する秘密結社においてかなり高位の立場にいたのだが、その組織が内紛で崩壊したときに、その内紛に介入したイルピトアに引き抜かれて星闘士になった。
 遺伝子工学と社会心理学で博士号を持っている秀才でありながら青輝星闘士の実力者というのは、やはり一目おかれる存在である。
 活動開始当初にアテナ抹殺作戦を指揮したのもこの男だが、アンドロメダ瞬によって白輝星闘士ペルセウス座のリグニスが倒されてすぐに部隊をまとめて退いている。

 研究室という通り、ユリウスの私室は文献とコンピュータ、そして分析装置で埋まっている。
 その秀才は、星衣姿ではなく研究者じみた白衣姿でイルピトアを出迎えた。

「聖闘士とやり合ってきたそうだな。
 手応えはあったか?」
「気が抜けんな。グランドが敗れたのは決して偶然ではあるまい。
 お前がアテナ抹殺を早々にあきらめて手を引いたのは正解だったと改めて解った」

 それを聞いてユリウスの顔が珍しく苦笑じみたものになる。

「どうした?」
「いや、丁度そのことを後悔しているという話をしようと思って呼んだのでな」
「何?」

 この男がそういうことを言うのは、戦略的なことではなく研究に関してのことが多い。
 そしてこの男のやっている研究は、単なる趣味ではなく星闘士の存亡に関わっているのだ。

「行き詰まっているのか?」
「本来ならアテナを殺して遺伝子のサンプルを奪ってくるつもりだったからな。
 典型的なサンプルが無いと、どれが神話の遺伝子かを絞り込めない」

 アテナ抹殺作戦には二つの目的があった。
 殺せれば上々、殺せなくてもせめて血液データは回収できるだろうという目算だった。
 しかし、入念に練った計画は一角獣座ユニコーンの邪武という予想外の要素に阻まれ、直接刺客に向かったアクシアスは返り討ちに遭う寸前まで追い込まれた。
 なにしろユリウスの見たところ、ユリウス自身が真っ正面から戦っても勝てるかどうか自信が無かったというくらいだから恐れ入る。
 最初にこの話を聞いたときには、イルピトアもゼスティルムも冗談だと思ったほどだ。

「我々全員の遺伝子データを全て解析しても、どれが神話の遺伝子かわからないのか……」

 イルピトアはさすがに考え込んだ。
 神話の力を最も強く残している最高の肉体を探し出し、器として使わなければならないのだ。
 ユリウスには星闘士全員の遺伝子データを渡している。
 聖闘士にしても星闘士にしても、並の人間よりはよほど素質のある者が揃っているはずなのだが、どれが神話の要素でどれが小宇宙の要素かとなると、これは研究例が決定的に不足していた。
 その血だけで超次元を突破させたというアテナの血は、サンプルとして申し分なかったのだが。

 ……いささか危険だが、アテナを直接攻めるよりはこの方が楽か。

 敵を増やすデメリットと、手に入る情報とを天秤に掛けて、結局後者をとることにした。
 どちらにしてもいずれは倒しておかねばならない者たちだ。

「……サンプルの問題は近日中に何とかしよう」
「妙案でも浮かんだか。ならば頼んだ」


*    *    *


 同じ頃、日本のグラード財団でも話し合いが行われていた。
 参加しているのは大地、潮、翔の鋼鉄聖闘士三人と、青銅聖闘士邪武、那智、蛮、そして瞬。
 つまり現在東京にいる聖闘士のうち、沙織の看護についているジュネを除いた全員である。
 檄と市はまだジャミールから動けないでいた。
 さらに鋼鉄聖衣の生みの親である麻森博士が同席しているが、辰巳は別の仕事のために参加していない。
 グラード財団としては星闘士との戦いにばかり注力出来ない一面がここにある。

 ともあれ、一同の表情は明るくない。
 ようやくにして邪武、蛮、那智の聖衣が修復されてジャミールから翔が空輸してきたものの、ペガサス、ドラゴン、キグナス、アンドロメダの四体の神聖衣の修復は、経験を重ねたとはいえ今の貴鬼ではまず不可能だという結論が出たのだ。
 黄金聖衣をも修復することが可能なはずの、彫刻具座の聖衣の道具類が、まったく歯が立たなかったのだ。
 下手に強行すれば、道具が破損して今後の聖衣の修復一切が不可能になってしまうとあっては、さすがに断念せざるを得なかった。

「貴鬼が言うには一応の防御力は残っているということだが、聖衣としてはほぼ死んでいる。
 つまりは……単なる地上最硬の金属鎧でしかないということらしい」

 翔が快活さのない声で締めくくった。
 それでも本来なら大したものなのだが、瀕死の星矢たちにタナトス、ヒュプノスらを一蹴させたあの力は見込めないということだ。

「仕方ないよ……。ハーデスの攻撃をまともに受けたんだから……」

 瞬は、生気を失ったままの鎖を手に力無く言った。

「しかし、星闘士が聖域にまで攻めてきた今、呑気に待っているわけにもいかないぜ。
 麻森博士、鋼鉄聖衣の技術を使って神聖衣を多少なりとも動けるように出来ないか」

 無茶な論理をぶちあげたのは、現在青銅聖闘士のまとめ役をしている邪武である。
 彼自身の機嫌は、聖衣が修復かなって戻ってきたのでさほど悪くない。
 沙織の病状……病気というべきかどうかはともかくとして……はさほど変わっていないが、悪化するよりましだと思っている。
 今の彼には、いずれ時間が解決してくれることを祈るしかないのだ。

「科学者に向かって、神話への挑戦をけしかけるとはやってくれるな。邪武君は」

 麻森はしわの増えてきた顔にわずかに微笑みを浮かべて答えた。
 十数年前に、城戸光政に頼まれて鋼鉄聖衣の開発を開始したときのことが思い出されたのだ。
 こうしてみると、本人は否定するだろうが邪武には光政翁の面影が確かにある。

 本来ならここやジャミールにいる青銅聖闘士たちのいずれかが、このグラード財団を継ぐはずだったのだ。
 だが、今現在名目上沙織が就いているグラード財団総帥の座に取って代わろうと考える者は一人もいない。
 運命の紆余曲折を経て、帝王学など学ぶ時間など与えられなかった彼らだ。
 まして兄弟骨肉の争いをして後継者を決めるよりは、沙織にやってもらった方が気楽である。
 そのようなわけで、今の彼らは沙織の復活を待っているのだが、この邪武はいずれ周りに推されて後継者になるのではないだろうかという想像が、ふと麻森の脳裏をよぎった。

「喜んで引き受けさせてもらおう。
 グラード財団科学研究所の名に賭けて、神々に挑戦させてもらう」
「お願いします」

 瞬が静かに頭を下げた。
 生き残った神聖闘士四人のうち、この場にいるのは瞬一人である。
 例によって一輝はどこかに失踪しているし、紫龍は老師亡き後の五老峰に戻っている。
 そして、

「それから、良くないニュースがもう一つだ。
 シベリアのブルーグラードから連絡が途絶えた件を調べに行っていた氷河から報告が入った」

 情報管理官であるマリンクロスの潮が明るいとは言えない声で話題を切り出した。

「ブルーグラードって言うと、神話の時代にポセイドンの魂を北極に封じたという都のことだったか?」
「今はグラード財団の重要な取引先の一つだ」

 那智の疑問に邪武がさらりと応える。
 本人が望んでいるわけではないが、否応なしに沙織の執務のいくつかを代行する羽目になっているのでこれくらいは頭に入れておかなければならないのだ。

「ブルーグラードの氷戦士の長アレクサーは行方不明となり、ブルーグラードは現在指導者を欠いた状態にあるそうだ」
『何!?』

 氷戦士といえば、かつて北極で隆盛を誇った戦士たちであり、アスガルドとともに北の大地を守護してきた一族だ。
 その長が行方不明というのは本来考えにくいが、しかし、この時期ならばこそ容易に考えられることがあった。

「星闘士連中に倒されたのか……」

 蛮が声に出した意見に、皆一斉に頷いた。

「おそらくはそうだと思うのだが、氷河が聞いた話によると妙なところがある」
「妙?星闘士たちの存在そのものがそうじゃないのか」

 那智がさらりと辛辣なことを言うので潮は苦笑したが、あまり冗談で済む話でも無いので顔を引き締めて続きを言う。

「襲ってきたのは亡霊のような男が一人。
 特に星衣らしい鎧を纏っていたわけでは無いらしいが、その男が氷戦士の一人を一撃で消し去ってしまったのを民の一人が目撃している。
 それに、戦いがあった場所を後で確認したところ、ブルーグラード周辺では決して咲かない薔薇の花があったそうだ」
「薔薇!?」

 声を上げたのはもちろん瞬である。
 彼にとっては薔薇は因縁浅からぬどころではない記憶がある。
 十二宮、そして太陽神殿で戦った、魚座の黄金聖闘士アフロディーテの操る、魔宮薔薇だ。
 だが、アフロディーテは瞬の師まで殺害した男ではあるが、瞬にはもう彼への憎しみは無かった。
 邪悪に仕える者と思っていたが、それは彼独自の哲学に従って教皇に忠誠を誓っていたのであり、彼が彼なりにこの大地の平和を願って戦っていたことが後で解った。
 自分たちが嘆きの壁の前に絶望しそうになったとき、魂になってもなお駆けつけた彼の姿を見た後では。

「オレも同じことを考えたので、氷河にはこちらにその薔薇を送ってもらう様に連絡している」

 潮は十二宮の戦いには参加しなかったが、それらの戦いの全てを編纂して記録するグラード財団歴史編纂所にも協力しているので、瞬が何を考えているのか大体わかった。

「その男がまず妙だというのが一つ。
 そしてその男とアレクサーが戦った場所というのがまた妙なのだ。
 ブルーグラードの地にあって、神話の時代から炎が絶えることがなかった封印の宮らしいのだが……、これをみてくれ」

 潮はリモコンを取り出してディスプレイスクリーンに映像を映し出させた。

「氷河が送ってきたその場所の映像だ。
 妙だと思わないか」
「……、ブルーグラードってのはシベリアの大地じゃなかったのか」

 つまりは蛮の言う通りである。
 柱の造りなど、どう見てもギリシア風なのだ。
 さすがに神話の時代から受け継がれてきた場所だということだろうか。
 ただし、蛮の抱いた感想とはまた別の感想を抱いた者がいる。
 翔だ。

「潮、これは本当にブルーグラードの映像か?」
「おまえにジャミールの映像をわざわざ撮ってもらったのはこういうことだ。

 そう言うと潮はもう一度リモコンを操作した。

「ジャミールで翔たちが撃退した星闘士たちが封印を解こうとした場所の映像が、これだ」
『!!』

 似ている。
 誰もがはっきりとそう思った。
 一部破壊されているために完全に同一とは言えないが、見比べてみると非常によく似た造りをしていた。

「これらは二つとも同系列の物を封印していたと考えるのが普通だ。
 そしておそらく、それが星闘士たちの目的に直結しているはず。
 奴らの目的を探り、奴らの勝手にさせないためにも、俺たちはこれらを調査しなければならない」
「……他にもあったのか」

 さすがは邪武である。
 潮は我が意を得たりとばかりにリモコンをさらに操作した。

「世界各地の遺跡の情報を探したところ、どうもそれと同系列らしい遺跡が一つ見つかった。
 場所はここ……アフリカ大陸のエチオピアだ」
「エジプトの南……紅海に接しているところだな」

 旅好きの性格からか、ランドクロスの大地が楽しそうに言った。

「それなら聖域から聖闘士を派遣した方が近いな」
「馬鹿を言え。あんな行儀のいい連中にアフリカ大陸の調査が出来るか」

 そう言ったのは蛮である。
 応えるようにして那智もふっと笑った。
 蛮はタンザニアのキリマンジャロで、那智はリベリアで修行した経験がある。
 そしてもう一人、邪武もアルジェリアのオランで修行してきた口だ。
 彼だけは、師のエルドースがアフリカ大陸慣れしているのではっきりと賛同はしなかったが、聖域に慣れた聖闘士がアフリカ大陸に行ってまともに調査できるとは思えなかったのは同じである。
 あの大陸は、聖域とはまた違った、大自然の厳しさがあるのだ。

「確かに、今聖域はアステリオンが倒れたことで混乱している。
 派遣を要求しても混乱させるだけだろう」

 師エルドースが倒されたという話も聞いている邪武だが、あの図太いオヤジがそう簡単にくたばるなどとは天地がひっくり返っても思えないのでそれに関しては楽観視していた。

「オレはお嬢様の警護があるから行けない。
 那智、蛮、そして大地。
 その遺跡はお前ら三人が調べて来るってことでいいな」
「おう、しっかり運んでやるよ」
「任せておけ」
「そろそろ活躍の機会が欲しいと思っていたところだ」

 邪武の提案で、話は決まった。

「ただし、星闘士たちには気をつけるだけ気をつけろよ」


*    *    *


「三面同時作戦だ。
 聖域は指導者級のはずの二人を欠いて身動きがとれぬはず。
 この隙に神話の遺伝子のサンプルを三体、手に入れる」

 ジャミールで受けた怪我が未だ治らない牡牛座のグランドを除く青輝星闘士全員を召集して、イルピトアはきっぱりと告げた。

「三体だと?
 一人は……」
「そう、第一目標は海皇ポセイドンの魂を受けた海商王ジュリアン・ソロ。
 担当は、ゼスティルム、お前なら近づくのもたやすいはず」
「無茶を言ってくれる」

 獅子座レオのゼスティルムは苦い顔で答えた。
 だが、反面理屈は通っている。
 彼は欧州の経済界にかなりの影響力を持っている。
 つまりは星闘士としてではなく、表の顔で奪いに行けということだ。
 結局ゼスティルムはそれ以上反論はしなかった。

「第二目標はアスガルドのオーディーン地上代行者、ポラリスのヒルダ。
 担当は、アーケイン、出来ればかのオーディーンローブも奪取してくるといい」
「楽しい任務になりそうだ」

 そう言って、天秤座ライブラを守護星座とする星闘士一のコレクターは任務を受諾した。
 ここまでは青輝星闘士全員が想像がついた。
 しかし、あと一人は、

「第三目標は、災いの女神エリスの肉体となった少女絵梨衣」

 イルピトアは誰もが考えなかった人物名を挙げた。

「何だ、それは」
「ジェミニの反逆以前にアテナ復活に呼応してエリスが復活したという事件があった。
 ほとんど秘密裏に闇に葬られた事件だが、その肉体となった少女が日本の孤児院にいるらしい。
 担当は、マリク。行ってくれるな」
「何!?」
「うん、わかった」

 射手座サジタリアスのマリクは星闘士の中でもエリダヌス座のシェインに次ぐ年少組だ。
 ゼスティルムの養子でもある。
 実力は確かに青輝星闘士としてふさわしいものだが、ここまで単独行動したことはなかった。

「本気か、イルピトア」
「過保護も考え物だぞ、ゼスティルム。
 聖闘士たちのもう一つの膝元に乗り込むのだから目立った騒ぎは起こせぬ。
 だが、孤児院に入り込むのならばマリクかシェインなら怪しまれんだろう」

 そして、もし騒ぎになったとしてもそのときは実力でどうにかしてしまえるという目算でもある。

「作戦の詳細は各個に一任する。
 この作戦には我々の命運がかかっていることを忘れないでくれ」




第十一話へ続く


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