聖闘士星矢
夢の二十九巻
「第六話、封印の漸近線」
それは、地響きに似ていた。
決して異常な速さではない。
しかし確実に、間違いなく接近してきている。
「市、水分だけは補給しておけ」
檄は気休めも慰めも言うつもりはない。
その身体ではこれ以上無理だ、などと言ったところで市が聞く耳を持つわけがないからだ。
それに、黄金聖闘士にも相当するであろう青輝星闘士の一人と一騎打ちをして勝てる自信はさすがにない。
まして、相手の人数はあと二三人いるはずなのである。
二人連携してかかったとしても、はたしてどこまで戦えるか。
しかし、市もそのことをわざわざ口に出したりはしなかった。
「ああ、わかったざんす」
このジャミールは雪解け水による清流が至るところにある。
世界でも最も汚れていない場所の水である。
飲む分にはまったく問題はなかった。
喉を潤してから、迫り来る気配に視線を向ける。
星矢は神々を前にしてさえ一歩も引かずに戦い、アテナを守り抜いたのだ。
同じ青銅聖闘士として、人間を相手に諦めるなどしては、兄弟として情けないではないか。
しかし、貴鬼は話が別だ。
もし彼に万一のことがあれば、アテナの聖闘士はもはや邪悪と戦うこともままならなくなってしまうのだ。
今健全な聖衣も、いずれは壊れる可能性がある。
あの黄金聖衣でさえ、神々の前には破壊されるのだ。
貴鬼の聖衣修復の才能は本物だ。
それは、彼による新生聖衣を纏って戦った二人の偽らざる心境である。
教皇シオンの弟子ムウは、さすがに人を見る目があったということだろう。
今は無理でも、いずれ黄金聖衣、いや、もしかしたら神聖衣の修復さえ成し遂げられるようになるかも知れない。
アテナに次いで、彼は守らなければならないのだ。
「貴鬼、聞こえるか」
檄は館の方へ向けて声をかける。
貴鬼がこの場所を見ているのは承知していた。
『うん、聞こえるよ』
「お前はひとまずテレポーテーションでカトマンズかどこかに避難していろ」
「聖衣修復のことを知った奴らは全員片づけたざんすけど、奴らはどうもこのジャミールの封印とやらを狙っているらしいざんすからね」
『ちょ、ちょっと待ってくれよ!
なんでオイラだけが逃げないといけないのさ!』
貴鬼自身もアテナの聖闘士のつもりである。
アスガルドでも、ポセイドン神殿でも、タナトスと対峙したときすらも、自分の身惜しさに逃げたことなどない。
星矢たちと共に戦ってきたという自負がある。
それは同時に、星矢たちの一歩も引かぬ戦いをつぶさに見てきたと言うことでもあった。
あれが、アテナの聖闘士だ。
あれこそが、アテナの聖闘士のあるべき姿だ。
そう思っているのに、避難しろと言われては面白くない。
「貴鬼、忘れるな。
お前はただの聖闘士じゃねえ。
ある意味では教皇にも等しい存在なんだぞ」
世辞のつもりはない。
貴鬼の存在はそれほどまでに重要なのだ。
それに、教皇シオンの孫弟子として、将来本当に教皇になるかも知れないと、檄はふっと思った。
『そんなので納得するかよ!
ムウ様もシオン様も、自ら黄金聖衣を纏って戦ったじゃないか!』
「貴鬼、あんたの肩にはあたしたちよりもずっと重く、この地上の未来がかかっていることを忘れてはならないざんす」
市は酷だと解っていてもなお諭さずにはいられなかった。
「話はこれまでだ。
どうやらおでましらしいからな。
解ったな、貴鬼……!」
会話を打ち切り振り返った先には、二人の星闘士を従えて、それとは格の違いを感じさせる星闘士が、牡牛座の黄金聖衣に似た星衣を纏って立っていた。
早い。
聖衣の墓場をほとんどものともせずに突破してきたことになる。
そのことだけでも白輝星闘士のフェロン以上であることは間違いない。
燃えたぎらせているわけではないのに、それでもなお強大な小宇宙を感じさせる。
「青輝……星闘士……」
檄のつぶやきを聞いたのか、その男は一歩進み出て一礼してきた。
「お初にお目にかかる。
我が名はグランド。
牡牛座、タウラスの青輝星闘士である!」
武人らしい低く野太い声が大きく響いた。
こいつは……、やばいざんすね……。
市は心中舌打ちした。
生半可な罠や舌先三寸の通じる相手ではないことが、漂わせる雰囲気だけで解る。
向こうが高地慣れしていないことだけでこの実力差を埋めるのは難しい。
横目で檄を見ると、彼も険しい表情をしていた。
「俺は青銅聖闘士、大熊座ベアー檄だ。こっちは……」
「同じく青銅聖闘士、海ヘビ座ヒドラ市ざんす」
「なるほど、よい面構えだ。
フェロンたちが敗れたのは偶然ではないらしい。
だがこのグランドはそうはいかぬぞ」
アテナの聖闘士はほとんど全滅したと聞いていたが、ユリウスの率いたアテナ抹殺部隊は失敗し、今またフェロンたちを打ち破った。
決して侮ることは出来ぬ。
グランドは、フェロンに手柄を立てさせようとした自分の判断が間違いであったことを認めざるを得なかった。
拳を固めて、心中でフェロンに詫びる。
だが、もはや二度と失敗はせぬ。
「ちょっと待つざんす。
戦うのはあんた一人ざんすか?」
「その通りだ、あの二人は戦わせぬ」
市と檄から視線を逸らさぬまま、背後にいる部下を振り返ることなく、グランドは答えた。
単に勝負するだけなら、市と檄にとってもその方が有り難い。
しかし、今は困るのだ。
三人とも、ここで食い止めなければならない。
「見くびらないでもらいたいな。
いくら傷ついていても簡単に倒されるオレ達じゃないぜ」
「一つ言わせてもらえるかしら。
グランド様は手を抜くつもりではないわ」
グランドの後ろにいる二人の星闘士のうち、女性の方が口を出してきた。
あれは何座の星闘士だろう。見たことのない形状だが。
そう思っていたら、
「アンティオネ、名乗っておけ」
グランドが律儀に命令を出してきた。
「はい、申し遅れました。
私は、赤輝星闘士が一人、カシオペヤ座のアンティオネ」
「ついでに名乗らせていただくよ。
同じく赤輝星闘士、矢座サジッタのサルトルだ」
「話の続きだけど、私たちでは悔しいけれどグランド様の足手まといになるわ。
グランド様は、全力で戦うために一人で戦われるのよ」
そういえば、かつて黄金聖闘士も任務のほとんどは単独で遂行し、部下が付いたのは偵察や調査の時だけだったと聞く。
どうやら、それと同じことらしい。
「我は決してそなたらをあなどらぬ。
三人がかりでかかったとしても持ちこたえてしまうやもしれぬ。
それよりもあの二人にはこのジャミールを調査するという我らの本来の目的をやってもらうということだ」
一番打って欲しくなかった手である。
こちらはこれ以上手を分けることは出来そうにない。
グランドは、誇りだけではなく確実な策をとっていた。
「行かせねえぜ。あんたも、後ろの二人もだ」
「その気迫ならばこそ、我は容赦はせぬ!」
アンティオネとサルトルの二人が回り込んで動こうとするのを止めようとしたところで、グランドが小宇宙を燃え上がらせた。
背を見せたら、倒される……!
理由なき確信が二人の脳裏に走った。
紛う事なき青白い輝きが圧倒的な強さで迫ってくる。
「参る!」
その言葉を聞き終わるより前に檄の目の前にグランドが現れていた。
二メートルの檄よりもさらに頭一つ以上高い身長を支えるその右足が、大地を払い、砂塵を巻き上げて振り抜かれる。
「ライジング・ストーム!」
檄はギリギリの所で両腕を交差してそれを受け止めたつもりだった。
しかし、受け止めたはずのその一撃で檄の身体は空高く吹き飛ばされていていた。
「ガハアッッ!」
直接蹴りを受け止めた両腕だけではなく、強烈極まる突風を至近距離から受けた胸部にも、新生聖衣に微かなヒビが入ったようだ。
しかも飛ばされた高度が半端ではない。
ジャミールの高地に慣れてきたはずなのに、吸い込んだ空気がさらに薄くて息苦しい。
見渡せば、周囲に自分より高い山がなかった。
一方その間に地上では、市がグランドの攻撃の隙を突くようにして、
「サーペントスネイク!」
二対一を言いだしたのはグランドの方だ。
これぐらいは卑怯でも何でもない。
しかしグランドは僅かの間に体勢を立て直し、今度は左足を振った。
「シューティング・ストーム!」
地を這う突風がサーペントスネイクの威力を粉々に吹きちぎって市に迫る。
ここは多少なりとも威力を相殺したおかげでかろうじて直撃を避けることが出来たが、余波だけでも大きく後退させられてしまった。
これでは、檄を受け止められない……!
「檄!大地に拳を放つざんす!」
為すすべなく落下していた檄は、その声を聞いて何とか身をよじり、眼下へ向けてベアーズ・スラッシュダウンを変型気味に叩きつける。
これで大きく減速できた。
この程度ならば受け身をとって何とかなる……と思ったとき、
「シューティング・ストーム!」
グランドの第三撃が檄を直撃して、今度は水平に吹き飛ばした。
これでは接近戦に持ち込めない。
「サーペントスネイク!ダブル撃ちざんす!」
両腕から必殺技を放ち、左右から回り込んでグランドを狙う。
二本同時に相殺するのはグランドの技の撃ち方から考えて難しいはずだと判断したのだが、
「シェル・ストーム!」
横向きに振ったグランドの右足が、180度以上をカバーしてこれを楽々防いだ。
「こいつは……、」
強いざんす……!!
「シューティング・ストーム!!」
次いで飛んできた突風が、市を思い切り吹き飛ばした。
グランドの操る突風の轟音を後ろにアンティオネとサルトルの二人は、檄たちが立ちはだかっていた方向からおおよその目標を見定めて歩いていた。
最初は走っていたのだが、想像以上に息が切れるので体力を維持することを優先したのだ。
グランドがほとんど一人で一掃したのでそれほど疲れたわけではない聖衣の墓場にしても、走り抜けた後はしばらく動けなかった。
この高地に慣れた守護者がいるかも知れないので、戦える状態にしておかねばならないのだ。
「あれだな」
塔の形をした、やけに目立つ建物が見えてきた。
そして、
「やはり、守護者がもう一人か二人いるようだな」
アンティオネも無言で頷いた。
二人の眼前で、一抱えもある岩石が何十個も宙に浮いていたからだ。
「くそっ……、まだ一撃もくわえちゃいねえのにこのザマたあ……」
叩きつけられた岩盤から檄はやっとの事で身体を剥がした。
水平に飛ばされたのに、数メートルも岩盤にめり込まされるとはどういうことだ。
もし新生聖衣がなければ今頃全身の骨を粉々に砕かれていたことだろう。
グランドの青輝星闘士の称号は本物だ。
脳震盪をおこしたらしく頭がくらくらするが、しかし、市を一人で放っておくわけには行かない。
フェロンとの戦いで市は既にかなり力を使っているのだ。
「うおおおおおっっ!!」
雄叫びを上げて突進する。
速度ではおそらく光速に近いのであろうグランドの攻撃を避けて接近するのは不可能に近い。
ならば攻撃を堪えるまでだ。
「やはり、そう簡単に勝たせてはくれぬようだな!」
これぐらいの手応えのある聖闘士でなければ、倒されたフェロンたちが浮かばれぬ。
吹き飛ばした市に止めの一撃を放とうとしたところだったが、目標変更だ。
「ならばもう一度受けてみよ!シューティング・ストーム!」
グランドの左足が振り抜かれるのと同時に、突進する檄の身体に急激ブレーキがかけられた。
強烈な小宇宙を伴った蹴圧がそのまま後方へと檄を吹き飛ばそうとする。
「ぬおりゃああああっっ!!」
檄は小宇宙を限りに燃え上がらせて、これに踏みとどまろうとする。
踏ん張る足がガリガリと大地に溝を刻んでいた。
後方へと平行移動するその動きが、徐々に減速していく。
グランドは、ほう、という顔をした。
「それだけでも大したものだ」
さすがに堪えきれずに若干吹き飛ばされたものの、地に転がってすぐに檄は立ち上がり、再び突進する。
「その心意気やよし!」
再び放たれるシューティング・ストームに、聖闘士に同じ技は二度通じないと言いたいところだが、さすがに簡単には見切れない。
やはり光速か、それに近い速さなのだ。
それに目を追いつかせるには、小宇宙をその領域まで高めるしかない。
星矢たちが、十二宮でそうしたように……!
三度吹き飛ばされる檄の脳裏に、銀河戦争の初戦で自分を負かした男の背中姿がよぎった。
あれに、追いつかねばならない。
自分もアテナの聖闘士なのだ。
その想いは、かろうじて着地して体勢を整えた市も同じである。
今このジャミールを守っているのは他ならぬ自分たちだけなのだ。
一刻も早くこのグランドを倒して、あとの二人を追わなければならない。
貴鬼が自分たちの言うことを聞いているかどうかも疑わしかった。
「これならどうざんすか!サーペントスネイク!」
「同じ技を……、ん?」
グランドの攻撃が蹴りから来るならば、サッカーボール同様浮き気味になると見て、市は姿勢を低くして地表スレスレを滑るように、まさしく蛇のような拳を繰り出した。
「頭が回る。
だがそんな死角は残しておかぬよ!」
グランドの巨躯が軽々と宙を舞い、オーバーヘッドキックの要領で蹴圧が繰り出された。
「クレセント・ストーム!」
その攻撃で市の拳圧はかき消されたが、そこを狙ってくると解っていたので、市自身は直撃を避けることが出来た。
見切れないのならば、先読みするまでである。
「蛇は狡猾の象徴でもあるんざんす!」
さすがのグランドも宙から降りてくるには重力に因らねばならない。
それは、青輝星闘士の速度ではなく常人の速度となる。
聖闘士ならば、その間に接近することが出来る……!
「やりおるわ!」
接近戦の間合いまで持ち込んだ。
「メロウポイズン!」
「ハンギングベアー!」
しかし、二人の攻撃が届く寸前にグランドの足が地に着いた。
大気を蹴って落下速度を僅かに速めたのだ。
刹那にも満たぬ時間に、グランドの身体が右足を軸足として一回転して、ライジング・ストーム以上の紛う事なき光の速さで左足が振るわれる。
嵐が、巻き起こった。
「ハリケーン・ストームッッッ!!」
「ぐあああああああっっっっ!!」
「ひいいいいいいいっっっっ!!」
巻き込まれ、風を叩きつけられた二人はグランドまであと数センチの所で風に舞い上げられた。
無論舞い上がるだけで済むわけがなく、グランドの小宇宙が込められたこの嵐は恐るべき力も有していた。
新生聖衣を纏った身体すらも引き裂かれるような圧力を四方八方から浴びて、
ドシャアッッ!ガシャアッッ!
錐もみ状態で二人は地面に叩きつけられ、派手に土砂が舞い上がった。
「さあ、これで倒れるか。それともなお立ち上がってくるか。
アテナの聖闘士よ」
グランドは、なお気を緩めなかった。
「敵は館の中か。
直接締め上げる前にこいつをどうにかしなければね」
サルトルは宙に浮く岩石に狙いを定める。
敵は少しは心得があるようだが、岩石の浮き方がまだ手ぬるい。
それほど恐れるほどのことはなかった。
サルトルが構えたのを見てか、上空の岩石が落下してくる。
しかしそれも、向かってくると言うよりは落下してくると言った方がいい。
「星闘士を見くびるな!アテナの聖闘士!
サウザンド・アローショット!」
的でも射抜くように、サルトルの拳が岩石を次々と打ち砕く。
「他愛のない」
「無理は禁物よサルトル。
今の私たちは全力の三分の一くらいがやっとなのだから」
「わかっている。
だがこの程度の相手ならば心配はいるまいよ」
もっと強大なテレキネシスの持ち主ならば、今頃自分たちは金縛りにされたあげく生き埋めにされているか、大気圏外に飛ばされるかしているだろう。
守っているのはジャミールのムウとやらではあるまい。
ここにあるはずの封印を解くのに、大した支障はないように思われた。
近づいてみると、館の一階が妙な形をしている。
まるで塔の一階をだるま落としで吹き飛ばして二階部分より上が残ったような、妙な印象を与えた。
そのためかどうか知らないが、入り口と言っても大きい窓のような形状だが、
「む?」
その入り口付近がやけに屈折して見える。
遺跡のような概観の割にガラスが張っているのかと思ったが、入り口の全面を覆っているようだ。
まさかこんなところで自動ドアなわけがない。
「よくよく小細工が好きな守り手とみえる。
アローショット!」
構うものかと振るわれたサルトルの拳は、透明な壁を粉々に打ち砕く。
が、同時にその攻撃がサルトルに向かって跳ね返ってきた。
「何!?」
「ラウンドネット!」
アンティオネの左腕から展開された網が、危ういところでその拳の威力をからめ取った。
「やって……くれるな」
「無理は禁物だと言ったでしょう」
「そうだな。
だが、これで遮る物はなくなっただろう」
館の中に入ると、外とはまた違った大気がたちこめている。
あの聖衣の墓場をここで統括しているとすれば、それも納得だ。
「外からはあまり感じなかったところを見ると、地下かしらね」
「賛成だね。探せばすぐに見つかるだろう」
サルトルは手近にあった扉を開けようと手を伸ばした。
その指が、見えざる力によって逆向きに曲げられようとする。
慌ててサルトルは左手で右手をかばい、拳を握り直した。
「何奴!」
「勝手にこの館に入り込んどいて、怪しいのはどっちだよ!」
「……子供?」
先ほどまで姿はおろか小宇宙も感じなかった場所にいきなり出現した貴鬼の姿に、二人はとりあえずあっけにとられて、それからすぐ気を取り直した。
まだ年端も行かぬ子供ではないか。
「少年、良いところにきた。
この館にアテナと書かれた封印の施されたものがあるはずだ。
知っていたらそこへ案内するのだ」
「え?」
アテナの封印が施されたものと言うと、この館に一つしかない。
地下にある、仰々しく柱に取り囲まれた、聖衣の墓場を制御している謎の球体だ。
こいつらは、聖衣を破壊しに来たんじゃないのか……?
貴鬼は相手の予想外の言葉に悩んでしまった。
その沈黙を、サルトルはひとまず否定と受け取った。
「知らぬのなら、ここに聖闘士がもう一人いるはずだ。
そいつの所で良い、案内しろ」
これには貴鬼も頭に来た。
今、ムウの遺したこの館を守っているのは自分なのだ。
それなのに、こいつは自分のことなど最初から眼中になく、別に聖闘士がいると思っているのだ。
「バッキャロー!よく聞けよ!
今この館を守っているのは、牡羊座アリエスのムウ様の一番弟子、この貴鬼だ!」
「……ほう」
サルトルの貴鬼を見る目が変わった。
「黙って逃げておけば良かったものを。
キキと言ったな。今の一言で君は寿命を縮めたぞ」
「サルトル?」
子供でも構わないのかと、アンティオネがサルトルの肩に手を当てて止めようとするが、サルトルは振り返らずにその手を払った。
「私が聞いたところによると、ジャミールのムウという人物は教皇の弟子だという。
彼も生かしておいてはいずれ恐るべき聖闘士に成長しよう」
ゆっくりと貴鬼に拳を向ける。
「気は進まないが、覚悟してくれ。キキ」
「おとなしくやられるもんか!」
逃げも隠れもしない。
檄に言われた自分の立場もわかっているつもりだった。
だが、ムウに育てられ、ムウと共に過ごし、ムウに数え切れないほどのことを教わったこの館を捨てて、修復途上の聖衣を捨てて避難などしては、自分はもう二度と聖衣の修復など出来ない卑怯者となってしまうように思えたのだ。
いつか真の聖闘士になる。
その魂を自分で守るためにも、ここは戦うんだ!
文字通り矢のようなサルトルの拳をギリギリで避けて、体当たり気味に突っ込んで拳を叩き込む。
拳の先端には、念動力で破壊できるように念を込めた。
星衣のボディにヒビが入り、かすかに破片が飛ぶ。
「やはり五年後……、いや、三年後が恐ろしい」
細身のサルトルだが、貴鬼を左腕一本で捕まえて軽々とつり上げた。
「死ぬのだ」
外しようもない距離で繰り出された一撃。
「クリスタルウォール!!」
やり方を正確に習ったわけではない。
だが、何度か見せてくれたムウの姿を頭の中で全部なぞるようにして、テレキネシスを全面に実体化するように繰り出した。
「くっっ!」
バリンッ!
見様見真似のクリスタルウォールでは一撃跳ね返すだけで壊れてしまうが、その隙にサルトルの手から逃れることが出来た。
「よく粘る。
だが苦しむだけよ」
確かに、逃げ回ってばかりではいつかやられる。
こいつらを追い出すためにも攻撃しなければならなかった。
必殺技を……といって、やはり考えるのはムウの使っていた技だった。
一撃必殺のあの技を真似しようとしたところで、今の自分に成功させられる自信はない。
ならば、もうひとつの技だ。
ムウが教皇シオンから教わったというあの技ならば、星矢の流星拳同様に小宇宙の量に依存するが、撃つことくらいは出来るかも知れない。
あとは、自分の小宇宙次第。
「燃えろ!オイラの小宇宙よ!
ムウ様の十分の一の位でいいから高まれえっっ!!」
「これは……っ!?」
「サルトル!」
「くらえぇっ!!スターダストレボリューション!!」
幾千の星屑、はさすがに望むべくもない。
だがそれでも七発の星が貴鬼の小宇宙から実体化してサルトルを直撃した。
星々に囲まれて吹き飛ぶサルトルの星衣が飛び散っていく。
「ガハアッッ!!」
「や……やった……、出来た……」
力を使い果たして、貴鬼はその場にへたり込んだ。
「安心しているところに悪いけど、もう一人いるのを忘れていないかしら」
「!!」
そうだった。
敵は二人。
ほぼ同格の敵がもう一人いたのだ。
「そしてサルトルも、あれで倒されるほど柔な男ではないわ」
「そういう……ことだ……」
マスクを飛ばされ、星衣のそこかしこにヒビが入っているが、サルトルは立ち上がってきた。
「私の目に狂いはなかったが、それでもなお侮りすぎていたのも事実のようだ。
聖闘士一味の少年ではなく、キキよ、アテナの聖闘士の一人として全力で倒させてもらう!!」
サルトルは真紅よりも橙に近い小宇宙を全力で燃え上がらせた。
貴鬼は何とかそれに反応しようとするが、
「く……クリスタル……」
ウォールを放つ力はもはや残っていなかった。
「サウザンド・アローショット!!」
疲れ果てた身体ではテレポーテーションも間に合わない。
「うわあああああっっっっ!!」
矢のような姿の拳圧は、突き通りこそしないが刺すような威力があった。
吹き飛ばされ、床に転がった貴鬼は全身から血を吹いていた。
「う……あ……」
「生身の身体にこれを受けてなお死なぬとは……、頑丈なことだね」
それからサルトルは、もうひとつの理由も感じ取っていた。
貴鬼はこの高地になれているはずだが、自分はこれだけの動きでもう息が切れている。
必殺拳の威力も明らかに落ちていた。
「だが、これで止めだ」
サルトルは倒れた貴鬼のすぐ横に立って拳を振り上げる。
「ラストワン・アロー!」
流血している。
最初に自覚したのはそれだった。
この高地に慣れているといっても、せいぜい数十日のことである。
ここまでの戦いで既に呼吸器官は限界に近づいていた。
さらに流血を伴うと、全身に行き渡る酸素がさらに少なくなる。
檄も市も感覚が遠くなるのを感じていた。
土砂に埋もれているだけではない理由で視覚は働かなくなり、グランドが何か言ったようだがそれもうまく聞き取れない。
高山病の特徴らしい頭痛だけはやけにはっきり感じる。
いや、もうひとつ。
グランドの小宇宙と、相棒の小宇宙はなおはっきりと感じられた。
やべえな……こいつは……。
そうざんすね……。
離れた場所に転がっていた二人は、何気なく会話を交わしてからはっとなった。
自分たちには、精神感応のような力はないはずだ。
それは第六感、超能力の一分野であり、貴鬼のように才能があってなおかつ修行を重ねた末につかえるようになるはずだ。
聖闘士になる訓練の中で一度はその素質を調べられたが、二人ともそちらには向かないと師には言われている。
それが、こんな土壇場でいきなり第六感が使えるようになったとでも言うのだろうか。
待てよ……。おい、市。星矢たちが何か言ってなかったか?第七感がどうとか……。
あ、えーと、確か……セブンセンシズ、ざんす。究極の小宇宙の正体だとか……。
まさか……。
まさか……。
自分たちは今、酸欠のために視覚と聴覚、さらには触覚も薄れかけている。
セブンセンシズ……第七感というからには、他の感覚が衰えた今こそ現れてくるのでは……。
市……立てるか……。
あたりまえざんす……。星矢たちが黄金聖闘士との戦いでたどり着いたものがこれなら……。
ああ、オレ達は……奴に……、青輝星闘士に勝てる……!
「む……っ!」
気を緩めることなく、背を向けることなく様子をうかがっていたグランドは、突如として強大になった二つの小宇宙に気づいた。
「そう、それでこそ我ら星闘士の宿敵よ」
感心するグランドの前で、埋もれていた土砂を吹き飛ばして、二人の聖闘士が立ち上がってきた。
「さあ、聖闘士の意地を見せてみよ。
その誇りもろともに打ち倒してやるぞ!」
グランドも負けじと青白く輝く小宇宙を高く燃え上がらせた。
「燃えろ……」
「高まれ……」
「オレ達の小宇宙よ、一瞬でもいいから……」
「星矢たちの、黄金聖闘士の位まで高まるざんす!!」
「食らうがいい!我が全力の、ハリケーン・ストームッッッッ!!」
「ハンギングベアー・クラッシャァァッッ!!」
「大蛇清水破ァァッ!!」
出現した巨大な竜巻と、大気を切り裂く大熊の掌、八首の大蛇が交錯した。
ガカアアッ!!
サルトルの振るった拳は、床に大穴を開けた。
満身創痍だったはずの貴鬼の姿が見えない。
「何だ……?」
慌ててアンティオネと二人で周囲を見渡すと、部屋の一角に一人の男が立って貴鬼を抱えていた。
「聖闘士……か?」
サルトルが疑問に思ったのも道理。
その男が纏っているのは八十八の聖衣のいずれにも当てはまらない形の鎧だったからだ。
「鋼鉄聖闘士、巨嘴鳥座スカイクロスの翔」
「スチール……セイント?」
サルトルもアンティオネも思わず顔を見合わせた。
聖闘士は青銅、白銀、黄金の三階級と、太陽神アベル直属と言われるコロナの聖闘士で構成されており、鋼鉄などと言う階級はありえないはずだった。
「何者だ、貴様」
「アテナの聖闘士の一人、それでは不服か」
翔は抱えていた貴鬼の身体をそっと下ろしつつ、軽く笑って答えた。
白銀聖闘士と戦ったときもそうだが、正規の聖闘士ではないと言うことで軽く見られることにはもう慣れていた。
「う……、翔……来てくれたんだ……」
アテナの聖闘士としての彼らの戦歴を知っている貴鬼は、ほっとして笑おうとしたが痛みのためにうまくいかなかった。
「貴鬼、ひとまずこいつをくわえているんだ」
そう言って翔はクロスの胸部から短い筒状の金属パーツを取り出して、貴鬼にくわえさせた。
とたんに呼吸が楽になったので、貴鬼はそれが何であるか瞬時に察した。
なるほど、これを使えば高地に来たばかりの翔でも十二分に動くことが出来る。
「悪いが傷の手当は後だ」
「あう」
うん、と言おうとしたのだが、筒をくわえているためにうまくいかなかった。
翔が普通通りに喋っているのはそれなりの練習を積んでいるからだった。
立ち上がった翔は、サルトルとアンティオネに向き合う。
この間、二人は手出しが出来なかった。
押しとどめていたのは、この翔という男の得体の知れ無さだった。
先ほどから全く何の小宇宙も感じない。
これではあのキキという少年の方が強いぐらいではないだろうか。
しかし、それでいて聞き覚えのない階級の聖闘士だという。
「まあいい、小宇宙も無しに何が……」
言い終わるより前に、翔はサルトルに組み付いていた。
館の一室という限られた空間ならばこそ、マッハの動きよりも鍛えられた身のこなしの方が上回った。
「何!?」
「ウインド・スルー!」
鋼鉄聖闘士は全員、柔道と空手の有段者である。
そして、聖闘士を相手にすることを考えられていた彼らの訓練は、競技ではなく実戦向きに研ぎ澄まされていた。
瞬時に身体を入れ替えて、腰からサルトルの身体を跳ね上げると共に自分も飛び上がり、猛烈な回転を加えて床にたたきつけた。
「ガハアッ!!」
星矢のローリングクラッシュ同様、高さがあれば一撃必殺に近い技なのだが、この室内では星衣を砕くのが精一杯だった。
それでも、サルトルにとってはあまりにも不本意だった。
全く何の小宇宙も感じないただの男を相手に、こんな醜態とは。
「認めない……。星闘士の真の力を思い知るのだ、ショウよ!
サウザンド・アローショット!」
怒り心頭のサルトルは最大の拳を放つ。
既に息が切れ、本来の威力は望むべくもないが、何の小宇宙もない男一人を倒すのに、不足はないはず……!
翔は右腕のパーツを展開しつつ、掌を大きく開いて幾千の矢群に向ける。
「スチール・アブソープション!」
スカイクロスのパーツが光ったかと思うと、その矢が全てスカイクロスに吸い込まれた。
「そんな……ことが……っ!!?」
「リバースバースト!!」
驚愕のサルトルに向けて翔は今しがた吸収したエネルギーを拳に乗せて放った。
茫然となったサルトルはかわすこともできない。
「スラッシュネット!」
アンティオネが右腕から放った網が、ギリギリの所でサルトルを引っ張ってその窮地を救った。
「済まない、アンティオネ……」
「あの男、何をしているのか解らないけど息一つ切らしていないわ。
息を切らしたあなたでは荷が重すぎよ、私が代わるわ」
「……無念だ……。だが、私もこのままでは終わらない……」
唇を噛みつつ床の一点を見つめていたサルトルが何をしたいのか、アンティオネは理解した。
サルトルを隠れさせるように一歩進み出る。
「スカイクロスのショウ、今度はこのカシオペヤ座のアンティオネが相手をするわ」
「どちらでも構わないさ。来い」
「ひょう!まっへ、ほいふは……!」
貴鬼が筒を加えたまま叫んだ言葉を翔が察するより先に、サルトルは拳を振り下ろした。
「ラストワン・アロー!」
そこは、先ほどのウインドスルーで床が半壊していた場所だった。
その一撃で耐えきれなくなった床は大きく地下への穴を開けた。
「何の真似だ!」
慌てて近づこうとした翔の眼前にアンティオネが繰り出した網が広がる。
「私が相手をすると行ったはずよ」
「黙って行かせるか!」
スカイクロスの翼から刃を取り出して断ち切ろうとするが、なかなか切れるものではなかった。
その間にサルトルは開けたばかりの穴に飛び込んだ。
「翔!こいつらが狙っているのは地下の封印なんだ!!」
埒があかないと、口から筒を外して貴鬼が叫んだ言葉に、翔も顔色を変えた。
自分たちにとって封印とは、すなわち邪悪を封じているアテナの封印に他ならないのだから。
「そう、やはり地下にあったのね。邪魔はさせないわ」
「どいてもらう!!」
地下は明かりとは言えない程度の僅かの光しかなかった。
しかし、星闘士や聖闘士ならば特に迷うと言うこともないだろう。
押さえ込まれているというのに、それでもはっきりと感じる小宇宙がそこにはたちこめていた。
見える。
このチベットの奥地には似つかわしくない、ギリシア風の柱に取り囲まれた、アテナの封印が施された球体。
「陛下、今このサルトルが第二の封印を解きます!」
さすがに神話の時代から封印を守っているだけあって、柱は極めて頑丈に出来ていたが、それはこの地方に起因する地震に対抗しての物で、全力を込めた星闘士の攻撃に耐えられるほどの物ではない。
ぜえぜえと荒くなる息を繰り返しつつも、一つ一つ柱を破壊していくたびに封印が緩んでいくのがはっきりとわかる。
しかし、あと二つというところで翔が地下に降りてきた。
アンティオネは倒されたのだろうか。
気にかかったが今はこの男を相手にしている暇はない。
ふらつく手足を叱咤してまた一つ壊す。
あと、柱一つ……。
「チャージング・ウインド!!」
危機的状況だと判断した翔は、身体ごと止めようとして突っ込んでいく。
それでもサルトルはなおも柱を壊すことを優先した。
「ラストワン・アロー!」
その執念が僅かに早かった。
星衣を砕かれて吹っ飛ばされつつも、サルトルは最後の柱を壊すことに成功していた。
「しまった!!」
翔は思わず叫んだが、しかし幸いなことに劇的な変化は起こらなかった。
アテナと書かれた封印そのものがなお残っているためだ。
翔はほっと胸をなで下ろした。
サルトルはもう立ち上がれないはず。
殺さぬようにと手加減している余裕など無かったのだ。
そも生きているのかどうか……。
目を向けると、暗闇の中でかすかに手を動かしたらしいとわかった。
「……む……ねん……、アンティオ……ネは、どう……した」
虫の息そのものの声で、サルトルは最後の力を振り絞って聞いてくる。
「今の技で館の外まで吹っ飛ばした。
運が良ければ生きているだろう」
「そう……か……。お許……しを……。陛……ガハッッ!!」
血を吐いて二三度痙攣した後、サルトルは事切れた。
直後、その身体が黒い霧となって封印の球体に飲み込まれた。
日本で瞬に倒された星闘士はしっかりと死体が残り、ちゃんとした人間だった。
そうすると、この現象は封印された邪悪の力なのだろうか。
『翔!倒せたの?』
「ああ、なんとかな」
暗がりの中、サルトルの消滅した場所を見つめつつ翔は貴鬼のテレパシーに答えた。
『なら、檄と市を助けに行ってくれよ。
今二人はとんでもない奴を相手にしているはずなんだ』
「しかし、さっきのカシオペヤには止めを刺していないんだぞ。
あいつが戻ってきたらどうする」
『ここは今度こそオイラが守るよ。
頼むよ、翔。今二人が戦っている敵は黄金聖闘士にも匹敵するかも知れない奴なんだ』
考えてみれば、チャージング・ウインドを叩き込んだアンティオネはもう戦えないはずだ。
貴鬼一人でも、酸素をしっかり確保していれば大丈夫だろう。
「解った。ここは頼んだぞ」
『うん』
「まさか……これほどまでとはな……」
檄のハンギングベアー・クラッシャーの直撃、市の大蛇清水破のうちの五発を食らい、全身六ヶ所で星衣を砕かれてグランドは膝をついた。
星衣の防御力は星闘士の小宇宙に比例する。
青輝星闘士である自分の星衣は普段ならば黄金聖衣にも等しい不滅の鎧となるはずであった。
しかし、この高地での酸素不足によって思った以上に自分の身体は変調をきたしていたらしい。
小宇宙も思うほどには燃え上がらない。
それゆえに、星衣は破壊可能となるまで衰えていたのだ。
そして、逆境においてなお一層小宇宙を増大させた彼ら聖闘士の執念が、そこまでたどりついたということも、また事実だろう。
「聖闘士も、決して纏っている聖衣などで計れなかったということだな……」
視線を上げたその先で、檄と市の二人は地に倒れ伏していた。
ハリケーン・ストームを大きく相殺することは出来たが、身体が先に限界に来た。
「つ……ええ、ぜ……くそぉ……」
「もう一度……、動くざんす……、あたしの身体……」
「よく戦った、ベアー檄、ヒドラ市。
この名前、忘れぬと誓おうぞ」
ふらつく足を叱咤してグランドは立ち上がる。
敵でなければ殺すには惜しい者たちだが、聖闘士を生かしておくわけにはいかない。
まずは、頑強に見える檄からだ。
「ぐ……」
「強き魂よ、冥界の糧となれ!」
「待て!!!」
足を振り上げようとしたグランドの耳を、拡声器を通した声が背後から貫いた。
次いで、空を切り裂く鋭い音。
馬鹿な……!何の小宇宙も感じなかった……!
驚いて振り返るグランドの目に映ったのは、赤い巨鳥に掴まって急降下してくるアンダースーツの男。
聖闘士では……ない!?
「スカイ・ハイ・ウインド!!」
怪我と驚きのために反応の遅れたグランドの胸部に、翔の全体重を乗せた蹴りが炸裂した。
檄と市の攻撃でヒビの入った星衣が、今度こそ砕け散る。
「ぐおおおおっっ!!」
さらに翔は飛行形態のスカイクロスを片手で自在に操りつつ、もう片手で体重百キロを越える檄の身体を掴まえて、市の倒れているところまで退避した。
「いい……タイミングで来てくれるぜ」
「待ちかねたざんすよ、翔」
「二人とも、こいつをくわえろ」
フッと笑って翔は、貴鬼にも渡した短い金属筒を取り出して二人に手渡す。
「助かったざんす」
グラード財団技術開発部が鋼鉄聖衣開発プロジェクトの一環として開発した携帯型酸素ユニットである。
元々は高度の高い場所を飛行するスカイクロスのための装備だったが、このように救急医療用にもつかえないこともないのだ。
口にくわえて呼吸をし直すと、視覚、聴覚、触覚が一気に快復してくる。
それまで三覚が閉ざされていたことで第七感として蓄積されていた小宇宙が、爆発的に膨れ上がった。
二人は知らなかったが、それは乙女座バルゴのシャカが使っていた天舞宝輪と同じ小宇宙の高め方であった。
「シェインの言っていた、機械の聖闘士か……?」
星闘士の情報処理技術の要である白輝星闘士エリダヌス座のシェインが、いつもの調子で報告していたが、彼が青銅、白銀、黄金の階級外の、現代の聖闘士なのだろうか。
健康体ならば、その科学技術ごと葬り去るところなのだが、今やグランドは追いつめられていた。
何をやったかはわからないが、ともかく檄と市は力を取り戻した……、いや、先ほどを上回る小宇宙を纏っている。
「負けぬ……、我は青輝星闘士グランドなり……!」
向き直った彼に、檄と市が迫る。
口に筒を加えているので必殺技の名前は叫べなかったが、ベアーズスラッシュダウンとサーペントスネイクだった。
「くっ……!シューティング・ストーム!」
ダメージの深い身体では、もうハリケーン・ストームを撃つことはできない。
力負けしてグランドは大きく後退させられる。
そこを狙うようにして翔はチャージング・ウインドを叩き込んだ。
「ガハッッッ!!」
グランドの身体が吹き飛び、宙に舞い上がった。
「ひゃっは!」
「いいほほ持っへいふひゃんふ!」
いまいち決まらないが、二人は思わず歓声を上げた。
さしものグランドも、これでならもう……。
しかし、頭からグランドが地面に落下する寸前に、彼の身体を投網のようなものが包んだ。
「な、なんざんすか?あれは」
喋るときだけ筒を外すことにした二人が向けた視線の先には、ボロボロの星衣を纏いながら、網でグランドの身体をすくい上げたアンティオネの姿があった。
さらにアンティオネは、翔、檄、市を丸ごと包むように巨大な網を放った。
「まだ……これだけの力を……」
「この場は私たちの負けを認めましょう、アテナの聖闘士。
ですが、この場で負けただけです。
憶えておきなさい、これであなた方は青輝星闘士一同を本気にさせたと言うことを」
「ま、待て……!」
追いかけようとするが、テレポーテーションも使えない三人では網を破りきれず為す術がなかった。
やっとのことで翔が網を切り裂いたときには、既にアンティオネとグランドの小宇宙はどこにも感じなくなっていた。
「ちっ……倒せなかったか」
「そういえば、貴鬼はどうしたざんすか?あの星闘士はかなりの傷を負っていたようざんすけど」
「ああ、無事ではないが命に別状はないはずだ。
お前たちの手当もしなければならないから一旦館に戻るぞ」
「やっぱり避難しなかったんざんすね」
やれやれ、という顔を市と檄は見合わせた。
しかし、貴鬼のその根性は嫌いではない。
「とにかく勝ったってことだな。
おい、市、締めの台詞だ」
何を意図しているのかと疑問顔の翔と、檄の肩を一緒に組んで市は晴れやかに言った。
「戦いは常に、顔で決まるんざんす」
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