「うわあああーーーーーーっ!」
まただ。
亡霊の攻撃をかわそうとした部下の赤輝星闘士ヒポグリフ座のバロッドが、大地に飲み込まれた。
いや、そうではない。
飲み込まれたように見えたのは目の錯覚だ。
落下していくように小さくなっていくその姿のさらに下に、先ほどまで彼が立っていた地面がまだ見える。
そういうことか……っ!
「スネークツウィスト!」
指揮官を務める白輝星闘士フェロンの左腕のパーツが瞬時に伸びて地面に突き刺さる。
彼の全身を覆う鎧……星衣に九つある蛇の首の一つだ。
いや、これも実際には地面に突き刺さることなく、地面を背景として下に伸びていった。
ガシッ!
バロッドが叩きつけられる音がする前に、その身体をなんとか捕獲して引っ張り上げる。
その間にも襲いかかってくる骸骨へは、
「ハイドラウィップ!」
右腕と右肩の二本の首が唸りを上げて暴れ回る。
たちまちに四体の骸骨が粉砕されるが、倒しても倒しても数が減らない。
先ほどまでに倒したはずの骸骨も既に破片が見あたらないことを考えると、いくらでも再生しているらしかった。
「フェロン様……申し訳ございません」
「これ以上死なれてはかなわん。それよりもだ、落下した感覚は確かにあったか?」
先ほど子馬座イークリウスのゼダンが地面に飲み込まれたように姿を消した直後に、遥か下の方で砕けるような嫌な音が響いたのだ。
「落下した……というよりは、直前に踏み外したという感覚がありました」
「やはりな。
いいか、全員横にはかわそうとするな!
見えている地面は幻で、実際には縦に一メートルほどの幅しかない場所だ!」
『ほう、冴えている者がいるではないか』
骸骨の一体が不気味な笑いを浮かべてフェロンを見下ろす。
「黙れ!栄えある白輝星闘士のこの俺が、貴様ら如き亡霊に誉められて喜ぶとでも思ったか!」
『星闘士ならばこそ、この地を永遠に守ろうとは思わぬのか?』
「な、何っ!?」
ただの骸骨が言ったのなら、戯言と笑い飛ばすこともできたかも知れない。
しかし、その骸骨が纏っているのはどう見ても自分たちの纏っているものと同種の星衣であった。
まさかこいつは、星闘士の亡霊だというのか?
『栄えある星闘士ならばこそ、汝もこの地を守る者となれ……!』
* * * *
「聖衣の墓場といっても、本当に聖衣が転がっているわけじゃないんだ」
「確かにあそこに転がっていたのはどう見積もっても百体を下らなかったざんすね」
工具を手に大熊座の聖衣と格闘しつつ、貴鬼はしてやったりの表情で解説する。
なにやらいつもより調子がいいように見えるのは檄の気のせいだろうか。
「あそこに転がっているのは、神話の時代からここに侵入しようとした海闘士、暗黒聖闘士、冥闘士、狂闘士、そして……星闘士の亡骸と、その衣なんだ。
八十八の聖衣は一体もない」
「安心したぜ。聖闘士を殺しておいて亡霊にしようだなんて極悪なことをしているんじゃなくってよ」
聖闘士も聖衣も足りないというときに、破損したままの聖衣を遺体ごと転がして置くなど言語道断の所業である。
檄は冗談ではなくほっとしていた。
「聖衣を携えて修復に来た聖闘士に対しては試練程度に手加減されるんだ。
実は道を踏み外して落下しても、引き戻されるだけで済む。
でも、侵入者に対しては容赦がない。
そうやって倒した敵をこの地に縛りつけているということを考えると、悪いことは悪いよね」
「それを今は全部貴鬼がやっているんざんすか?」
「違うよ。
そもそも何でムウ様がこんなところに住んでいたんだと思う?」
悪戯心が働いているとかえって気分が乗ってくるのか、貴鬼は喋りながらも正確な動きで作業を進めていく。
最初からこうしておけばよかったんじゃないかと思いつつも、とにかく檄と市は考え込んだ。
そういえば確か、教皇牡羊座のシオンもかつてここに住んでいたと言っていた。
聖衣に命を呼び戻す、あるいは復活させるのに適した特殊な結界に包まれているのだとも。
「まさか……、あの墓場の亡霊たちが聖衣の修復に利用されているのかよ?」
「大体そんなところだよ。
この館の一番地下に墓場を制御する装置があるんだけど、これにはアテナの封印が施されているんだ。
正体は知らないけどかなり強力な悪霊らしい」
「ちょ……ちょっと待つざんす!そんなものが下にあるんざんすか!?」
「毒を持って毒を制すって言うじゃない。
その悪霊の力でこのジャミール周辺に結界を張って、そこに集められた聖闘士の敵の小宇宙を循環させてここで利用しているんだ。
聖衣に命を吹き込むための、古代ムーの錬金術師たちの技術なんだって聞いている。
同時に、この封印を守りながらね」
いまいち解ったような解らないような。
しかし素直に納得するには、いささか正道に外れたものではないだろうかと思う。
地上の愛と正義を守る聖闘士としては、あまり認めたくない内容だった。
「気持ちは解るよ。最初はおいらも納得できなかったもの」
槌音とともにつけ加える貴鬼の声は、どこか恐れているような口調だった。
「でも、そうしてでもここは守らないといけないんだ。
どちらかというと、聖衣の修復システムの必要性よりはこのジャミールを守ることの方が重要なんじゃないかな。
実は……ムウ様も恐れていたんだよ、あの悪霊を。
完全に封じ込めておくことは不可能で、どうしても力が漏れてしまう。
それを野放しにして災厄が広がる危険を見逃すよりはこうすることを選んできたんだと思う。
ムウ様も、シオン様も」
檄も市も背筋が冷たくなるのを感じていた。
かの教皇シオンが恐れていたというからには、どれほどの悪霊なのだろう。
「檄、あたし思ったんざんすけどね……」
「市、俺も考えたんだけどな……」
見合わせた表情は同じだった。
敵がこのジャミールにまでわざわざ攻め込んできたのは、聖衣の修復現場を攻めに来たのではなく、その封印を解きに来たんじゃないだろうか?
* * * *
「断る!俺は必ず封印を解き、アクシアスの上に立ってやるのだ!」
咆吼とともにフェロンは小宇宙を爆発的に燃えたぎらせ、全身に装着された九つの首を全て解き放った。
その先端まで全て包む小宇宙の輝きはまぶしい白光。
この色こそが、白輝星闘士としての自分の誇りの証であった。
あのアクシアスに負けてなどなるものか!
「このままでは埒があかん。全面に攻撃を集中して駆け抜けるぞ!」
「はっ!」
『させんぞ、小僧!』
四人となった部下を叱咤して、フェロンは駆けだした。
「消し飛べ亡霊ども!
ハイドロ・サーヴィジリー!!」
野獣さながらに暴れ回るフェロンの小宇宙が、亡霊たちをドミノか何かのように打ち倒していく。
バロッド以下赤輝星闘士たちも後に遅れじと駆けた。
いかに亡霊たちが再生できると言っても、それまでには多少なりとも時間がかかる。
手薄になったところで、一息に駆け抜ける。
やがて、亡霊の列が途切れて周囲が一気に明るさを取り戻した。
「抜けた!!」
元々空気が極めて希薄なところであるため、さすがのフェロンもそこで膝をついて呼吸を整えなければならなかった。
バロッドたち四人も同様である。
むしろ、実力で劣る四人の方が深刻だった。
高山病になる者がいなかっただけでも陛下の加護に感謝せねばなるまい。
「しかし、アテナの聖闘士たちよ。これで確信したぞ。
オレたちの目指す封印はもはや目の前であるとな」
* * * *
「げっ!」
「抜けやがったか……!」
小宇宙の結界でもある聖衣の墓場を抜けられると、もう小宇宙が間近に感じられる。
おそらく向こうもこちらとこの場所に気づいたはずだ。
「貴鬼!オレの聖衣はまだか!」
「もう少しかかるよ!あと二十分くらい……!」
「しょうがないざんすね。あたしがなんとか食い止めてみるざんす」
既に戦闘可能な状態になっている海ヘビ座の聖衣を身につけて、市はひと足先に出撃しようとする。
「ちょっと待て市、いくら何でも相手が五人もいるんだぞ。
お前一人では……」
「だからと言ってここでのんびり待って攻め込まれて、星矢たちの聖衣まで破壊されたらたまったものじゃないざんす」
市の背中にどこか悲壮なものを感じて、それを黙って見過ごせる檄ではない。
聖衣が無いなどと言っていられるものか。
「貴鬼、そいつが出来上がったらすぐに俺のところまで飛ばしてくれ」
「檄、あんたこそ待つざんす。聖衣も無い身体で敵と戦おうなんて無茶ざんす」
聖衣を脱いだ方が強いんじゃないかという紫龍はさておき、聖闘士の肉体自体はその攻撃力に対してそれほど頑丈なわけではない。
聖闘士、あるいはそれに相当する敵と戦うときに、聖衣無しではその肉体が敵の攻撃力に耐えきれないのだ。
「二十分かそこらだろう。
なんとか会話で引き延ばして、あとは運任せだ。
二人いれば相手だってそう簡単に始末しようとは考えねえだろう」
「まったく、無茶ざんす」
「お互い様だ」
兄弟そろって、いい笑顔で笑いあった。
思えば百人の孤児としてまとめられていたころからの長いつきあいだ。
そしてお互い、地獄のような思いをして帰ってきた仲間だ。
「貴鬼、あんたは修復が終わったら残りの聖衣と一緒に避難しているざんすよ!
あんたは聖闘士の希望の星なんざんすからね!」
そう言うと、兄弟は肩を並べて走り出した。
迎え撃つ場所は、出来るだけ館から離れていた方がいい。
敵が聖衣の墓場を抜けたところで立ち止まっているのなら、そこまで出向いて行こう。
* * * *
「来るか……」
フェロンはようやく息を整えて立ち上がった。
さすがに空気の薄いこのジャミールでは想像以上に回復が遅い。
バロッドら赤輝星闘士たちは膝立ちになるのが精一杯だった。
まずいな……。
近づいてくる小宇宙は二つ。
一人で同時に二人相手取ることが出来るだろうか。
出来ればこいつらが回復するまで引き延ばしたいところだ。
「何とか立つだけ立ち上がれ。
アテナの聖闘士らしき奴らが近づいて来ているのだ。
倒れたままではアテナの聖闘士に屈したも同然だぞ」
そう言われては星闘士の誇りに賭けて立ち上がらねばならない。
バロッドたちはお互いに肩を貸しあって何とか立ち上がった。
市と檄の二人がたどり着いたのはその直後だった。
「お前たちが、敵ざんすか」
「は……?」
いきなり緊迫感の無い声をかけられて、フェロンたちは一様に呆けたような顔になってしまった。
出会い頭に光速拳が飛んでくることも覚悟していたフェロンなど、思わず膝が砕けそうになるのを堪えるだけでも大変だった。
「そ……そういう貴様は、アテナの聖闘士だな!」
「如何にもそうだ。俺は大熊座ベアーの檄」
「あたしは海ヘビ座ヒドラの市ざんす」
いきなりの会戦にならずにほっとしたのは檄たちも同じである。
これなら檄の聖衣が修復し終わるまでかろうじて引き延ばすこともできるかも知れない。
そう思い、まずは真面目に自己紹介することにした。
だが、それを聞いてフェロンは表情を変えた。
「貴様が……ヒドラだと……!そ……そんな馬鹿な!」
「馬鹿なとはひどいざんすね。
そういうあんたはどこの誰か名乗るのが礼儀ざんす」
どうやらこの男が一行の中で一番小宇宙が高い指揮官だろうと推測できたが、さすがに全く形状の違う衣を纏うこの男の守護星座には市は思い至らなかった。
「俺は白輝星闘士が一人、ハイドラ座のフェロンだ!」
「スノー、スタインだと?」
スタイン、という敵の一団の名前であるらしい単語は日本から連絡を受けていたが、その前に接頭語がついていることが気になった。
檄は会話を引き延ばすことも狙ってさりげなく尋ねてみる。
フェロンはフェロンで別のことに気づいて欲しかったのだが、ひとまず会話を継続できるので質問に答えることにした。
「現代のアテナの聖闘士は何もかも忘れてしまったと見える。
いいだろう、教えてやる。
貴様ら聖闘士が、纏う聖衣によって青銅、白銀、黄金の三階級に分かれているように、我々星の闘士たるスタインも三つの階級に分かれている」
厳密に言えばコロナの聖闘士と言う例外はあるのだが、これはアテナの聖闘士という範疇からも外れている存在なので、フェロンはあえてそのことに触れようとはしなかった。
どうやら、二人の聖闘士はスタインという単語だけは知っていたらしい。
「ただし、お前たちが聖衣の優劣によって区別されるのとは違って、我々には纏っている星の衣……クエーサーによる区別など存在しない。
全てはその小宇宙によって決定される。
強さに応じたこの色の輝きによってな!」
そう叫ぶとフェロンは小宇宙を燃え上がらせる、その輝きは純白。
「む……」
強い。
檄も市もそう感じた自分の印象を否定できなかった。
聖闘士にあらざる存在ながら聖衣の墓場を突破してきた一行の指揮官だけのことはある。
だが、絶望的なまでに圧倒されているというわけではない。
それはここが、標高六千メートルを超えるジャミールで、自分たちはここで既に数週間過ごしていると言うことだ。
檄の聖衣さえ届けば、この人数差を加味しても何とかなるところではないか。
少なくとも、そう考えておくことにした。
今はおとなしくこのフェロンという男の解説を聞こう。
存外に重要な敵の情報だ。
「貴様ら聖闘士とて、いやしくも天に輝く星々を守護星座と騙るからには、星の光の色とその温度の関係ぐらいは知っていよう」
言い方が気に食わないが、神話の時代ならいざ知らず、それくらい知らなくては現代の聖闘士失格である。
すなわち、表面温度が最も低い……と言っても三千度ほどの星は赤色。
太陽に近い六千度ほどの星は黄色から徐々に白い光になっていき、一万度前後ではほぼ真っ白な光を放つ。
それよりもさらに高温な星は、青白く輝いて見えたはずだ。
ということは、つまり……
「我々星闘士の階級は小宇宙の輝きで示される。
赤い輝きのクリムゾン、白い輝きのスノー、そして青い輝きのシアンとな。
もちろん階級と言っても個人の小宇宙の強さに依存する以上、そこに絶対的な境界線はない。
赤輝星闘士の中でも白輝に近い橙色の小宇宙を持つ者もいれば、白輝星闘士の中でもやや赤みを帯びた者もいる。
しかし、このフェロンはそんじょそこらの白輝星闘士ではないぞ……!」
ということは赤輝星闘士が青銅聖闘士に、白輝星闘士が白銀聖闘士で、青輝星闘士が黄金聖闘士に相当する存在なのかと、二人は大体想像がついた。
やっかいなのは纏っている聖衣……ではなくて星衣といった鎧だ。
階級ごとの差が無いと言うことは、黄金聖衣ほどではないにしても平均的な防御能力はあると言うことになる。
もっとも、その平均値がどれほどのものかは未だに計りかねるのだが……。
そこでフェロンは小宇宙をたぎらせるのを一旦止めた。
「それなのに……貴様ごとき腑抜けがヒドラの聖闘士とはな。
馬鹿馬鹿しくて怒る気力すらも萎えそうだ」
萎えると言いながらもフェロンの視線は真っ直ぐ市を射抜こうとするかのように鋭さを増している。
その両肩に装着された蛇頭が、ゆらりと鎌首をもたげる。
そこまで言われて黙っているほど市もお人好しではない。
檄をかばうように数歩前に進み出て、独特のゆったりとした動きで構えをとる。
新聖衣は身体にうまくフィットしていて、自分の思い通り以上に滑らかに動いてくれた。
「あたしがヒドラの聖闘士だと何か不都合でもあるざんすか?」
「大ありだ!」
フェロンは叫びながら自分の血管が二三本すっ飛んだ音が聞こえたような気がした。
冷静に時間を稼ごうとするのもそろそろ我慢の限界かも知れない。
「先ほどオレが名乗ったのを聞いていなかったのか貴様は!
オレはハイドラ座のフェロン!
海ヘビ座ヒドラである貴様はオレの守護星座を簒奪した、オレの宿敵とも言うべき聖闘士なのだぞ!
アクシアスの奴が戦ったユニコーンの聖闘士はまだ強かったと聞くが、よりにもよってオレの宿敵がこんな奴とは失望させられたわ!」
怒りをぶちまけるだけぶちまけたフェロンは、部下たちの腰が引けているのも気づかずにぜえぜえと肩で息をしている。
アクシアスという名前に聞き覚えはないが、おそらく日本で邪武が撃退したという星闘士がそうなのだろう。
そして先ほど那智が教えてくれたように、彼ら星闘士の目的は聖闘士から八十八の星座をふんだくることらしい。
ということは、欠員があるかもしれないがそれぞれの聖闘士に対応した星闘士が存在することになる。
なるほど、これは確かに邪武が言っていたように暗黒聖闘士たちを彷彿とさせる。
「言ってくれるざんすね。
どこの馬の骨とも解らない奴にこんな奴呼ばわりされるいわれはないざんす。
あたしの実力が不満だというのならば、試してみるざんすか?」
「お、おい……市」
これには檄も慌てたので小声で声をかける。
時間を稼ぐつもりが、これではほとんど一触即発の状態ではないか。
自分の聖衣の修復が終わるにはもう少しかかるだろうに。
「大丈夫ざんす。あたしもあいつも、一対一で決着をつける以外ないことはわかっているざんすよ」
「フン、一応それくらいはわかるようだな」
フェロンにしても、部下たちの回復の時間をかせぐにはその方がいい。
そして何よりも、もはや我慢の限界だった。
部下たちを後ろにして、市と正面から向かい合う。
「我ら星闘士の名と我が守護星座に賭けて……、貴様を完膚無きまでに打ち倒してやる……!」
既に先ほどの疲労はあらかた回復した。
こけおどしではなく、今度は本気で小宇宙を燃えたぎらせる。
肩と腕に纏った星衣の蛇頭が合計四体、フェロンの小宇宙に応じて身体からほどけてゆらゆらと揺れ動く。
「いいざんす。
戦いが常に何で決まるものか、とくと教えてやるざんすよ」
市も両拳から新たに六本となったヒドラの爪を出して小宇宙をたぎらせる。
「行くぞ!ハイドラウイップ!」
「新必殺、シーサーペントポイズンざんす!」