聖闘士星矢
夢の二十九巻
「第二話、最終聖戦の時代」
鋼鉄聖闘士三人衆の一人で、通信部門を担当する旗魚座マリンクロスの潮は、グラード財団最強のハッカーでもある。
電脳空間防御の最高責任者の肩書きを持っている彼と、グラード財団システム防御陣の堅牢さは世界屈指を謳われていた。
当然と言えば当然で、グラード財団の内部でやりとりされているポセイドンやハーデスの情報が万が一にでも外に漏れたりしたら、グラード財団の正気を疑われることは確実だろうし、信じられたら信じられたで、今度は世界中の宗教概念が破壊されかねない。
特に冥界に関わるハーデスの情報は特秘事項とされている。
宗教世界の根本に死後の世界が関わっている宗教は極めて多いのだった。
神話が神々の手から人間の手に委ねられての数千年は長かったということだろう。
それだけに、グラード財団のセキュリティシステムは過去幾たびのハッカーの攻撃をもしのぎきり、侵入を許したことはなかったのだ。
これまでは。
もちろん、神話などに関わる最奥まで破られたわけではない。
だが、城戸邸の物理的なセキュリティを管理する機構に侵入され、物の見事にこれが狂わされていた。
アクシアスら暗黒聖闘士……今のところ、邪武たちは疑問を抱きつつも彼らをこう呼ぶことにしていた……の襲撃に合わせて、完全に仕組まれていた。
城戸邸内部から一部の衛星管理まで。
だからこそ彼らの侵入を察知できず、襲撃に対する警報も大幅に遅れたのだった。
瞬や邪武たちがアクシアスらを退けた後も、潮はこのハッカーの攻撃に悩まされていた。
ようやく攻撃を退けたとき、彼のマシンにメッセージが送られてきた。
『ハロー、ギャラクシア』
ギャラクシア、というのは、潮が一番よく使っているハンドルネームである。
少し女性のような響きにして正体からかけ離れたようなイメージにするようにした一方で、小宇宙を持てない自分へのいらだちのような物もその名には含まれているのかも知れない。
『ストリーマーだな。ひとまず初めましてと言っておこうか』
ハッキングの手口から割り出した、東南アジア在住と言われる有名ハッカーの名を潮は打ち返した。
神経からの直接入力は危険を伴うので、今はキーボードで返事している。
『ばれていたとはね。だけど今日からはそれに訂正を加えさせて欲しい。
エリダヌス座のシェイン。
それが今の僕の名だ』
やはり、という意識があった。
暗黒聖闘士が雇ったハッカーではなく、この敵は暗黒聖闘士の一人だったのだ。
『では判別名として、暗黒エリダヌスと呼ばせてもらおう』
『ふーん、機械の聖衣を纏っていてアテナの聖闘士でもない君がかい』
思わずモニタに拳を叩きつけてやりたくなった衝動を、潮はかろうじて堪えた。
こいつは、自分の正体まで知っているのだ。
鋼鉄聖闘士完成前の麻森研究所は何度と無くハッカーの攻撃を受けていたが、そのあたりからデータを盗み出したのかも知れない。
しかし、まさかこちらの心理まで平然と読んでくるとは。
小宇宙を持たないことと、正式な八十八のアテナの聖闘士ではないこと。
それらがどれほどの劣等感を抱かせることか。
『気に障ったのかい。
だが先に失礼なことを言ったのはそちらの方なんだから、謝らないよ。
アクシアスが言ったはずだ。
僕たちは暗黒聖闘士とは違う。彼ら如きと一緒にしないでくれ』
こちらの反応がないことから、正確にこちらの感情を読みとってきた。
『では、暗黒聖闘士でないならば、お前たちは一体なんだというのだ』
ようやくこちらも相手の考えが読めた。
こいつは正式に宣戦布告にやってきたのだ。
ならば自分たちの正体への問いも答えるはず……、
『星闘士……スタイン、と呼んでくれ』
『…………なに…………!』
『僕たち星闘士は、八十八の星座の守護をアテナから奪回するために今再び集った。
ゼウスはアテナに地上を託したが、天空に煌めく星々の管理までは託していない。
にもかかわらずアテナは、八十八の星座の大半を我が物として全星域を自らの配下に割り当てようとした。
これはオリンポスの神々全てへの反逆行為だ』
答えるだろうとは思っていたが、予想を遙かに超えたあまりの内容に絶句して、打ち返す手が止まった。
残党どころの騒ぎではない。
この背後にいるのは神々の一人なのか……!?
下手をすればオリンポスの十二神の一人が指導者である可能性もある。
『戯れ言を!聖闘士が成立したのは何千年前だと思っている。
それを今更蒸し返そうなどと!』
『今までの聖戦ではアテナと聖闘士たちに敗れてきた。
だがこの時代ではそうは行かない。
黄金聖闘士は冥界で全滅。コロナの聖闘士もディグニティーヒルで敗れ去った。
アテナの聖闘士たちの残された戦力は、過去の聖戦と比べるべくもない』
「くっ……」
それは一々言われずとも、生き残った聖闘士全員が全員、嫌と言うほど痛感させられている事実だった。
あまりにもこの時代には戦いが連続しすぎる。
過去の聖戦は二百数十年に一度。
聖闘士の数を立て直すだけの時間があった。
だが、この時代だけで復活した神は幾人になるだろう。
オリンポスの神々全てが再臨しようとしているかのようだった。
だが、同時に激変もある。
ディグニティーヒル、ポセイドン神殿、そしてついには冥界までもが滅び去った。
神話の時代から在り続けた神々の残せし物が一つ一つ滅び去っていく。
地上が、神から人間の手へと移り変わっていくただ中にいる……、
冥界が滅び去ったということを聞かされたときに、まさにそう思ったものだ。
『最終聖戦の時代、と僕らは呼んでいる』
しばらく応答しなかったので、シェインは話を続けてきた。
『神々の構図が変わる。
人も神も戦いに巻き込まれていく。
かつて無い変化が地上も天界も、全てを巻き込んでいくだろう。
そして、最後に地上に立っているのは……僕たちだ』
シェインがそう告げると共に、サーバーの複数が警報を発した。
攻撃に転じてきた!
動きが予想以上に速く、キーボードからでは防御しきれない。
危険性は覚悟で神経パルスを直結させた。
麻森研究所が開発した、思考で直接演算機を制御するシステムである。
一気に処理を加速させ、処理を同期で走らせて対応に当たる一方で、シェインの居場所にかぶせられたヴェールをいきなり二つ突破する。
『やるね!』
『お前もパルスシステムを使っているな!』
本来はマリンクロスのために開発されたこのシステムは、特許が世に公開されて間もない。
技術が解ってもそうそう製品化できる代物ではないので、グラード財団以外で実用化しているところはまだないはずだった。
その認識も改めねばならないようだ。
『使っているけどそれだけじゃない。
全天で最も長いエリダヌス座。
それを守護星座とする僕は、どこへでも流れていくことが出来るんだ!』
会話以上の速度で思考が伝達されて来るとともに、通信波の感覚が変わった。
通信回線に乗せて、小宇宙が来る!
『受けてみなよ!エリダヌス・ストリーム・Type/Thunder!!』
攻撃プログラムと同時にシェインの小宇宙が襲いかかってきた。
圧縮された大音響のデータと共に炸裂する雷のイメージ。
『このマリンクロスの潮を甘く見るなよ!!』
小宇宙を持たない自分だが、血のにじむような特訓で小宇宙を感じることは出来るようになっていた。
それがなおのこと今は口惜しいが、泣き言を言っていられる場合ではない。
俺たち鋼鉄聖闘士は機械の聖闘士。
青銅から更に堕落したと神々が言うであろう鉄を名に冠している……だが!
「邪武たちにも、星矢たちにも、黄金聖闘士にも出来ないことが出来る!
それが俺たちの、アテナの聖闘士としての役目だ!」
思わず溢れ出た声の叫びと同時に思考を叩きつけるとともに、一瞬で両腕に新生マリンクロスを装備する。
現代最高の技術を持って作られたサーバーと兼用する彼の拳。
『展開!タイダルウエイブ!』
シェインの攻撃に対して壁……いや、大洋の大波のようにそのこと如くを受けとめる。
新生マリンクロスと併用して初めて可能になる防御手段だった。
エリダヌス・ストリームの全てが飲み込まれ、霧散する。
『……予想以上だよ。すごいや』
感覚と共に、備え付けのスピーカーからも声が出てきた。
また、ディスプレイがブラックアウトしたかと思うと、そこに人の顔がおぼろげに浮かび上がる。
『それがお前の姿か、ストリーマー』
赤とオレンジの中間のような明るい色の髪が綺麗にまとめられており、瞳は逆に漆黒。
星矢や瞬よりも更に若い、美少年と呼ぶしかない顔がそこにはあった。
意外と言えばそうだが、これまでの発言の仕方から考えて納得出来なくはない。
それに、その映像を作っている様子もなかった。
その映像と共に小宇宙が間近に感じられる。
ディスプレイもビデオボードもおまけのようにしか作用していない。
シェインの意識の一部がここまで来ているのだ。
『アクシアスたちにはグラード財団の全機能を止めてやると約束しちゃったんだけど、みんなには謝らないといけなくなりそうだね。
そう簡単にさせてくれないってことがよく解ったよ』
シェインは不可能とは言わなかった。
先ほどの必殺技もType某と言うからには、まだ切札を残しているのだろう。
だがそれはこちらも同じことだった。
『神話から最も離れた者同士、次もよろしくね』
考えてみれば確かに奇妙な話だ。
オリンポスの話がどうとか言う会話をしながら、電脳空間で激突するなどと。
だが星矢たちが聖域やアスガルドに乗り込むにも、徒歩ではなく飛行機を用いて時間短縮したような時代である。
振り返れば銀河戦争において使われた聖闘士の攻撃力を数値化するシステムもそうだが、城戸光政翁の先見の明はさすがグラード財団の総帥と呼ばれるものだったと言うことなのだろう。
近代科学の力では神々とは戦えない。
だが、それを取り巻く敵を払い、聖闘士たちを助けることは出来る。
星矢たちが黄金聖闘士たちとの戦いに出向いてから常につきまとっていた劣等感が、ほんの少しだけ、薄らいでいた。
『よろしく、とは言えんが、次も相手をしてやる。
グラード財団もアテナも、そう簡単にお前たちの意のままになどならんということをよく憶えておけ』
『うん。それじゃあまた』
その言葉を最後に、シェインの小宇宙はフッと消えた。
これまでの会話の間にアクセスの発信源はアメリカにある大学の一つだとまで絞り込んでいたが、そこへはヨーロッパの衛星電話回線を使って接続されていた。
発信源の特定はほぼ不可能だった。
潮はひとまずシェインとの会話記録を保存して、邪武のところへと向かった。
「星闘士、スタイン……」
潮の報告を聞き終わり、那智がうめくようにつぶやいた。
会議室に揃っているのは、狼星座の那智、子獅子座の蛮、巨嘴鳥座スカイクロスの翔、小狐座ランドクロスの大地、アンドロメダ座の瞬、鋼鉄聖闘士の生みの親である麻森博士、剣道三段辰巳徳丸、そして潮だった。
現在の総まとめ役である邪武の顔は、スクリーンの右上四分の一に映っている。
沙織の護衛を解くことをよしとしなかった彼は、自分の携帯端末を邸内ネットワークに繋げて会議に参加していた。
今東京に残っている聖闘士が全員結集していることになる。
「そのストリーマーっていうハッカーが彼ら暗黒聖闘士を騙った、ってことはないのかい?」
「奴は……シェインは、確かに小宇宙を放っていた。
それに邪武が戦ったアクシアスとかいう奴の名前も知っていた。
バイコーンのアクシアスの名はまだデータベースに登録する前だったから、どこかをハッキングして突き止められる物じゃない」
瞬の疑問は潮も真っ先に疑ったことである。
だが状況を調べると、どうやらシェインの言動には間違いも嘘もないと思われた。
『それに、そのシェインの言うとおり、暗黒聖闘士と一まとめにするには問題のあるデータもあるんだ。
麻森博士、報告をお願いする』
画面から邪武の声に呼ばれて、麻森博士が立ち上がった。
鋼鉄聖闘士開発の後も、特に材料工学と生体工学では第一線の研究成果を出し続けている彼である。
その報告が学術的なものであるのは間違いないので、蛮はこっそりとうめいた。
史学以外は大の苦手なのである。
そもそも彼ら百人の孤児たちは正当な教育を受けていない。
聖闘士としての修行地で教わったことと、帰国後に自分で勉強したことが全てであった。
博識である黄金聖闘士の師についた紫龍や氷河ならともかく、中でも蛮や檄はこう言うことが苦手であった。
グラード財団のまとめ役を出来るまで必死で勉強した邪武はかなり例外である。
「まず、かつて回収した暗黒聖衣の原材料を分析した結果がこれだ。
こちらの青銅聖衣と比べると、星砂粉が特に少なくなっていることが最大の特徴だと言えるだろう。
また、通常金属が混ざっていることも上げられる」
聖衣は、オリハルコン、ガマニオン、星砂粉(スターダストサンド)を主原料として造られている。
いずれも神話の時代の物質であり、直接原子を砕くことが出来る聖闘士の攻撃力を以てしても容易には破壊されない。
青銅、白銀、黄金、コロナの各聖衣は、各々微妙にその材料比が違うのではないかと考えられているが、現物を比較できたのは青銅と白銀だけなので、実のところは不明である。
まして、黄金聖衣やコロナの聖衣の防御力は、明らかに物質の限界を超えているのだ。
「一方、これが邪武が砕き落としてくれたおかげで採取できた今の敵の鎧の分析結果だが」
表示されると皆考え込んでしまった。
「……ほぼ、同じだな」
「うん」
見たところ、暗黒聖衣の材料比と大体一致する。
あえて挙げるとすれば通常金属の割合が青銅聖衣よりも低くなっていることくらいで、
あとの微妙な数字の違いは、円グラフで見てみればほぼ区別が付きそうにないものであった。
「そう思うだろうが、では、これと比較してならばみんなどう思うかな」
麻森がキーを押すと、さらにもう一つの円グラフが表示された。
こちらは、自称星闘士たちの鎧と細かい数字がほとんど一致している。
せいぜい小数点の違いしかなかった。
「麻森博士、このデータは一体なんなんだ……?」
当然の様にわいてくる疑問を那智がぶつける。
「これは先の戦いで聖域に残されていた、蟹座と魚座の冥衣……サープリスの材料比だ」
『!!!!』
「というわけで、失敗しちゃったよ」
「……アクシアスほど殊勝になれとは言わんが、もう少し反省の弁は無いのか」
裁判所を思わせる造りをした部屋で、シェインは五対の目に見下ろされていた。
とはいえ、シェインは特に萎縮した様子はない。
呆れたようにつぶやいたのは、アクシアスやクライシュを率いてグラード財団への強襲部隊の指揮を執った声だった。
その男が纏っている鎧は、色と光沢を除けば蠍座の黄金聖衣と完全に一致する。
あとの四人が纏っている鎧も、それぞれが牡牛座、獅子座、天秤座、射手座の黄金聖衣と同じ形をしていた。
「無いね。彼らは強いよ。
ユリウスは間近で彼らの小宇宙を体験したはずだろ。
ならば納得してもいいんじゃないか。
黄金聖闘士が全滅したとは言え、彼らを甘く見ることは出来ない。
現にエリスもアベルも、アスガルドの神闘士も、果ては海闘士七将軍ですらも、実際に倒したのは黄金聖闘士ではなく、彼ら青銅聖闘士だということを忘れない方がいいよ」
「言ってくれる。
だがお前が敗退した相手は青銅聖闘士ですらない。
その言い訳にはならんぞ」
「わかんないかなあ。
アテナの聖闘士全てが侮れないってことだよ」
きゃらきゃらと笑うシェインに牡牛座の星闘士が額に血管を浮かべそうになったが、
「まあいいんじゃないかな。
どうせ僕たちもシェインという人材を厳罰に処することは出来ないんだから。
今後の活動を期待すると言うことでいいと思う」
「フン……」
射手座の星闘士がやんわりと止めたので、牡牛座の星闘士は面白くなさそうに鼻をならして座り直した。
「陛下が動きがとれん今、やむを得まい。
まずはアテナたちより先に、残り三つの封印を解く方に力を注ぐとしようではないか」
「そういえば陛下はどこ?
久々の呼び出しで会えるかと思っていたんだけど」
「……地中海カノン島だ。
言っておくが、奴らに陛下のことまで漏らしてはいないだろうな」
「ふうん、アレクサーってそんなに強かったんだ。
大丈夫大丈夫、それじゃあね」
まるで反省した様子が見えないまま、シェインは意味ありげな笑いを浮かべて部屋を出ていった。
「やれやれ……」
蠍座の星闘士……ユリウスはため息と共に仲間の四人を見渡した。
細身だが長身で、立ち上がると牡牛座の星闘士に次ぐ身長がある。
長い金髪が黒い鎧によく映えた。
「シェインの言うこともあながち間違ってはいないようだが」
「確かに、完治されるまでにはまだ時間がかかりそうではあった。
今は我々が出来ることを先にすべきだろう」
「では次は俺が行く。いいな」
牡牛座の星闘士が威風堂々と立ち上がる。
武士を思わせる風貌に巨躯は見事なくらいに合っていた。
「頼むぞ、アテナの聖闘士に聖衣が復活する前にな」
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