我らの青春に立ちはだかった
偉大な魔王たちに

ドラゴンクエストモンスターズに関する考察


はじめに

 これは、ゲームボーイソフト、ドラゴンクエストモンスターズ(以下DQM)に関する感想文です。
 しかし、著者は、このゲームをやっていません。
 あくまで、傍観者である著者が、かつてドラクエに青春をかけていた者として思った、雑文です。
 それによる、意見の偏り等が随所に現れています。
 自分は温厚で、駄文を読んでも怒ったりしないぞ、という自信のある方だけ、お読みください。


真実ならざる事実に

 なのだそうである。
 何かというと、DQMにおいて、ボス系モンスターを配合で作るためにこうするらしい。
 ファ○通でもジャ○プでもこんなことを書いてあったので、おおむねこの通りなんだろう。
 DQMでは、様々なモンスターを、モンスター同士の配合で作ることが出来る。
 アンドレアル、デュラン、バルザック、キングレオ、神竜といった、各作品の中ボスクラスもひょこひょこ姿を見かけてしまう。

 まず、ゲームとしてのDQMは、やってみたくてしょうがないゲームである。
 過去のドラクエの思い出のシーンに入り込んで、そのイベントを体験できるというだけで、ファミコン版をやり込んだ世代としては楽しくてしょうがない。
 個人的には、1のゴーレムやドラゴンと話が出来るのがすばらしいと思う。
 そして、クリア後のおまけ(もはやおまけとは言えないのではないかという議論はここでは置いておく)として、歴代魔王と戦うことが出きるそうな。
 これはこれで、実に懐かしい。
 最近の若いのは(苦笑)、「世界の半分をおまえにやろう」なんていわれても感慨がわかないんだろうなあ。
 ここまでは、過去のドラクエを楽しむという点で、ゲームの範囲としていいかもしれない。

 しかし、魔王が作れてしまうというのは、ゲームとしての完成度は高くなるだろうが、ドラクエの最新作としてみた場合、過去のドラクエの遺産を破壊する暴挙ではないだろうか。

 印象が薄かった5や6のボスはさておき、竜の女王の息子である竜王が作れてしまったり、元ルビスの大神官だったハーゴンがアンデッドとスライムから作れてしまったり、 破壊の神シドーがその辺の悪魔から作れてしまったり、大魔王ゾーマがそれより後の世代の者から作れてしまったり、
 まあ、あまりに悲しいことが多すぎるが、

 何が一番悲しいかって、悲劇の皇子デスピサロが、モンスターと同じ扱いになって作れてしまうのがとことん悲しい。

 確かに、直接関係のないファンサービスとして見てしまえばいいのだろう。
 しかし、仮にも魔王たちの名前を冠するに、そのキャラクター性を完膚無きまでに冒涜するようなこの配合はいかがなものだろうか。
 それは、ひいては、これまでの冒険の日々を、すべて否定するようなことにはならないだろうか・・・・・・・・。


 なお、DQMそのものは、実におもしろそうで、事実、おもしろいらしい。
 ついつい公式ガイドブックを買ってしまい、これは時間が出来たら是非やろう、と思ったくらいである。
 ただ、オールドドラクエファンとして、これに関連して言いたいことがいっぱいあるのだが、それはまた後日。



 駄文におつきあいいただき、ありがとうございました。


DragonQuestの世界に戻る。
夢織時代の扉に戻る。