1999年の日記です(Under Construction)

1999.1.12(火),13(水) 大阪から仙台に引越
1999.1.31(日)スノーボード初体験の悲惨な一日
1999.6.22(火)ルノワール展を観に行く
1999.8.6(金)〜8(日)仙台七夕祭り

1999.1.12(火),13(水) 大阪から仙台に引越

いよいよ大阪から仙台に引越す日が来た。遠方への引越なので12日の朝に来ても仙台に着くのは13日の午後になるという。2日がかりの引越である。
12日の朝9時に引越屋が来た。挨拶を済ませた後、苦労して荷造りした段ボール箱があっという間に積み込まれていく。次は家具の運搬、作業が完了するのは12時頃だった。
「ここに住んだのも1年ちょっとだったなあ」という言葉を残し、空家となった家の鍵を閉めた。その後は近所のファミリーレストランで昼食、自家用車は仙台空港まで運んでしまっていてこちらにはないので バスと電車で大阪から京都の実家へと向かう。今日はそこに泊まることにした。
次の朝飛行機で大阪から仙台へ、飛行機から降りるとやはり大阪よりはかなり寒い。仙台空港に置いていた自家用車に乗り新居へと向かう。幸い、引越屋よりも早く着くことが出来た。
1時頃引越屋が来た。まだ暖房がない家の中はとにかく寒い。家具の配置を指示した後、電気カーペットが運ばれるやいなやそれを広げてコンセントに差し込みその上に座り寒さをしのいでいた。荷物が全て運び込まれ、引っ越しが完了した後にエアコン取り付けの業者が来た、取り付けには思っている以上に時間が必要だった。外はだんだんと暗くなっていく。取り付けが終わった後にエアコンの室外気温の表示を見ると1℃であった。

#洗濯機は60Hzから50Hzへのサイクル交換のための部品取り替えが必要なようで、部品取り寄せ後取り替えとなるためしばらくは使えないというこどでした。部品が届き工事が完了するまで1週間ほどの間コインランドリーで洗濯をしていました。

1999.1.31(日)スノーボード初体験の悲惨な一日

東北はスキー場の多いところである。仙台市内にも泉ヶ岳スキー場、泉高原スプリングバレースキー場があり、私の家からだと車で30分位で行くことが出来る。そこで、今年からスノーボードを始めることにした。先週の日曜日にスポーツ店巡りをして、ウエア、ボード、ブーツなどを買い、準備は万端である。午前中に自家用車のタイヤをスタッドレスに交換し、12時頃に泉高原スプリングバレースキー場へと向かった。
とにかく私はスキーのほうは経験あるが、スノーボードは全くの初心者である。そこでスキー場に着いてすぐにスキー場で開かれているスノーボードのスクールへの申し込みをしたが、もう定員とのことで入ることは出来なかった。リフト券はもう買ってしまっていたので、とにかく一番傾斜の緩い坂を見つけて、そこで滑ることにした。リフトでその坂の上へと向かう。そして初めて下まで滑り降りたのだが1時間もかかってしまった。スノーボードでのリフトの乗り降りは特に降りるときが難しく、その度に転んでリフトを止めてしまっていた。何度かリフトに乗って滑ったがうまく滑れず、次回はスクールに入ることを決意した。
もう帰ることにしてスノーボードを抱えて車に戻ると、何と車のキーがない!!車のキーが入ったポケットはファスナーが開いていたので、そこから落ちてしまったようである。歩きにくいのでせめてブーツだけははきかえたかったが、靴も車の中であるので取ることは出来ない。車のキーは届いていないかと思ってスキー場の落とし物のコーナーへ行ったが、届いていないようである。とにかくこのスキー場からの最終バスが夕方5時前ということなので重いスノーボードをかかえ、歩きにくいブーツをはいてそのバスに乗ることにした。バスで1時間かかって地下鉄泉中央駅に、そこから家の近くに向かうバスの時刻表を見るともう今日はバスは無いようなのでタクシーで帰ることにした。

#その後は家にあったスペアキーを使って2日後に車をスキー場まで取りに行きました。車のキーはは親切な方が拾ってくれて、1ヶ月後に見つかりました。スノーボードはこの後2回、同じ泉高原スプリングバレースキー場へ行きました。

1999.6.22(火)ルノワール展を観に行く

今日は仙台市内にある宮城県美術館へとルノワール展を見に行くことにした。今回のルノワール展は東北初の開催ということで、実現するために企画マンが5年もかけたということである。
私がルノワールを好きになったのは中学校の美術の時間に教科書に載っていた「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」という絵画を観てからである。この絵画は元大昭和製紙の故斉藤了英氏によって絵画史上2位(119億円)で落札されたらしいが、現在はもう海外に流出しているということである。
私は中学校の美術の時間でルノワールを好きになって以来、1989年の2月頃に奈良県立美術館で開催されたルノワール展を見に行ったのだが、そのことは今でも記憶に残っていて、展示されていた絵画の図録も持っている。私のホームページの「好きな絵画」のコーナーに、ルノワールの「うちわを持つ少女」「鷹と少女」と載せているが、これらはその時に観た絵画である。
話は戻るが、このことは後で知ったことなのだが、今日は午前中に入場者5万人を突破したらしく、5万人目の人はルノワールの「野の花を持つ少女」の複製画をプレゼントされたということである。報道陣も集まっていたそうだが、何も知らなかった私は残念ながら午後に見に行き、その頃にはもう報道陣は来ていなかった。しかし、平日にも関わらず人は多かった。
初めて宮城県美術館に来る私は、まず常設展から観ることにした。常設展を見終わった後、ルノワール展のほうに足を運ぶと「アンリオ夫人」の前には人だかりが出来ている。水色・灰色・白の具合が何とも言えず綺麗な絵画である。展示されている絵画によってはその技法の解説が付いていて、興味深く観賞が出来た。
私が展示されていたなかで特に気に入った絵画は「アンリオ夫人」「野の花を持つ少女」「花咲く栗の木」であった。帰りにその感動を持ち帰ろうと思い、図録と絵ハガキを買った。その後美術館の中にある仙台プラザホテル直営レストラン「Salix(サリックス)」で観賞の余韻に浸りながらケーキセットを頂き、帰途についた。

1999.8.6(金)〜8(日)仙台七夕祭り

仙台に来てから楽しみにしていた七夕祭りの日がやってきた。
今年は5月11日に仙台市の人口が100万人を突破したこともあり、いつもより更に増しての盛り上がりである。また、今年は開催日がちょうど土曜日、日曜日にかかっている。七夕祭りの人出は昨年を20万9000人上回る234万4000人だったらしい。前夜祭として5日に1万2000発もの花火が打ち上げられる七夕花火祭が仙台西公園で行われたがそれは残念ながら見ることができなかった。
6日は昼頃に中心部商店街のメインストリートに飾られた七夕飾り(和紙で出来た色とりどりの吹き流しや、くす玉、細工が施された竹飾り)の下をくぐり、楽しんでいた。七夕祭りには雨が降るというジンクスがあるようだが、今年はいい天気で、日中は30℃を超えていた。
人出が多くなる午後からは泉パークタウンの仙台ロイヤルパークホテルにケーキパレットを頂きに行っていた。その後町中に戻ってきて定禅寺通りを渡ろうとするが七夕パレードが行われていて渡れない。「99 七夕・レトロ・20世紀」というテーマのパレードであり、明治、大正期の歌や踊りが披露されている。開演時間は午後5時から7時までとのことだがちょうどその時間にかかってしまったようだ。
パレードの切れ目まで歩き、定禅寺通りを渡る。時間はもう6時。今日はそろそろ家に帰ることにした。
7日、もう一度七夕祭りを見ることにした。昨日見た七夕飾りに「金賞」「佳作」などの賞がつけられている。七夕飾りを楽しんだ後に、7ヶ月半と短いながらも仙台生活を満喫した記念にさとう宗幸さんの「青葉城恋唄」のCDを買った。
地元のテレビ局「ミヤギテレビ」では、午後5時から午後7時まで、さとう宗幸さんが司会している「OH!バンデス」というローカル番組がある。料理のコーナーでのさとう宗幸さんの手さばきはなかなかのものである。
7月28日(水)にはこの番組でさとう宗幸さんがギターを弾きながら「青葉城恋唄」を歌っていた。もう20年前にヒットした曲であるが子供の頃に聴いて歌詞は覚えており、この曲の世界が仙台にきて実在することを知り感動したものであった。このCDと七夕飾りが描かれた玉虫塗りの小物入れを記念品として私は仙台を離れることとなる。