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 公開日 :2001年 1月 8日
 

ガイアックス がいあっくす

 


平成10年、ガイアエナジー社というベンチャー企業が、アルコールを主成分とする「ガソリン代替燃料『ガイアックス』の商品化に成功。この燃料をめぐっては、最近いろいろと話題がありますので、ご存じの方も多いと思います。その成分やそれにまつわる不具合等の情報について、私には判断能力がございませんものの、これに関していくつか興味深い情報があったので、まとめることにいたしました。


【ガソリンエンジンの歴史】

「自由市場」は常に何よりも優れて良いものだけを選択し淘汰する場所ではない。

このことは最近では、既に良く知られていることではありますが、ガソリンエンジンの車にも、このことは言えるのです。

おそらくは皆様のなかにはご存じの方もいらっしゃるかもしれませんけれど、その歴史性とあいまって興味深いものがございますので、主にアメリカでの出来事を紹介した著書の内容をまとめてご紹介したいと思います。



M・ミッチェル・ワールドロップ著(1992年)、田中三彦・遠山峻征訳『複雑系--科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち--』(新潮社、1999年)63頁 [ 文庫本。ハードカバーは、同社1996年出版] より。

注:抜粋をしたものを、読みやすくなるように、かなり補足の文章を足しています。万一この内容を正確に引用する場合は、原書または訳書にあたってください。



自動車産業がまだ草創期にあった1890年代ころ、ガソリンはもっとも将来性のない動力源とみなされていたのである。むしろ、その第1のライバルであった蒸気の方がよく発達し、親しまれ、安全だったのである。ガソリンは、高価で、爆発の危険があり、適正な品質で手にすることが難しく、複雑な部品を組み込んだ新しい種類のエンジンを必要としただけでなく、本質的に燃料効率が悪かったのである。

もし情況が異なり、ガソリン・エンジンに惜しみなく注がれた90年間の開発努力と同じものが蒸気機関に注がれていたら、いまごろわれわれは大気汚染がずっと少ない、そして外国の石油にあまり依存しない生活を送っていたかもしれない。

しかし、ガソリンが、蒸気に勝利したのである。その理由は、上記からは導き出されるものではなかったのである。それは、一連の歴史的偶然による。

たとえば、1895年、シカゴの『タイムズ・ヘラルド』がスポンサーになっておこなわれた馬抜き乗り物競争で、ガソリン動力のデュリエイが勝ったのである。このレースに出走した6台のうち完走したたった2台のあいだの勝敗ではあったものの、おそらくこのことが、ガソリンエンジンの普及の励みになったのだろう。

ランサー・オールズは1896年にガソリン・エンジンの特許を取り、ついで「カーヴド・ダッシュ・オールズ」でそれを大量生産した。これによりガソリン動力は、出だしの遅れを克服することができたのである。

ついで1914年、北アメリカで家畜の口蹄病が勃発し、馬用の水桶が使われなくなったことも、情況を後押ししたようである。

水桶場は蒸気動力車が水を補給することのできる唯一の場所である。そのころにはもうすでに、スタンリー・ブラザーズ(スタンリー蒸気機関のメーカー)が覆水機とボイラーのシステムを考案し、3、40マイルごとにいちいち水を補給する必要はなくなっていたものの、時すでに遅しだったのである。

このようにして、安全性でも優位にあった蒸気動力車はガソリンエンジン車との競争に敗れ、けっして再生することはなかったのである。ガソリン動力がたちまちロック・イン(固定)されることになったのである。


 


【ガイアックス税務訴訟】

鳥飼総合法律事務所(東京)がこの案件に携わっておられます。
その内容と現状(★現在リンク切れ)を、「税務訴訟のページ」で見ることができます。この訴訟の要点(★現在リンク切れ)と問題(★現在リンク切れ)について書かれているところを拝見いたしますと、

課税庁は、現行法によっては「ガイアックス」に課税できないにもかかわらず、既存業界の圧力に負けて、揮発油税の課税対象となるか否かという問題を検討することなく「燃料炭化水素油」が成分のなかにあることにかこつけて、むりやり軽油引取税を持ち出して課税してきている、と考えられています。

こちらでは、
◆参考リンクとして、ガイアエネルギー・フォーラム も紹介されています。




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