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last update 02 December 1999


□犬の交通事故死につき財産的損害および慰藉料の請求を認容した事例

東京地裁昭和40・11・26判決。損害賠償事件、東京地裁昭和40(ワ)1788号、昭和40・11・26民二七判決、一部認容。

判時427号18頁。

《参照条文》 民法七〇九条・七一〇条

 

判 決

東京都大田区----番地

 原告          P

 右訴訟代理人弁護士   ------

東京都中央区----番地

 被告          d自動車交通株式会社

 右代表者取締役     D

 右訴訟代理人弁護士   ------

 右当事者間の損害賠償請求事件について次の通り判決する。

主 文

 被告は原告に対し金五〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和三九年四月五日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え

 原告のその余の請求は棄却する。

 訴訟費用はこれを二分し、その一を原告、その余を被告の負担とする。

 本判決は第一項に限りこれを仮に執行することができる。

事 実

 原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金二五〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和三九年四月五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、請求の原因として、

「一、昭和三九年四月四日午後七時四〇分頃、東京都大田区--番地路上において、被告の被用者Aが業務上運転する被告所有の自動車(タクシー。以下「被告車」という)と、原告の被用者Bが連行していた原告所有の畜犬(ダックスフント)一頭とが接触し、右畜犬は即死した。

 二、右事故の現場は歩車道の区別なく、交通がひんぱんなのであるから、自動車の運転者は十分に注意して徐行する義務があるのに、A運転手はこれを怠った過失により前記事故を生ぜしめたものである。

 三、本件に関し原告は被告に対し再三に渡り損害賠償善処方を申入れ、これに対し被告は責任を感じ誠意を示す旨表明したが、当事者間では結局らちがあかなかったので原告から調停の申立をしたところ、被告は意外にも責任そのものを否認し、調停は不調に終わった。

 四、前記畜犬は原告が鍾愛していた名犬で、その時価は二〇〇、〇〇〇万円[ママ]を下らない。またその死亡による原告の悲しみはその後の被告側の非情な態度によって倍加され、これを金銭に評価した慰藉料学は五〇、〇〇〇円を下らないものである。

 五、よって被告に対し、右損害合計金二五〇、〇〇〇円およびこれに対する不法行為の翌日たる昭和三九年四月五日から完済に至るまで民法所定の遅延損害金の支払いを求める。」

と述べ、被告の過失相殺の主張を否認した。

 被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、次のとおり述べた。

 「被告の被用者Aが業務上運転中の被告車が原告主張の日時に、同主張の場所を通過したこと、原告が本件に関し調停を申立てたが不調に終わったことは認めるが、その余の請求原因は否認する。本訴請求は全く理由のない言いがかりである。かりに被告に責任ありとしても、犬を連れていたBに過失があったから過失相殺を主張する。なお、犬すなわち一種の動産の滅失に関する所有者の慰藉料請求は失当である。」

 証拠《略》

理 由

 一、原告主張の日時に、同主張の場所を被告の被用者Aが業務上運転する被告車(タクシー)が通過したことは当事者間に争いがない。

 次に《証拠略》によると、右日時場所において原告の被用者Bは、散歩に連れ出した原告所有の畜犬(ダックスフント)アクター号の綱を手にして立っていたところ、東側から進行して来た一台のタクシーが右畜犬の頭部に接触し、これをえ即死させたこと、この事故でBらが大声をあげたので右タクシーは徐行して、これを追って行った若い通行人が停車した同車の窓を叩いたが、その運転手は一度振りむいただけでそのまま走り去ったこと、そこで右通行人は同車のナンバーをひかえてBに渡し、これを原告が警察に通報した結果翌日被告車のA運転手が警察の取調を受けたことが認められ、事故当時右通行人らが加害者を誤認したことを疑わせるような証拠は何もない。

 右事実と前記争いのない事実を綜合すれば、本件事故の加害車は被告車であると認めるのが相当である。被告車のA運転手は証人として、犬と接触したおぼえはない、現場附近で徐行し、何人かに窓ガラスを叩かれたことはあるが、それは対向車とすれちがう時に接近しすぎたため相手が怒ったのだと思ったと供述するけれども、右証言内容それ自体不自然であるばかりでなく、前掲証拠に対比するとにわかに採用することができない。もっともC証人の証言中にも一部不自然な箇所がないではないが、その大筋においては他の証拠とも符合するし、かりにB証人の証言のみを採るとしても優に被告車が加害車であることを認定できると言うべきである。

 二、次に過失の問題について判断する。

 (1)  証人Bの証言によれば、本件事故現場は国電E駅に近く、歩車道の区別のない交通ひんぱんな道路であって、両側に商店街等がつづき、現場附近の道幅は約一三メートルあるが、事故直前の状況は、Bが犬の首につながれた約五〇センチの短い綱を右手に持ち、この手を右股につけたまま、被告車の進行方向に向かって左側にある店舗の軒下から約一メートル道路中央寄りの地点に立ち止まり、横断しようとして道路の向う側を見ていたがまだ横断を開始してはいなかった(犬は同女の足もとからさらに約五〇センチ道路中央に寄ったあたりにいた)ところ、突然右側から進行してきた被告車が犬と接触し、その啼声に驚いたBが綱を引いたが間に合わなかったことが認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。

  (2) 一般に道路上の犬に対して、歩行中の人(特に子供)に対する程に高度の注意を払う義務を自動車運転者に負わせることはできない。しかし犬だからといってみだりに生命を奪ってよいという理はないし、ことに人の所有する畜犬は、法律上財産権の客体として、これに危害を加えないようにする一般的な注意義務があるのは当然であり、ただ後述するように、犬の安全を確保すべき主たる責任は通常はその犬の保管者の側が負うという特殊性があるにすぎないと解すべきである。

 本件においては、事故当時被告車の前方に特に見とおしの障害となるものはなかったのであり、夜間とはいえ午後八時前の繁華街のことであるから、もしA運転手が前方を十分注視していればBが前記のような姿勢で犬を連れて立っていることを発見できたはずである。従って、同運転手が自ら証言するように全然犬に気づかなかったとすればその点において既に過失があるというべきであるし、またかりに同運転手が犬の姿に気付いていたのであれば、少なくとも警笛を鳴らして人と犬に注意を与え、必要に応じ適宜減速しあるいはハンドルを右に切る等、事故を防止する措置をとるべきであったのに、同運転手はこれらのいずれかを怠った過失により本件事故を生ぜしめたと推認せざるを得ない(犬が予想外の形でとび出したというような事情は存しない)。従って被告は、その被用者Aが事業の執行について右過失により原告に加えた損害を賠償する義務がある。

 (3)  しかし他方、飼育動物の特殊性と現今の交通事情をも考慮すれば、一般に畜犬特に犬のように平常屋内で愛玩の用に供されている小型の高級犬を飼育し散歩させる者は、できるかぎり車輌の交通の少ない安全な場所と時間を選んで散歩させるべきであり、もしやむなく本件事故現場のような歩車道の区別のない交通ひんぱんな道路を通行する場合には、犬と車輌の接触の危険を避けるため終始細心の注意を払うべきである。その意味で、この種の犬を道路における危険から守るための主たる注意義務者はむしろ犬の同行者ないし保管者であるということもできるであろう。

 本件についてみるに、夜間、右のような道路に高価な犬を散歩に連れ出したこと自体が原告の被用者Bないしこれを同人に命じた原告の過失であるばかりでなく、前認定の事実によれば、Bは事故当時右方から来る車輌に対する注意を怠り、漫然と道端に立っていたため犬を事故から救い得なかったことが明らかである。かかる被害者側の重大な過失は、被告主張のとおり損害額の算定にあたって斟酌すべきものである。

 三、よって損害額について判断する。

 (1) 《証拠略》によれば、本件の犬は原告が昭和三八年八月に六五、〇〇〇円で購入したものであるが、その後展覧会においてチャンピオン賞を獲得した結果、これを種雄に用いれば相当多額の交配料を得ることもできるようになり、このため事故当時の時価は一〇〇、〇〇〇円程度はあったことが認められる。しかし前記被害者側の過失を考慮すれば、原告は右時価の三割、すなわち金三〇、〇〇〇円の限度で被告に賠償を求め得るに止まるとするのが相当である。

 (2) 原告本人尋問の結果によれば、本件の犬はよく原告になつき、原告もこれを可愛がって夜もいっしょに寝ていたくらいであり、その死亡によって原告が精神的苦痛を受けたことを推認できる。さらに、被告が本件損害賠償請求に関し、A運転手の報告を楯に取って事故そのものを否認し、本訴訟においても終始原告の請求を理由なき言いがかりであると主張していること、このため原告の被害感情は一層刺激され、財産的損害の賠償のみをもっては到底これを鎮静するに由ないものであることは本訴の経過自体に徴して明白である。すくなくとも右のような事情のもとにおいては、愛玩用動物の喪失による飼主の精神的苦痛は慰藉料請求の基礎たり得るものと解すべく、これに反する被告の主張は採用できない。そして本件における一切の事情を考え合わせると、原告の受くべき慰藉料の額は金二〇、〇〇〇円をもって相当とする。

 四、よって原告の請求は右合計五〇、〇〇〇円およびこれに対する本件不法行為の翌日たる昭和三九年四月五日以降支払い済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴九二条、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して主文の通り判決する。

東京地方裁判所民事二七部

裁判官  楠 本 安 雄

 


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