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■関連文献(著者名あいうえお順→出版年順)日本語著作

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◆太田竜著『家畜制度全廃論序説--動物と人間は兄弟だった』新泉社、1985年。ISBN1338-1055-3299、1800円。

本著の主張は以下の通りである。

道具を組織的に作り、他の動物に対し強力な破壊力を持つようようになった人間。その人間が創った自然の生態系とは別の文化が、今まで自然が作り出してきた調和のシステムを破壊する存在となっている(23頁)。人間が長い歴史の中で自然・動物と戦い、支配することにより作りあげた国家は、自然生態系破壊の権力である。

国家と階級の廃絶の原点は、家畜制度の全廃である(241-5,249頁)。

→同著者による他の著作
『アイヌ革命論』新泉社(1973)、共著『自然観の革命』現代書館(1980)、『声なき犠牲者たち--動物実験全廃へ向けて』現代書館(1986)


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◆斎藤令介著『動物と暮らす--父と息子の教科書』集英社文庫、1996年。ISBN4-08-748484-X、520円。

狩猟家という立場から、動物との共存についての考えを明らかにしている。

「野生動物達たちは、決して人間を友達と思っていないし、人間が友達になりたいと思っても、迷惑がかかるだけ」であり、「‥観光のために、野生動物や鳥に餌を与えて、餌のないところから移動することを人為的にストップさせる自然保護」(74-5頁)のあり方には問題がある、と苦言を呈する。

かつて火山噴火をおこした三宅島で、野鳥の餌場を再現したのは、愛鳥家ではなく狩猟家であったことも指摘している(145頁)。解説は、カヌーイストの野田知祐氏による。



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◆野上ふさ子『動物実験を考える--医学にもエコロジーを』三一新書、1993年。ISBN4-380-93004-1、¥850。

著者は、科学・医療の名のもとに行われている「生命に対する暴力」という一貫した視点から、日本における動物実験の状況とその問題点を明らかにしている。

著者によって明らかにされる事実で、今ではよく知られるようになったことの一つに、実験動物の要件の一つが「人間よく慣れていること」であるため、元飼い猫・飼い犬が動物実験に適している(13)ということが挙げられるであろう。

また、本来医療とは病に苦しむ患者を救うためのものであるはずなのに、動物実験を繰り返すことにより他者に対する同情心が欠如し残酷さに慣れていく訓練がなされてしまっているのではないかとの疑問(79頁)には、耳を傾けるべき点があるように思われる。

人間を管理・操作する対象とみる現代科学の克服を提言し、そのために、わたしたちが身近な範囲でもできることは何か、を章ごとに提案している。



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◆平澤正夫著『消えゆく野生と自然--動物たちに何が起きているか』三一書房、1985年。ISBN4-380-85212-1、2100円(本体価格)。


野生動物の天敵は人間である。勝手に地球上の主人公であることが当然のことと思っている人間によって、野生動物がいかに過酷な状況に追いやられてしまっているか。このような問題提起から日本の現状を提示する。

岐阜県におけるカモシカ被害の補償請求事件(1980年)との関わりで(83-93頁)、今や専業ではなくなり、野生動物や林業に対する知識が少なくなっている日曜林業家の方策・対応のまずさを指摘する(107頁)。この点は、他の農作物被害の問題でも考えるべき視点だろう。

本著は、1980年以降、雑誌『アニマ』に発表されたルポの再録(307頁)。

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◆平澤正夫著『汚染された自然保護--日本野鳥の会を検証する』三一新書、1992年。ISBN4-380-92007-0、850円。

著者は、いまや日本最大の自然保護団体となっている「日本野鳥の会」を以下の四つの原則に従って検証する。

(1)人間よりも自然優先(2)think globally, act locally(地球規模で考え、身近な地域問題に取り組む[長尾訳])(3)企業と行政に近づかない(4)自然保護を生活の手段にしない。

これらからすると、現在の野鳥の会は、自然保護団体ではなく、総会屋よりもたちの悪い「環境屋」である、という(234頁)。

(1)野鳥の活動を調査する--ツルの飛行ルート調査--こと自体を利益活動にしており、野鳥を人間の利益を生む手段として利用している(第一章)

(2)地元で活動している保護団体との軋轢が少なくない(第三章・第六章)

(3)行政に委託されるアセスを行うことにより、行政体質がしみこみ、同化してしまっている(第二章)。そればかりか、汚染企業を特別会員としている(第四章)

(4)設立当初の野鳥の会の理念たる「科学と宗教の媒介のシンボルとしての鳥」の保護を失っている。

(4)を詳しくみると、次のようになる。設立者中西悟堂は、自然そのままにいる鳥を見ることにより精神的慰藉を受けるだけの風習をつくりあげ、自然尊重の文化をもつ文明を作り上げ、より豊かな人間性を作り上げるという理想を掲げていた(146-150頁)。

現在ではそのような理想を失い、利益を追求する活動を行う(本部職員)だけでなく、その利益活動を自然保護として美化(ボランティアなどを利用)する二重構造をとっている(第六章・第七章)のである。

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◆平澤正夫『動物に何が起きているか--衝撃の経済動物』三一新書、1996年。ISBN4-380-96006-4、850円。

現在、動物を搾取するという人間の生きざまに対して何らかの不安を感じざるを得ない状況--狂牛病など--が生じている。

これについて、著者は、人間以外の生命への無関心が、動物の実像を人間から切り離す経済の壁から生じているのではないか、と考える。この観点から、日本の経済動物--鶏・豚・乳牛・サケ・ペット・実験動物・象牙・野鳥--状況を見る。

動物の権利や自然訴訟についても簡単にまとめてある(第九章)。

 

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