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last update 28 November 1999


□飼犬の暴行と飼主の損害賠償義務

横浜地裁昭和三一年(ワ)第八〇三号、昭和33・5・20言渡。下民集9・5・864、判タ80・85。

 

判 決

横浜市中区--町--C(日本における最後の住所)

 原告    P1

同所(同)

 原告    P2

 右原告等両名訴訟代理人弁護士  ------

同市同区同町--B

 被告    D1

同所

 被告    D2

 右被告等両名訴訟代理人弁護士  ------

 右当事者間の昭和昭和三一年(ワ)第八〇三号損害賠償請求事件について当裁判所は次のとおり判決する。

主 文

 被告D1は原告P2に対し、金十万円及びこれに対する昭和三十二年二月十五日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

 原告等のその余の請求はいずれもこれを棄却する。

 訴訟費用はこれを五分し、その一を被告D1その余を原告等両名の各負担とする。

 この判決は原告D1勝訴の部分に限り、同原告において金三万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事 実

 原告等訴訟代理人は「被告等は連帯して、原告P1に対し金二十七万円、原告D2に対し金百三万円及びそれぞれ右各金額に対する昭和三十二年二月十五日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として

「原告P1、その妻P2及び被告D1は米国人被告D1の妻D2は日本人で原告等夫妻と被告等夫妻はともに横浜市の米人特設区域内に居住し、隣人の関係にあったものであるところ、たまたま被告等の飼犬により左記のとおり原告等の飼犬が襲撃せられ、かつ原告P2が咬傷を受け、これがため原告等は左記のような精神的並びに物質的損害を蒙った。すなわち、

 (一)昭和三十一年五月四日被告等の飼犬は原告家の塀を跳び越えて邸内に侵入し、原告等の愛玩するダッチスハンド種の小犬を襲い、負傷せしめたので獣医による手当を必要とした。

 (二)同年同月十三日被告等の右飼犬は再び原告家の塀を乗り越えて邸内に侵入し、原告等の右飼犬を襲って重傷を負わせた。

 (三)同年同月二十一日午前七時三十分頃原告P2が被告家の附近の空地を散策中被告等の右飼犬は同原告の背後より突然襲いかかって同原告の左足首の上部に咬みつき、これがため同原告は多量の出血と激痛を伴い、陸軍診療所において応急措置を受けたが、その際伝染病毒ありとして破傷風の注射と手当とがなされた。しかも傷みは続き治癒に二カ月以上を要し、治癒後も深さ半インチの醜悪な青黒い傷痕を止め、物に触れたり、ブラシをかけたりするとなお疼傷を感ずる。

 以上の次第で、被告等は動物の占有者として、その飼犬が加えた前記(一)乃至(三)の損害につき原告等に対し賠償をなすべき責任がある。而してその賠償責任は次のとおりである。

 (1)原告等の被害飼犬は原告等の所有犬であるから右(一)、(二)による加害は原告等の所有権に対する侵害であり、右侵害に対する物的損害の賠償として、とりあえず原告P1は金五万円を請求する。

 (2)原告等は右(一)、(二)による愛犬の負傷により精神的苦痛を蒙ったから慰藉料として各金二万五千円を請求する。殊に原告P2は婦人として、かつ愛犬家として右負傷を目撃した瞬間の恐怖が特に大きかったから右に加えてさらに慰藉料金五万円を請求する。

 (3)前記(三)の原告P2の負傷については前記のとおり多量の出血と激痛が伴ったのみならず医師より伝染病毒に冒され破傷風になるおそれがあると告げられたため、その精神的苦痛は大きく、この点に関する慰藉料は金二十万円を以て相当とする。なお原告P1も原告P2の夫として妻の病状を憂慮するの余り多大の精神的苦痛を蒙ったから慰藉料金十万円を請求する。さらに原告P2の負傷は二カ月以上も治癒を必要とし、その間絶えず痛みが続き、傷が一応治癒した後も、傷痕は依然として青黒く残り、婦人としては耐え難いものであるばかりでなく、現在なお物に接触すると疼痛を感ずるから、同原告としては、右の外治療が延引したための苦痛に対する慰藉料として金三十万円、醜悪な傷痕となお続く疼痛に対する慰藉料として金三十五万円及び右通院加療に要したタクシー代金五千円を請求する。

 さらに被告等は前記(一)乃至(三)の事故発生後もその飼犬を繋留することなく放飼を続けており、右飼犬は前記事故発生以前にも昭和三十年十月A方の女中Bに咬傷を負わせたことのある咬癖のある犬であって、被告家と住居を接する原告等としては何時被告等の右飼犬に襲撃されるやもはかられず、絶えず恐怖感に襲われていたものであるが、被告等は右の事情を十分知悉しながら敢えて放飼を続けていたものであるから、右もまた被告等の不法行為というに妨げず、従って原告等は被告等に対し右恐怖感に対する慰藉料として各金十万円を請求する。

 右のとおり被告等は動物の共同占有者として或いは自ら共同不法行為者としてその責任を免れ得ないものであるから、被告等に対し、原告P1は前記損害賠償金合計金二十七万五千円のうち金二十七万円、原告P2は前記損害賠償金合計百三万円及び右各金額に対する昭和三十二年二月四日附原告等訴状訂正申立書が被告等訴訟代理人に送達された日の翌日である昭和三十二年二月十五日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求めるため本訴に及んだ。」

と陳述し、被告等の主張に対し

「仮に被告等の飼犬の占有者が被告D1であって、被告D2は占有者でないとしても、同被告は被告D1の妻であっ夫の不在中は夫に代って自ら保管の責に任じなければならないしそうでない時でも社会通念上日常家事に準じ夫と同様保管の責を負わなければならないものであるから、いずれにしても占有者に代る保管者としての責任を免れ得ない。なお原告P2は被告等の飼犬の襲撃を挑発するような行動をとったことはない。」と延べ、

(立証略)

 被告等訴訟代理人「は原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」との判決を求め、答弁として

「原告等主張の事実中原告等及び被告等がそれぞれ原告等主張のとおりの国籍を有すること、原告等夫妻と被告等夫妻とが原告等主張のとおり隣人の関係にあったこと、原告等夫妻及び被告等夫妻がそれぞれ犬を飼育していたこと、昭和三十一年五月二十一日午前七時三十分頃被告等の飼犬が原告等主張の場所で原告P2の左足首の上部に咬傷を与え、同原告が陸軍診療所で手当を受け、その後治療のため通院したこと、右飼犬が昭和三十年十月A方の女中Bを咬んだことがあることは認めるが、その余の事実はすべて否認する。昭和三十一年五月四日及び同月十三日の原告等の飼犬に対する襲撃は、仮にかかる事実ありとするも、右は他家の飼犬によってなされたものであって、被告等の飼犬によってなされたものではない。また原告P2の傷は軽微なものであって間もなく治癒し、現在何等の傷痕も止めていない。被告等の飼犬がBを咬んだのは、当時同女が道路掃除のため長柄の箒を操っており、間近を通り過ぎようとした右飼犬に対し、あたかも武器を以て攻撃するが如く見受けられたので、動物の習性として身に危険を感じて咬みついたまでであって、平素右飼犬に咬癖があったわけではない。なお右飼犬は原告P2を咬んだ後直ちに米軍の病院に収容され、二週間に亘って厳密な検査を受けたが、無害の認定を得て返還され、爾後は邸内に繋留して置いた。

 以上の次第で原告等の本訴損害賠償請求中原告P2の傷害に関する以外の部分に理由なきことが明らかであり、右傷害に対する慰藉料請求も過額に失する。なんとなれば原告P2の傷害は前記の如く極めて軽微なもので、現在は傷痕も止めず、しかも同原告は右傷害の発生につき被告等の飼犬の襲撃を挑発するが如き態度をとった点に過失が認められるからである。

 ところで本件で問題となっている犬は被告D1の所有犬で同被告名義を以て畜犬登録がなされており、従ってその占有者も被告D1であって、被告D2はその占有補助者の地位にあるに過ぎない。されば少なくとも被告D2に関する限りは如何なる意味においても動物の占有者乃至保管者としての責任を負うものではない。」と述べ、

(立証略)

理 由

 原告等夫妻と被告等夫妻が横浜市の米人特設区域内に居住し、両家が至近距離にあり、両夫妻ともそれぞれ犬を飼育していたことは当事者間に争いなく、原告等各本人尋問の結果によれば、昭和三十一年五月四日及び同月十三日の二回に亘り原告等の邸内において原告等の飼犬が被告等の飼犬によって襲撃を受け、右第一回襲撃の際には負傷して獣医の手当を求めたことを認めることができ、該鑑定に反する証人C及び被告等各本人の供述部分はたやすく措信し得ず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。しかしながら原告等の飼犬が原告等の主張するように重傷を受けたと認むべき証拠はさらになく、却って本件口頭弁論の全趣旨によれば右傷も軽微なもので間もなく治癒していることを窺うに難くない。次に同年同月二十一日午前七時三十分頃原告P2が被告家の附近の空地を散策中被告等の飼犬によってその左足首の上部に咬傷を受けたことは当事者間に争いなく、〈証拠〉によれば原告P2は右咬傷により相当の出血を見かつ苦痛を感じたので陸軍診療所において応急手当を受けたところその傷は長さ二、三糎で相当深く、かつその際破傷風罹患のおそれありとしてその注射と手当がなされたが、その後同年五月二十三日、同月三十一日、同年六月二日、同月五日及び同年七月二日の五回に亘り通院加療を受けその結果一応治癒したけれども、当時なお傷の周囲の皮膚に傷痕と硬化とを示していたことを認めることができる。しかしながら〈また証拠〉によれば、右傷痕はその後に次第に薄れ最近に至っては外見上殆ど察知し得られないのみならず、靴下を穿けば全く常態と異ならない程度に快癒し、日常の挙措動作においてはもとより社交場の応接等にも何等支障を来さない常態に立ち至っていることが認められる。

 よって次に右認定の事実を基礎にして、被告等の動物占有者としての責任について判断する。

 まず原告等は被告等両名を右加害犬の共同占有者であると主張するのに対し、被告等はその占有者は被告D1のみであって被告D2は占有補助者に過ぎない旨抗争するから、この点について考えてみるに、被告等各本人尋問の結果によれば、被告等の右飼犬は被告D1の所有犬として同被告名義を以て昭和三十一年三月頃畜犬登録がなされていることが明かであり、右事実によれば法律上被告D1を以て右畜犬の占有者と目するを妥当とすべく、被告D2は被告D1の妻として事実上右畜犬の保管に任ずることあるとするも、独自の占有権限はなく、従って夫の占有補助者たる地位を有するに過ぎないものと解すべく、民法第七百十八条第二項に所謂「占有者に代わる保管者」の観念には占有補助者乃至占有機関は含まないものと解すべきであるから、原告等の本訴請求中被告D2に対して動物占有者乃至保管者としての責任を追求する部分はいずれにしても失当として排斥を免れない。

 そこで進んで被告D1の動物占有者としての責任について検討を加えることとする。

 (1)原告等の飼犬の被害について

 原告等各本人尋問の供述によれば、右飼犬は原告等の所有犬と停められるから、その被害につき、原告等が所有者として所有権の侵害を理由に治療費その他の物的損害の賠償を求め得ることはいうまでもないが、さらに進んで精神的損害の賠償すなわち慰藉料を求め得るかについてはいささか疑いなきを得ない。もっとも民法第七百十条は財産権の侵害に対しても慰藉料の成立を否定してはいないが、一般に財産権の侵害の場合には、精神的損害は財産的損害の裏に隠れ、財産的損害が賠償されればこれに伴う精神的損害も一応治癒されたとみるべきであって、特に財産的損害を越える精神的損害がある場合には、特別事情による損害として当事者が予見し得た場合に限りその賠償を命ずるを妥当と考える。ところで本件の場合、原告等が畜犬家として自己の飼犬が他人の飼犬によって襲撃を受ける負傷を受けたとすれば、これによって精神的打撃を受くべきことは推測に難くなく、また被告D1も畜犬家として自己の飼犬が他人の飼犬を襲撃し傷害を与えたとすればその他人が精神上の苦痛を受くべきことを想像し得たであろうこともこれを臆測するに難くないが、前記認定のように原告等の飼犬の被害は至って軽微なもので、物的損害の外にさらに賠償に値するだけの精神的損害があったとは認められないから、この部分に対する原告等の慰藉料請求は認容し得ない。

 なお原告P1は物的損害の賠償として金五万円を請求しているが、前記認定のとおり、原告等の飼犬の負傷は至って軽微なものであって、しかも既に治癒しており、従って獣医に対する治療費もそう多額なものとは認められないから、右請求額は到底認容し得ないのみならず、右治療費の額もこれを特定すべき何等の根拠がないから、その限度においてすらこれを認容するに由ない。

 (2)原告P2の負傷について

 原告P2は被告等の飼犬に咬まれ負傷したものであるから、右犬の占有者たる被告D1に対し、精神上の苦痛に対する損害賠償として慰藉料請求権を有することはいうまでもない。そこでその慰藉料額について考えてみるに、一方前記認定にかかる傷害の部位、程度並びに治療経過を勘案するとともに、他方最近に至り、原告P2の傷痕は外見上殆ど察し得られず、靴下を穿けば全く常態と異ならない程度に快癒し、日常の挙動動作においてはもとより社交上の応対等にも何等支障を来さない状態に立至っているとの前記認定事実を斟酌し、なお原告P1、被告D1各本人の供述によって認められる「原告P2は米軍中佐夫人、被告D1は米軍々属である事実」、その他諸般の事情を綜合考察すれば、右慰藉料額は金十万円を以て相当とする。(被告等の主張する原告P2が犬の襲撃を挑発したとの事実についてはこれを肯認すべき何等の証拠もない。)なお、原告P2は通院加療のために要したタクシー代として金五千円を請求しており、同原告が通院のためにタクシーを用いたであろうことはこれを想像するに難くないが、そのタクシー代が幾何の額となるかについては何等の証拠がないから、結局この請求は認容し得ない。

 次に原告P2の右負傷に対する原告P1の夫としての慰藉料請求について考察する。

 学説には、民法第七百十一条を限定的規定と解し、その反対解釈から傷害の場合には近親者の慰藉料請求権を否定する見解が多いが同法第七百九条、第七百十条は必ずしも賠償請求権を直接の被害者に限定する趣旨ではないと解すべきであり、もし、しかりとすればこれらの法条によって被害者の近親者は生命侵害の場合に限らず身体障害の場合にもなお慰藉料請求権を取得し得るものというべきである。ただこの場合現実に如何なる範囲まで賠償を認むべきかは、近親者として賠償に値するだけの損害があるか、また、その損害が相当因果関係の範囲内にあるか否かによって決すべきである。かように考えるとき民法第七百十一条は生命侵害の場合の特則として、被害者の父母、配偶者、子につき、かかる関係の立証を免脱し、当然賠償請求権者たり得ることを明らかにしたに止まるものといい得る。

今本件について考えてみるに、原告P1は被害者原告P2の夫であり、夫として妻の傷害に対し精神上の苦痛を感ずべきことはいうまでもないが、既に認定のとおり原告P1の精神上の苦痛も、もはや治癒せられたものというべく、しかる以上は妻たる原告P2の慰藉料の取得を以て満足すべきであって、右以外にさらに夫としての慰藉料を請求することは社会常識に照し好ましくないものと認められるから、原告P1の本請求は排斥すべきである。

 最後に被告等の飼犬の襲撃に対する原告等の恐怖感を理由とする慰藉料請求については、原告P2の負傷事件発生後被告等はその飼犬を放飼することなく、邸内に留置し、運動または散歩等のために外部に連れ出すときは常に鎖をつけていたことが証人B証言及び被告等各本人の供述に徴して認められるのみならず、原告等の危惧する程度を以ては未だ慰藉料を発生せしめる要件となすに足りないから、この点に関する原告等の請求は理由がない。

 以上説示のとおりとすれば、原告等の本訴請求中、原告P2が被告D1に対し前示咬傷に基く慰藉料として金十万円及びこれに対する昭和三十二年二月四日附原告等訴状訂正申立書が被告等訴訟代理人に送達された日の翌日だえること本件記録に徴して明かなる昭和三十二年二月十五日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由あることが明かであるから、これを認容すべきも、その余の請求はすべて失当として棄却を免れない。よって訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

 横浜地方裁判所第四民事部

    裁 判 官 古 山  宏

  

 


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