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last update 02 December 1999


□動物占有者の責任

長崎控判年月日不詳(明治四十五年(ネ)129))新聞849・23 (大正二年三月二十日発行)

 

動物の占有者はその動物の種類及び性質に従ひ相當の注意を以て其保管を為したることを證明するにあらざれば動物が他人に損害を加へたる事実のみにより常に過失あるものと推定せらるべきものとす

家畜の犬は狂性又は獰猛性を有せざる以上は之を放飼するも普通其保管につき相當の注意を缺きたるものと認むることを得ざるも飼養者は其犬の行動に付ては常に他人に損害を加へざるやう相當之を監視すべき責あるものとす

民法第七百十八条に基く損害賠償の責任は他人の財産権を害したる場合にのみ限らるるものにあらず

 

  (明治四十五年(ネ)第一二九号)

佐賀県--郡--町大字----番地

控訴人                  D

右訴訟代理人弁護士            ------

同県--郡--村大字----番地

被控訴人                 P

右訴訟代理人弁護士            ------

右當事者間の損害賠償請求控訴事件に付當院は判決すること左の如し

主 文

 第一審判決中被告に対し金六圓を支払ふべし訴訟費用は其四分の三を被告の負担とすとの部分を左の如く変更す。控訴人は被控訴人に対し金三百圓を支払ふべき、其余の被控訴人の請求は之を棄却す。訴訟費用は第一審に於て確定したる部分を除き第一、二審を通し其二分の二を控訴人の負担としその他を被控訴人の負担とす

事 実

 控訴代理人は第一審判決中被告は原告に対し金六百圓を支払ふべしとある部分並に訴訟費用は其四分の三を被告の負担とすとの部分を廃棄しさらに被控訴人の請求は之を棄却す訴訟費用は第一、第二審共被控訴人の負担とすとの判決を求め被控訴人代理人は本件控訴は之を棄却すとの判決を求めたり而して當事者双方の陳述したる事実関係は控訴代理人に於て(一)控訴人は以前犬を飼養し其届出を為したることあるも明治四十三年中其犬は控訴人方より逃走し其後A方に飼養せられ居りしことを聞知せしに過ぎず従って逃走後は控訴人の飼養犬に非ざるを以て何等の関係なし其逃走又は飼養廃しに付ては届出を為し居らず又加害犬が右の飼養せしことある犬に該當することは之を認めず而して控訴人方に於て飼養せし犬の毛色は赤黒白の斑なりし旨、且本件加害場所と控訴人の住宅とは七里以上離れ居れりと釈明し仮りに(二)控訴人の飼犬が本件の咬傷を為したりとするも控訴人は該犬の性質に従ひ保管上相當の注意を缺きたるをなし則ち控訴人の地方は咬傷當時地方行政上狂犬病の流行区域なりとの事を知り又は知らざるべからざう事情も之なし飼犬は特に繋鎖又は篏口具を附すべき法令あるにあらず該犬の當時の性質が特に凶暴の勢性ありしにあらず且咬傷の癖ありしにもあらず至極温順なる普通の犬なりしを以て之を放飼せしは保管上の注意を缺きたるものにあらず従て賠償の責任ありとするも被控訴人は本件咬傷の生じたる當時被害者に対して注射其他相當の治療を盡さざりし過失に因り被害者は死亡するに至りたるものなれば其死亡の為に生じたる被控訴人に対する慰藉金を請求するは不法なり被控訴代理人に於て本件加害犬がA方に居りし事実を認めず又咬傷當時被害者に対し狂犬病予防の為め注射療法を為さしめざりしことは相違なきも直ちに相當医師の診断治療を受けしめたるものにして被害者の死亡は控訴人の過失に起因するものにあらず殊に加害犬の狂犬なりしことは明治四十四年五月十一日より十二日に至り始めて聞知したりとの点を附加したるの外第一審判決の事実摘示と同一なるを以て並に之を引用立證として被控訴代理人は甲第一号乃至七号證の一、二を提出し原審明治四十四年十一月二十五日の口頭弁論調書中被控訴人の申立として「本年三月二十八日以前に被告の飼犬として届出を為したることはある旨の記載を援用し原審證人BACの證言を援用し證人Bの喚問を申請し控訴代理人は甲第一号乃至四号、六、七号證の一、二の成立を認め甲第五号證に対しては不知の陳述をなし甲第二三号證及び原審證人B、A、Cの證言を利益に援用し原審鑑定人Eの鑑定を援用し尚ほ鑑定の申出を為し證人Fの喚問を申請したり

理 由

 案ずるに本件につき、被控訴人の二女たる被害者G齢七歳が明治四十四年三月二十七日午後三時頃居宅裏庭に於て遊戯中突然狂犬の為に右唇より頬に掛け咬傷せられたる事実は甲第一、二号證及びBの當審並に原審の證言により之を認め得べし而して控訴代理人は加害犬は嘗て犬を飼養し其届出を為したることあるも該犬は逃走して近隣のA方に居りたるものにして自己の占有中にあらざる旨抗争するも證人Aは明治四十三年二月頃他親犬を預り居りたるに生後三四箇月の牡子犬其親犬を慕ひ来れり而して親犬は同月中に死し該子犬は居残りて同年四、五、六月の頃迄は居りたり而して其毛色は赤黒白の斑なりしが其後突然姿をみざる様なりたる旨證人Cは當時H警察署よりの照会に基づき職務上取り調べたるに加害犬はD方の飼犬なるも其當時温泉側の酢鮨屋某方に居りたる形迹ありたるを以て酢鮨屋の主人を呼出し取調を為したるに其犬は自分方の飼犬にはあらざるも娘が犬を愛する為食物を与え居りたりと陳述したる旨證人Fは明治四十四年三月下旬頃自分がD方に行き居たりし際酢鮨屋のAが来りD方の家人に自分方の犬は来り居らざるやを問ひたるにDの妻は来ては居らぬと思へど念の為め裏の邊を見て呉れよと云ひたるにAは裏の邊を見廻し居らぬと云ひ帰りたることありたる旨を供述せり尚ほ甲第二号證たる獣医の疑狂犬撲殺死体剖検書には犬の毛色は虎毛前頭及頸無に徴線状の白毛、胸腹四肢及尾尖に白毛ありとの記載ありて是等の證拠を綜合参酌するときはAの證言中に所謂子犬は其毛色が解剖したる犬と同様なるの点に於て本件の加害犬に該當し加害犬は控訴人方より一時A方に行き居たる事実は之を認め得られざるにあらざるも證人Aは該狂犬解剖の際其犬には--町J飼犬と彫せる首環の嵌めありし旨を供述しJと云ふは控訴人妻のK名義なるも妻に於て犬を飼養し其届出を為したることなきは控訴代理人の争はざる所なれば該狂犬は咬傷當時依然控訴人の飼犬にして其占有中のものなりしことを認むるに足る然り而して該狂犬が一時A方に行き居りたる事実は同人に於て之を飼養し占有し居りたるものとは認め難きを以て夫等の事実は未だ以て該狂犬が控訴人の占有を離脱したる事実を確かむるに足らず

而して動物の占有者は其動物の種類及び性質に従ひ相當の注意を以て其保管を為したることを證明するにあらざれば動物が他人に損害を加へたる事実のみにより占有者は常に過失あるものと推定すべきものなることは民法第七百十八条の注意に依り明らかなり故に占有者が加害の事実に付き其責を免れんとするには先づ其動物に付き保管上相當の注意を為したることを證明せざるべからず然らざれば被害者に対し損害賠償の責を免がるることを得ざるものとす而して家畜の犬は狂性又は獰猛性を有せざる以上は之を放飼するも普通其保管につき相當の注意を缺きたるものと認むることは得ざるも飼養者は該犬の行動に付いては常に他人に損害を加へざる様相當に之を監視すべき責あるものとす依て控訴人は本訴加害犬を占有するに付き保管上相當の注意を為したるや否やを審案するに本訴加害犬が頭初控訴人方に於て飼養せらるるに當り狂性及獰猛性を有せざりしことは證人Aの證言に依り之を認め得べきを以て控訴人が本訴加害犬を放飼したるは未だ以て相當の注意を缺きたるものと謂ふことを得ざるも本訴加害犬は明治四十三年中控訴人方を出て帰り来らざることは控訴人の自ら主張する所にして控訴人は其後数箇月間其儘放擲し其間本訴加害犬の行動につき何等監視の責を蓋したる形蹟なく而して本訴加害犬が狂犬病に罹りたる日時は證人Aの供述に依れば明治四十四年三月十七日前後なりとのことを認め得べきを以て控訴人が常に本訴加害犬の行動を監視したるに於て其狂犬病に罹りたることを知り又は少とも其性質の狂的に変じたることを知り得べき状態に在りしものなれば控訴人は本訴加害犬の保管上相當の注意を為したるものと認むることを得ず然らば控訴人は本訴加害犬が被控訴人の二女Gを咬傷したるに因りて生じたる損害を賠償する責あるや勿論なり

控訴代理人はGの死亡は咬傷の當時被控訴人に於て予防注射其他適當の治療を施さざりしが為めにして被控訴人の過失に基因するものなれば「G」の死亡に関し控訴人は慰謝金を支払ふの義務なし殊に飼養犬が他人に加へたる損害を賠償すべき責任あるは其財産権を侵害せられたる場合に限る旨主張すれども甲第四号證たる診断書に依ればGは本件咬傷の為め恐水病を惹起し為めに明治四十四年五月十二日死亡したる者にして控訴人飼養の狂犬に咬傷せられたるが為め死亡したるものなること明瞭なり鑑定人Lの鑑定に依れば甲第四号證記載の治療方法は近時医学上の見地よりして不適當のものなりと云ふに在りて此鑑定は採用し得べきも甲第四号證記載の治療を為したるは医師にして被控訴人は被害者が咬傷せられたる當時直に医師の診断治療を求め恐水病を致したる後も引続き同医師の治療を受けたることは甲第四号證に依り之を認め得べく然らば同医師の治療方法が近時医学上不適當のものなりしとするも被控訴人の過失に因りて被害者は死亡したるものとは認むるを得ず又民法第七百十一条には他人の生命を害したるものは被害者の父母背部得者及び子に対しては其財産権を害せられざりし場合に於ても損害の賠償を為すことを要すと規定し同第七百十八条には動物の占有者は其動物が他人に加へたる損害を賠償する責に任ず云々と規定しありて第七百十八条に基づく損害賠償の責任は他人の財産権を害したる場合に限るべき理由なきを以て此点に関する控訴代理人の抗弁は理由なし

然らば即ち上来説明する所により被控訴人が控訴人に対する本訴請求の原因あること寔に明瞭なり依て進んで其数額に付き案ずるに被害者は年齢七歳の少女にして被控訴人は米穀販売業を営み家族は被害者の外両親、妻及び妹一名並に二女一男を有し之を扶養し居ることは被控訴人の認むる所のみならず甲第六、七号證に依れば僅少の土地家屋を有すれども孰れも負債の抵當に供しあるを以て是等の事情を参酌するときは其の数額は三百圓を以て適當なるを以てこれを排斥せざる何からず仍て第一審判決が被控訴人の請求原因を認容したるは相當なり控訴人に対して六百圓の賠償を命じたるは失當なるを以て本件控訴は理由ありとし訴訟費用の負担に付ては民事訴訟法第七十八条第七十二条に則り主文の如く判決す

 長崎控訴院第一民事部

 裁判長判事 富田祐太郎*   判事 栗本 武三

 判   事 遠藤 柾治    判事 村部 権蔵

 判   事 中根要次郎                                                                                                  

 

[NB]旧字体表記のままにいたしました。一部旧漢字表記が難しく、現在の字体になっています。*祐のへんは、「示」が正しい表記です。


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